科学的根拠 相関関係と因果関係
何日か前に養老武司が『喫煙が肺がんの原因だなんて科学的根拠はない』と何かの対談で発言したというような記事を見た。読むには読んだが、細かいことは忘れてしまった。ネタになりそうだったのでコピーしておけばよかった。そのことに抗議してた人が誰だか忘れてしまったが、その人のコメントをおれの言葉で翻訳すると『あんただって人並みよりは疫学知ってるし、疫学を科学的根拠として自分の主張をしたことだってあるだろう』みたいな感じだった。『今更何言ってんの』みたいなかなりあきれが入っていたように感じた。一般に信じられていることを『実は科学的根拠はない』と言っておいて、そこから自分の主張を論じるのは、科学者がよく使うレトリックである。だからそのあとの養老武司の主張こそが本当は言いたいことだったのかもしれないが、『喫煙が肺がんの原因だなんて科学的根拠はない』が印象に残りすぎて後のことが印象に残らなかった。ナチスがどうとか言っていたから、優生思想的な偏見や差別を生みだしている。とか喫煙者を劣等種として迫害しているとかそういうことを主張したかったのかなと想像している。この場合、そのレトリックがおれには逆効果になってしまった。何しろおれはそのあとの主張をよく覚えていないからだ。『喫煙が肺がんの原因だなんて科学的根拠はない』でちょっと考えてしまった。直観的にこれは間違いであることはわかる。しかし、養老武司は医学部の教授であり、知識人としてもレベルの高い人だ。『喫煙が肺がんの原因だなんて科学的根拠はない』が文芸雑誌での対談中に飛び出した発言であることを考えると、対談の相手は科学者ではないという予想はつく。少し弁護してみると彼は、論文で主張したわけでもなければ、喫煙の影響を研究している学会で発言したわけでもない。大学の講義でそう教えたわけでもない。ざっくばらんな対談中の不用意な発言であり、いちいち目くじらを立てるほどのことじゃないだろう。この発言でおれが考えたことを取り上げてみる。●まず、疫学的な科学的根拠について考えさせられた。養老武司のこのケースの『科学的根拠』は疫学的根拠ではないことは明らかで、『細胞レベルか臓器レベルでのタバコの発がん性のある分子が肺の細胞をガン化させるメカニズムの詳細が明らかにされていない』という意味であることは疑いがない。養老武司が還元主義者だとは思えないのでやっぱ勢いで言ってしまったことなのだと思う。しかし、仮に疫学が科学的根拠にならないとしても、タバコの主要な有害物質であるタールと細胞の癌化の因果関係は科学的に証明されているというコンセンサスは確実にある。発がん性物質を初めて特定したのは日本人の学者だったはずだ。東大か現北里大の人だったような記憶がある。まさかこんなこと養老武司が知らないとはおれには想像できない。疫学というのは統計学を使ってその相関関係を調べる学問であり、統計学の宿命として因果関係は全く明らかにできない。根拠や説明にはレベル、次元があってそれを混合してはならないとおれはこのブログで何度も主張してきたはずだ。疫学でのタバコと肺ガンの相関関係が科学的に証明に値するかはかなり微妙な問題であることは確かだ。これを証明するには『喫煙者が将来肺ガンになる確率が喫煙の影響を考慮しないと説明が不可能であること』を証明しなければならない。ただ『喫煙者が肺がんになる確率が統計学的に有意に高い』というデータだけでは喫煙が直接の原因因子だと特定したことにはならない。示唆するとは言えるがそれ以上は言えない。しかし、喫煙の健康への影響は肺がんだけではない。肺気腫、動脈硬化、脳卒中、心臓病、その他もろもろある。それらがすべて喫煙者がそうなる確率が統計学的に有意に高いというデータがあれば話は違ってくる。統計学はサンプルが多いほど精度が上がる。つまり、関連したデータの増大がそのままデータの質を向上させることになるのだ。実際にタバコの害はあらゆるデータで有意に高い。謙虚に言っても『タバコは健康に何らかの影響があることは議論の余地はない』という疫学者の言い分は誰もが認めるだろう。もちろん養老武司はそんなことは当然知っていたはずだ。こういうことを考えていたらIPCC第4次報告の『気候システムの温暖化には疑う余地がない』『20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い』の科学的根拠も明らかに疫学と同じ方法論から導き出されたものであることが思い出された。このことは何を意味しているのかというと、人間の存在を考慮しなければ気候システムの温暖化を説明することは不可能である。ということなのである。補足すると細かい因果関係はよくわからないが、相関関係があることは議論の余地はない。ということでもある。タバコの害も同じレベルでの科学的根拠なのだ。タバコの害と温暖化の科学的根拠には他にも共通点がある。どちらも基礎的な因果関係は科学的に証明されている。温暖化の場合は二酸化炭素をはじめとする温暖化ガスの温室効果で、タバコの場合は発ガン性物質が細胞をガン化させることである。ただ、複雑なシステムでそれらがどのような工学的なメカニズムで働くのかはよくわかっていない。どちらも、疫学的な相関関係がほぼ確実であることと、もっとも基礎的な因果関係が正しいと認められている。しかし、分子レベルやシステムレベルではよくわかっていない。という共通点がある。●明らかに問題のすり替えが見て取れる。本当ならば肺がんに限定せずに『喫煙が健康に害があるなんて科学的根拠はない』というべきだったのだ。こう言えばだれも騙されない。もっと書きたいことがあったのだが、今日はここまでにする。科学者が『科学的根拠がない』というレトリックを使うときには気をつけることだ。そのことはとりあえず置いておいて、そのあとの本題である自己主張に耳を傾けるべきだ。多分、そっちのほうが大事なことを言っているはずなのだ。本・読書ランキングです↓押してくれ!こっちはアクセス解析です。おれの買い物--本のリンク書く予定