カテゴリ:音楽
それは、 本来、とても身近で自然な、自発的なもの。 でも、現代日本人の大人には、自分でやるには、ちょっと構えてしまうもの。 そして、ジャズをやっていて、楽器奏者からみると、 同じジャズでも、ちょっと異質(?)な存在? ・・・それが、歌。 映画 「ヴィニシウス」を観た。 ヴィニシウスは、ブラジルの有名な詩人にして、 ボサノヴァの名曲の歌詞をたくさん書いた人。 私の大好きな曲の歌詞もいくつも書いている。 私はポルトガル語がわからないから(訳は読んでるけど)、 その歌詞を、言葉がわかる人のようには味わうことができない。 でも、映画を見て、字幕で意味が入ってくるのと同時に、 詩の朗読を音と映像で聞いていると、 そのアロマ(香り)のようなものが伝わってくる感じで、 なんか豊かな気分になった。 ボサノヴァは、好きな曲がたくさんあるんだけど、 歌詞よりは、音楽への興味が主で、 歌詞だって、翻訳読んだりして、意味はある程度は知ってるつもりだったけど、 でも、歌詞をそんなに味わったことはなかった。ちょっと損をしていたような感じだ。 やっぱ、歌と一緒にやるなら、 私も、もっと、歌詞も楽しみながら演奏しなくちゃ、もったいないね。
歌。言葉のある音楽。 音楽は、言葉がわからなくても、楽しめるけど、 歌詞は、言葉がわからないと、意味がわからない。 ただ、言葉はわからなくても、歌詞のリズムや響きは、音楽として楽しめる。 歌詞のリズムは、音楽のリズムにも通じている。 その国の言語のリズムは、その国の音楽のリズムと密接な関係がある。 よく、ジャズピアノを習い始めた頃、 以前の師匠(御大)から、 「歌詞(英語)を歌ってみろ。」と実際に歌わされたりもしたけど、 確かに、言語のリズムと音楽のリズムには関係があり、 言葉を含む音楽のバックグラウンドを理解した演奏と、そうでない演奏、というのは、 やっぱり違う。 まあ、理解してなきゃ演奏しちゃいけない、ということではないし、 (というか、そんな事いってたら、とっても閉鎖的で魅力のないものになっちゃう) (だいたい私だって、ジャズできないことになる。) 良い演奏ができないかというと、それは、また別の話だけど、 ネイティヴな音楽とは違う表現になることは確かだ。
ジャズピアノをやるようになってから、私にとって、同じジャズでも、 歌(ヴォーカル)は、ちょっと特殊な存在、 「歌伴」 といわれるものも、自分にとっては、ちょっと特殊なジャンル、 まあ、正直いって、ちょっと苦手なジャンルだ。 でも、私は、歌も好き。歌詞にも興味がある。 歌詞のイメージが音の動機になることもある。 そして、歌い手さんとも、意外に(歌伴が下手なワリには)ご縁がある。 いわゆる「苦手な歌伴」にならないような、歌+ピアノのDUOをやりたいな。
歌。 言葉のある音楽。 今回は、「歌」がテーマのライヴをやります。
歌を楽しむの。 それから、歌(ことば・リズム・メロディ)と遊んでみたいな。 歌のRIQUOさんと、ちょっと、遊び方を試してみました。 理科実験室で、じっけんあそびをしているみたいに。
歌い手さんの歌を楽しみたい。 楽しみながら、私もピアノで歌います。 ピアノで歌う歌が、稚拙だったとしても、全身でいっぱい歌を楽しんで、 その楽しさが伝わるような、そんなライヴができるといいな。
ここから先は、つぶやき(モノローグともいう)ですが、 ここのところ、大事に思っている幼馴染と、なんか、結構しょうもないことで、 喧嘩をしてしまい、大事に思っているのに、何故、喧嘩をしてしまうのか、 仲直りはできるのか、うつうつとしているわけ。 自分にとって大事な人だから、わかってほしい、という気持ちも生じるんだけど、 それは甘い(子どもっぽい)のだろうか。 しかし、もう少し自分は大人だと思っていたので、自分自身にも、ちょっと呆れている。 それにしても、幼馴染に限らず、うう、どうしたら、思いが通じるんだろう、って人が、 約何名かいる昨今・・・・。
ある人が、全ては音楽だ、という言い方で、 ライヴ前の出来事は、全てライヴの日のイントロだ、と書いていたけど、 確かに日々の生活が音になっていくのである。
良くも悪くも・・。
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最終更新日
2009/07/01 03:01:12 PM
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