フォニイ/covered by 重音テト
…最近よく聴いてる曲。良いね。悲壮感がいい。この楽曲のテーマは嘘。嘘を吐き続けていると自分が分からなくなる。その感情を吐露した歌なのかな。歌詞はちゃんと見てない。理性ではなく直感的な感想だ。世間に出れば自分を偽らなければやっていけない。自分を演じなければいけない。それは誰にでも当てはまること。ありのまま生きられれば楽だけどね。ありのままと思っていても少しばかりは演技が入る。それは至極当然なこと。集団や社会で生きる以上は演じることが必要だ。演じれる者は人気を得られる。その代わり面倒事も増える。面倒事が増えれば演じ続けなければならなくなる。仮面を付け続けるのは疲れるんだな。仮面を外す時間も必要だ。演じられる時間を制限出来るといい。社会に出る以上は求めに応じなければいけない。世の中ギブアンドテイクで出来ている。世間で生きるには演技が必要。偽るという言葉は人の為と書く。たしか荀子だったかな。偽りは礼儀みたいなことが書かれていた。なるほどだから社会では偽り演技が必要なんだ。演じれる者は強い。演じ続けられる忍耐力があると尚輝くのだろう。俺はそんなに求めてない。制限時間を設けて適切な距離感を保ちたい。誰かに依存したり甘えたりしたくない。だけど適切な関係性は必要だ。社会は助け合いで出来ている。信頼関係で出来ている。信頼を得る最も簡潔な方法は金を得ること。金は信頼の象徴である。だけど全てを得られるわけじゃない。信頼を象徴する共通認識で成り立つ道具でしかない。信頼なんて曖昧なものだ。形のないイメージでしかない。数値化すれば多少は形作られるように見えるが結局は曖昧なものでしかない。好き嫌いや印象で何となく形成されているに過ぎない。盤石な状況が延々と続くなんて有り得ない。物事は常々変化している。変化に対応するための演技力は社会を渡り歩くノウハウとして貴重なものである。一つ信念があればあとは勝手に頭も体も動くようになる。信念は願望や欲望から形作られる。多種多様な選択肢がある昨今では自分が何をしたいか何者になりたいか明確にしておくといい。自分の今後の理想像を思い描いていれば自然と演じれるようになる。偽りは礼儀である。今現在の状況に適した演技をしていればいい。だが、仮面をはめ続ければ疲れてくる。そんなときはフォニイでも歌って苛立ちストレスを発散すればいいと思っている。