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先日の7月8日、縁あって福岡県宗像市赤間区に鎮座する「八所宮」の、本来の御神体と思われる「妙見の瀧」を訪ねる機会があった。 上の画像はその瀧を撮影したもので、画像の瀧の水が流れる部分の赤茶けた岩肌は、おそらく「鉄分」の蓄積ではないかと思われたので、その確認のために滝壺に溢れる水を口に含んでみると、かなり豊富な鉄分が感じられ驚いたことを憶えている。 なお冒頭に記した神社の社名は、日本書紀に記載のイザナギ・イザナミの夫婦神ほか四夫婦神(八柱の神々)が祭神であることから「八所宮」とされており、また当社には・・・白鳳2年(674年)に天武天皇の「神武天皇の御託宣」により、本社の高倉宮から現在の地に分祀した・・・との伝承があることは実に興味深い。 冒頭の画像に映る「妙見の瀧」を後にして次に向かったのは、上記の八所宮の本社たる「高倉神社」(福岡県遠賀郡岡垣町)であった。 当初は訪れる予定ではなかったのだが、この瀧の名の「妙見」が「北極星と北斗七星」を意味することから、八所宮の北方に鎮座する本社の高倉神社を、今一度この機会に訪ねておきたいと感じたからであった。(以下に関連記事) そこで今この記事を書いている最中に、高倉神社が「北極星」の地上投影地として、また八所宮が「北斗七星(北斗八星)」の地上投影地として観えてきたのは不思議である。 ☆関連記事・・・「剣」の宮(高倉神社) 上の画像の高倉神社御由緒に「周防佐波浦」とあるが、これは現在の山口県防府市を流れる佐波川の河口と考えられ、最近知ることとなった書籍の推考に・・・天武天皇の治世の天武10年(681年)に、「北極星」を防府市の「多々良山」の山頂とし、「北斗七星」は山口市内を流れる椹野川に添うよう配置した・・・とする説があるのだが、上記の八所宮の由来をも含めて絶妙に連関するという感じがしてくるのであった。 ☆関連記事・・・「北斗図」の地上投影地を訪ねて(山口県防府市~山口市) ところで、昨日の2017年7月11日 午前11時56分頃、鹿児島県の鹿児島湾(東経130.6度・北緯31.4度)を震源地とする震度5強の地震があった。それは私にとっては、まるで「合図」のような地震であった。 というのも前回の記事に書いたように、最近は震度5クラスの地震が相次いでいることから、今回の九州南部に起きた地震については、やはり「九州における南北軸」に関係する地震と読み取れたので、後に震源地の経度で心当たりの場所を詮索してみることにした。 すると、その震源地となる東経(南北軸)の北端が、驚いたことに上記の「高倉神社」と分かり、これが本来の「九州・南北軸」だと再認識するに至るのであった。 さらに驚いたことに、九州全域を「ぎょしゃ座」の投影地とする観方があり、最近その見識に添って「ぎょしゃ座」の中心域となる投影地を訪ねたことがあるのだが、まさにその場所が「九州・南北軸」の中央部であり、また佐伯市の大入島を東の起点とする「九州・東西軸」の中央部にも相当することが分かり、我が意を得たりの心境になるのであった。 ☆関連記事・・・「ぎょしゃ座」の地上投影・・・その中心域を散策する さて周知のように、7月5日からの九州北部を襲った豪雨により、福岡県の朝倉市をはじめとする各地で甚大な被害が出ている。 この場を借りて、今回の九州豪雨により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げる。 特に朝倉市域の惨状を報道する番組を見ているうちに思い出したのは、かつて飛鳥時代に斉明天皇が「白村江の戦い(663年)」の前となる斉明7年(661年)に、この朝倉の地に営んだとされる宮殿「朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)」のことであった。 そこで上の画像は、朝倉市杷木志波にある「麻氐良山(まてらやま・標高295m)」を南麓より展望したもので、諸書の文献によると宮殿はこの「麻氐良山」が見える山麓の何処かにあったとされている。 その宮殿があった場所は未だ確定されていないのだが、かつてこの麻氐良山の登拝を含め当地域を何度か探訪したことがあり、その際に度々感じたのは・・・隠されてきた歴史の闇が深すぎる・・・ということで、それ故か日記を一行も書くことができなかった。 当時の斉明天皇は、次代を担うことになる中大兄皇子(後の天智天皇)、大海人皇子(後の天武天皇)、中臣鎌足らと行動を共にしていることから、後に右往左往する政権運営に纏わる深い因縁が、もしかするとこの朝倉の地に色濃く残されていたのかもしれない・・・などと考えはじめた今日この頃である。 《 追 伸 》 この7月9日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第41回世界遺産委員会は、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)の世界文化遺産への登録を決めた。 この決定について特に喜ばしく思ったのは、沖ノ島の「磐座(いわくら)祭祀」が文化遺産として世界的に認められたことにある。これによって日本列島の各地に点在する縄文系譜の磐座祭祀や巨石遺構が、ますます脚光を浴び注目されることになると感じられたからだ。 ちなみに、宗像大社(辺津宮)の横を流れる釣川の上流に、冒頭で解説した「八所宮」が鎮座しており、この八所宮は宗像大社の初代宮司が参拝した現在でも磐座遺構の残存する古宮で、(近年に至るまで)毎年の正月には大社から宮司が新年のご挨拶に参拝していたそうである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年07月12日 11時50分16秒
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