シャトルのペア
あうー、いそがしい忙しいISOがC。翻訳あり、BTの原稿あり(今月で最後です)、とあるプロダクト関連の仕事あり、某輸入書籍取扱事務所のバイトあり、等々。でも、仕事があるってありがたい。ちょっと前まであまり仕事もなくぐうたらしてたから、嬉しい悲鳴だ。またいつ仕事がなくなるかわからないし、いまのうちにがんばらねば。というわけで、こんな時こそ思いつき作品です。実はこれ、思いつきというよりは、だいぶ前にじっくり考えて作ったもの。今年の秋にやる予定の個展で僕が出そうとしてるのは、「映像とは何か」という問題と、「テレポーテーション/ワープ/瞬間移動」とを絡めた映像作品で、この作品もコンテクスト的にはそれと関わってるから一緒に出そうと思ったのだが、やっぱやめようかなと思う。 "A Pair of Shuttlecocks"2005 シャトル、真鍮パイプ / shuttlecock, brass pipeバドミントンのシャトルふたつの頭を取って、それぞれ羽側を少しめくりあげて、向かい合わせにくっつけて、間に真鍮のバイプを通したもの(シャトルって英語でShuttlecockっていうんスね)。これ、ブラックホールと並んで宇宙オタクをくすぐる「ワームホール」に見立ててます。こんな感じね。→コチラ離れた空間と空間とを結ぶ虫食い穴ですな。シャトルの羽の部分の網目が、空間のグリッドみたいに見えて、ん~ウマいね~。だけども、あるものをあるものに見立てた作品って、やっぱ閉じてる。The World is Mine展で出した"Black Hole"もそうだけど、僕はこんな感じで、宇宙物理学的な大きな事象を日用品で箱庭的に仮構するっていう手法に惹かれてしまうのだが、やっぱ閉じてるよなー。「ワームホール」だとか「ブラックホール」だとかって答えがあって、それに気づいたらそこで終わっちゃう。実際の物体とそういうイメージとの間を、観者の意識は往復するとはいえ、そこにあまり偶発的なひろがりは期待できない。いま作ってる映像は、この意味でも、僕のいままでの作品より一歩前に進んでる気がしてて、だとすればこのワームホール作品は個展には出さずに、映像一本で勝負したほうがいいかなと思い、最近忙しすぎて思考も停滞気味で書き込むこともなかったので、思い切って公開してみた次第。こういうの、閉じててダメだとは思うものの、好き嫌いでいえばやっぱ好きなんだよね。他の人の作品で同じようなものを見ても、「ん~気持はわかる。好きだな。 …でもやっちゃいけないんじゃないか」とよく思うし。でもメンタルな健康面を考えれば、とりあえずどんな形であれ人に見せて自己満足したほうがいいっていうことで。とかいって何らかの形でどこかに出品するかもだけど。んー、これ、どうなんでしょうか?