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市町村合併と広域地名について何度か書いたが、例えば名取郡における名取町(名取市)の命名を岩沼町はどうみただろうか、などと余計なお世話で考察したりしてみる。 ここで、市町村合併と命名の経緯を振り返る。 ●明治22年町村制施行(現在の岩沼市及び名取市の地域) ・岩沼町 ←(単独)岩沼本郷 ・玉浦村 ←下野郷村、押分村、早股村、寺島村 ・千貫村 ←北長谷村、南長谷村、小川村、志賀村、長岡村、三色吉村 ・増田村 ←増田村、田高村、手倉田村、上余田村、下余田村 ・東多賀村 ←閖上浜、牛野村、大曲村、小塚原村、高柳村 ・下増田村 ←下増田村、杉ケ袋村 ・館腰村 ←植松村、飯野坂村、堀内村、本郷村 ・愛島村(合成地名) ←北目村、塩手村、笠島村、小豆島村 ・高館(舘)村 ←吉田村、川上村、熊野堂村 ●明治29年 増田町(町制施行) ●大正4年 茂ケ崎村が長町に(町制、改称) ●昭和3年 東多賀町が閖上町に(町制、改称)。長町が仙台市に編入 ●昭和22年 亘理郡逢隈村の阿武隈川以北(吹上地区)を編入 ●昭和30年 3町村合併により岩沼町 ●昭和46年11月 岩沼市(市制施行) 振り返ると、明治22年町村制の際に、名取郡下で町を名乗ったのは岩沼だけ。遅れて増田村が町に昇格したのが明治29年、茂ケ崎村が長町になったのは大正4年だ。 昭和30年に合併で成立した名取町が、市に昇格したのは昭和33年10月で、岩沼より10年以上早い。今や駅名も名取で旧名取郡の中心だったかのようだ。たしかに、藩政時代には名取郡南方の会所が置かれ(北方は長町)、名乗る資格有りと言えそうでもある。 かたや岩沼から見れば、奥州街道と浜街道の分岐する重要な宿場で武隈の郷に竹駒神社もある、岩沼本郷から岩沼町に昇格は増田村より早く、郡制廃止後には県の名取亘理地方事務所が置かれ中心性は十分、自分たちは誇り有る岩沼を名乗り続けるが、郡名(広域地名)を増田や閖上が称するのはいかがなものかと異議もあったのでは(おだずまジャーナル勝手な憶測です)。 岩沼町立だった岩沼高等女学校を戦後新制の県立高校にする際に、一時的ではあるが岩沼町が中心となり学校組合を作った。組合には、閖上町、増田町などにとどまらず、逢隈村(亘理郡)、槻木町(柴田郡)も加入している。校名を岩沼とせず名取高等学校としたのは広域地名的な命名だが、岩沼町が地域の子女の教育にかけてきた熱意はまさしく中心性が高いと大いに評価したい。 ■関連する過去の記事(名取高校の経緯) 組合立だった名取高校、岩ヶ崎高校、岩出山高校など(2024年03月21日) ■関連する過去の記事(合併と広域地名、名取と岩沼の関係など) 合併と広域地名(名取市、柴田町、本吉町、宮城町など)(2024年03月19日) 地名(市町村名)の付け方の類型論(2024年03月05日) 丹取郡と名取(10年3月17日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.02 00:01:42
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