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カテゴリ:好きな人
私が川柳に目覚めて川柳人を志すようになったのは、時実さんの本との出会いがあったのです。戦後直ぐに親の意志で(確か17歳ぐらいだったそうですが)訳も分からぬままに傷痍軍人でかなり年上の御主人と結婚させられて、御主人の世話と店(嫁ぎ先が文具店だったそうで)の仕事、さらには舅姑の世話をこなしながら過ごされた日々・・・時々キレて暴れる御主人に受ける暴力にも耐えて(当時家庭内暴力は当たり前だった)その合間にやっと見いだした生き甲斐が、川柳だったのです。「これ無しでは生きられない」の意にままにひたすら時間を作って打ち込んでこられた日々は、頭が下がる想いがします。 若い頃できなかった“恋愛”を、時実さんは心の中で思い描き作品にしてこられました。事実それに近いこともあったかないか微妙ですが・・・夢多き年頃に打ち砕かれた少女の夢の続きをそっと想うことを、誰が止めることができたでしょう。 御主人が亡くなられて、子供たちが自立して、やっと自分で選び求めた男性が現在の御主人です「こんな幸せがもてるなんて夢のよう」と、著書の中で言っておられます。まさに時実さんが50歳過ぎのことです。 「凄い人だなあ」と、私は思いました。どう凄いか、上手く言い表すのは難しいのですがとにかく胸を突き動かされ、心が身体がガタガタと揺さぶられる想いがしました。時実さんのような川柳を詠みたいと強く想いました。彼女の川柳には、女性の心の叫び(深い心の奥底から突き上げるような)を感じました。強い彼女のパワーを感じたのです 川柳界の“与謝野晶子”と言われた時実さんを異端者として見る方も少なくありません彼女の作品が“男女の心の機微”に鋭く触れているモノが多いだけに無理からぬことかもしれません。どうも男性陣はこういうことに関しては、体裁だけでも保守を保ちたいようで・・・すね でも、ここまで素直に時には自分をさらけ出すというのは、それだけ自分に自信と覚悟がなければできないと思います。そういう意味でも、時実さんは凄い人だと思いますね せめて一度時実さんに直にお会いして、お話しを聞きたかったできれば、私の作品を見て、いろいろ教えていただきたかったと(身の程知らずと言われても)思います。もうそれは適わぬ願いになってしまい、残念無念の一言に尽きます でも、時実さんは私の永遠の憧れ(森瑶子さんのような・・・)デス 雪降る日君は静かに昇天し 会いたいと願い虚しく砂の城 時実さんの御冥福を今は静かに祈るのみです・・・。 see you again お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.03.12 21:55:38
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