豊かさは,滲み,広がり
たしなみ教室へ。 バレエでも身の幅が薄くなるけれど,この月に一度のたしなみ教室では,自分の家族への心の使い方を顧みる,そしてかなり内省する時間で,やはり身の幅は薄くなる(笑) ↑ ほんとう。 みんな薄くて伸びているの。 はじめに,お部屋への入室からお相手へのご挨拶,それから着席までの所作の実技をそれぞれで。 はじめて想うひとのご実家へ伺うときは,本来ならば!こんなご挨拶ができたらよかったのですが(あははは・・・),もう結婚してしまいました・・・ 鞄や手荷物を持ったときの着座だとか,正面の切り方(お相手にスカートの奥が見えないための配慮)だとか,心構えなど。 そう,お招きいただきありがとうございます,というのは,本来は違うのです,と先生。 相手のご両親からしてみたら,「誰も招いていません」というのが筋で。 確かに。 お邪魔している気持ち,そしてご挨拶をする機会を与えて下さった感謝の気持ちを伝えること。 先生の言葉は母の身に深く響き,揺さぶられる。 産まれたてのこどもは,まだ霊長類ヒト科の動物。 それを親の手と心をかけて人間に育てていくことが親の努め。 けれどわたしたちは注意ばかりで,手をかけようとしない。 正しい理屈ばかりでこどもを圧倒する日々の積み重ねは、やがて理屈ばかりいう子に育ってしまう,と。 いつかわたしの言い続けた理屈でやがてこどもに返されるときが来る。 いえ,もう来ています。 だから,「エサ」を与えてはいけない。 食事の時,お膝が開いていたり,背中をまあるくして食べている姿は,犬と同じだから。 人間としての食事ができる所作を,母が身をもって,そしていつも手の温かさを添えて,伝え続ける。 親が理屈ばかりを言っていると,やがて知識ばかりが頭に入って,ひとの気持ちだとかはわけのわからないまま大人になっていく子になってしまう,と。 だから,こどもたちから笑顔がなくなっているのだ,と。 母親がキレていてはもう,お話にならない。 そこから豊かなものはひとつも生みだせない。 格好だけ身ぎれいな母が多すぎる。 母としての格好の良さとは、心の容量の深さ,ひとへの謙虚な気持ち,ひとを見守れること,待てるちからをこの身に備えること。 みんな,格好の良さというものを誤解している,と。 先生,ありがとうございました。 そして,この会を取り仕切ってくださったうこさんがお声がけされての昼食会。 15名の方と,雰囲気のあるレストランで会食。 ひとりひとりの方の自己紹介がじつによいものだった。 ものをつくりあげることが好き,という方が多く,うこさんを中心に,丁寧に日常を送りたい,誰かと支え合いながら,この子育ての時間のよろこびを共有したい,という方たちばかり。 とてもね,ユニークであたたかい気持ちがひとりひとりの中にあって,それを感じることのできる時間だった。 みなさんのいちばん好きなもの,というテーマでお話したのだけれど,(ま、もちろんわたしはバレエです,もうバレエですね,うふふ)最後にご紹介されたともこさんという誠実な,行動力のある女性が,「好きなひとたちと一緒に過ごすことができる,その時間がとても好きです」とおっしゃった。 そのときのともこさんの,なんともいえないやわらかさがうつくしいなぁ,としみじみ思った。 ひとはみな,神様から授かった,誰かの心を結ぶきれいな音のする鈴を持って産まれてきていると思う。 ともこさんの中の鈴がとてもきれいに鳴り響いて,わたしたちの心にも届く。 こうしてわたしたちは,深く結びついてゆくのだ。 この感じを,豊か,と呼ぶのかな,とふと思った。 ひとのうつくしいところが,そのひとからどうしようもなく滲み,広がり,誰かに響き,そのひとまでもやわらかにする。 そう,きっと,これが「豊か」ということなのだ。 だってわたしたちはみんな,お腹がいっぱいでとてもしあわせに満ちていたから。 うこさん,さまざまなご配慮,今日もありがとうございました。 みなさん,とても美味しかったですね!