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カテゴリ:日記のようなもの
東京で暮らし、働いてもいるのですが、20年近く生活してて、近所のスーパーやコンビニから文字通り食料品関係が消失した光景には初めて遭遇しました。
インスタント食品や水から始まり、冷凍食品、缶詰、そば、うどん、納豆、ミルク、パン、そして米そのものまで完全消失。入ってくるそばから全て買い占められてしまうそうで、最近では少し保存がききそうなスナック菓子類まで半分くらい姿を消してます。ついには何の関連も無い筈のトイレットペーパーまで・・・。 政府も報道機関も、落ちつこうよ、と呼び掛けてはいますが、あまり効果は無さそうです。 私も先ほど行ってきたスーパーで、姑と嫁とその子供達が5カゴ一杯に、食糧その他をレジに通してる姿に遭遇しました。 そのお嫁さんらしき人の背中には赤ちゃんもいて、他に育ち盛りらしい子供がレジを通した商品を袋詰めしてました。まじまじと見つめてしまいましたが、あちらとしては、「仕様が無いでしょ!?」オーラを全面に展開していました。 説得が通じる雰囲気ではなかったです。 今はまだ外食産業に物資が行きわたってるらしいので、サラリーマン達が飢え死にする事は避けられそうですが・・・。 私は最小限の、調理されたお惣菜1品と、ふんだんに残っている海鮮物の中からシラスと、あとビール1缶。それだけ。 今、レジに並ぶ人達は、なるべく買いこもうとしてる人と、最小限に済まそうとしている人とに二分化されてると思います。 日本人は大震災に遭っても辛抱強くモラルを保って対応してるとか報道されてる事が多いのですが、それも自己の利益が保存されているか、自己利益の保存に走っても無意味だと諦めているかの二通りだと私は受け止めています。 確かに、ちきりんさんが記事にしたような海外では有り得ないような規律の高さも存在はします。が、計画停電の影響で止まってしまった路線の線路を数百人が歩いていってしまったというような現象も起きていますし、何より首都近郊で起きている買い占め現象は、モラルというものの限界を示しています。 なので、私はこう思います。 普段通りの生活を送る事が、何よりの復興支援だと。 街頭やネットなどで義援金を送るのも良いでしょう。 しかし、普段通りの生活をして、消費をして、働いていれば、そこで落ちるお金や税金は、国に渡り、復興支援の費用となりますし、また他の人に渡り経済を潤滑させていきます。 このくらいの震災になると、復興には十年以上かかるでしょう。その間毎月1000円ずつ募金するのは、言うほど容易く無い筈です。しかし、普段通りの生活を送るのは、おそらく可能な筈です。 普段、1カゴしか買わないような人達が3カゴ以上買うのは、どうしたって、普段通りじゃないのです。 言葉で通じないのなら、一人でも多くの人達が、最小限の買い物で済ませている姿を見せるしかありません。 首都圏の物資が枯渇してくれば(またはそう表面上見えれば)、企業も対応せざるを得なくなってきますが、今は被災地への援助が優先されるべき時で、それを補って十分な物資が首都圏にも実際には供給されているのです。 それを、不安に駆られた人々が買い占めているだけで。 だから、普段通りの生活を送りましょう。 停電のある地域の方々はむずかしいかも知れませんが、節電をなるべく心がけるべき時であり協力していくべきですが、それでもほぼ普段通りの生活を送ることは出来る筈です。 無理は続きません。 普段通りの生活で、出来る範囲の事をしていきましょう。 それが普段通りの生活を送れなくなった人々へも、何よりの支援になると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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