テーマ:日常の雑談(2604)
カテゴリ:日常
山口組が起こした鶴田浩二襲撃事件の真相は、どうも世間や警察が睨んだこととは全く違うらしい。田岡由伎さんの著書『お父さんの石けん箱』や『ラスト・ファミリー 激論 岡田由伎×宮崎学』を読むと、どうやら鶴田浩二のマネージャーが菓子折りの下に5万円を隠して渡そうとした事自体に田岡一雄は激怒したらしい。
つまり、一般のヤクザの慣例では、ショーを開催する前に、ヤクザに金を渡すというのが通常であったのかもしれない。しかし、田岡一雄は、上納金の類を一切もらわない事を信条としていて、お金を渡そうとされた事自体に侮辱されたと感じてしてしまい、それを見ていた組員が誤解して襲撃をしたようである。 つまり、お金が足りなかったとか、鶴田浩二との契約の事でプライドを傷つけられたという事もなく、お金を渡そうとした行為そのものが彼の逆鱗に触れてしまったようなのだ。 田岡一雄という人物は、まさにゴットファーザーであり、通常の人間の思考は全くしていない。そして、はっきり言って、彼ほど父親として家族や組員、社員に愛情を注げた人は恐らくは居なかった。 本当に不思議なことがあるものだと思う。世間から闇の中の住人として認識されていた人間が、実は仏様のような性格をし、人々を守って人生を生きたのだから。 『お父さんの石けん箱』によると事件の際、代わりを立てたらどうかという提案に対して激怒し「オレは、やってないことやねんから、あくまで戦う。その上で入れられるなら、よろこんで、自分で入る」「親が子の罪をかぶるならわかるが、罪をきせるなどもってのほか」と言っていたという。 『ラスト・ファミリー 激論 岡田由伎×宮崎学』にはこのように書いてある。 「自分のことで思い出されるのが、高校三年生の時に、青春の悩みというか、将来何になろうかとどうしようかと悩んでいたときに、お部屋で暗い音楽をかけて、電気暗くして一人でじとーっとこもっていると、父がコンコンと入ってきて、「お前どうしたんや?」と。パット目があった瞬間に肩をふっと抱いてくれて、「お前悩んでんねんな、どうしてええか分からへんねんな、何になっていいか分からへんねんな。でもな、それは自分できめなな。頑張れよ」と、背中をぽんぽんたたいてスッと部屋から出ていった。そうすると意味なく涙がぽろぽろこぼれてきて、 (私、何で泣いてるんだろう?) って。そのときは意味が分からなかった。 あれから何十年もたって、やっと気づきました。愛されている実感だったんです。分かってくれた、理解してくれた、自分のことを見ていてくれた。この理解とその上での応援がある、頑張れよ。父の言葉はいつでも「理解と応援の言葉がセット」だったんです。いつでも私を理解し、そして応援の言葉で終わるんです。今になって「愛情というのは理解と応援がセットなんだな」と思います。理解のない応援はプレッシャーになります。 父の下には多くの子分と言われる人が集まりましたが、「わしが一番、親分に愛されてた」という人もたくさんいました。父は反抗的な性質の人たちであろうが、無意識に多くの人に理解と応援をしていたのかもしれません」 田岡一雄は、ワンピースで言うならば、白ひげ(エドワード・ニューゲート)のような人物だったのだと思います。白ひげみたいな人本当に居たんですね。 ↓ぽちっとクリックお願いします。 妖怪・妖精・幽霊ランキング にほんブログ村 お父さんの石けん箱 [ 田岡由伎 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.23 22:46:28
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