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ブログに書き残すような事かどうか少し考えてみたが、やはり一生に一度しか無い事なので書き残しておこうと思う。
もう何十年も難病と闘い続けてきた人で、入院回数も期間も手術回数も飲んでた薬の数も全て把握してた人は誰もいなかったと思う。 あと数ヶ月とかあと半年なんて宣告を何度となく受け過ぎて生き延びすぎて、誰ももう深刻に受け止めていなかったし、本人があと数週間で私は死ぬと言い出しても結果は同じだった。 投薬の結果、人格や記憶が定かでなくなった期間すらあった。家族や自分すら分からなくなって、これは植物状態以上の人格の死ではないのかと思ったりもした。 昨年とその前くらいからフル介護が必要になったりもして、家族も相応の負担をした。自分自身を含めて。月並みだが経験しておいて良かったとは思う。 ここ最近は、当人のこれまでの病歴や状態を鑑みれば安定しており、正月には一週間ほど自宅で普通に過ごせていたらしいし、自分は電話越しにその元気な声に安心したりした。 それから僅か二週間後の今朝方、姉から電話があった。一度切れたが、こんなタイミングでかけてくる要件としてはほぼ一つしか考えられず、かけ直してそれは確かめられた。 悲しくはなかった。 涙を催す気配もなかった。 また暗い部屋の中、ベッドにネコと布団にくるまりながら、込み上げてくるだろう感傷に浸ろうともしてみたが、そうかぁ…、といった漠然としたものだった。 いろいろ間に合わなかったかという後悔めいたものはあったけれども、ツイッタで全く関係の無いやり取りをしながら朝を迎え、忌引きの手配をしたり、ペットホテルのアテをつけたり、その他諸々の準備を終えてから、予想外に早かった帰京を終え、躯となった母と再会した。 やはり悲しみは込み上げなかった。 穏やかな、本当に眠っているだけにしか見えない、往生した姿だった。(本人クリスチャンだけど) 兄弟や親族と葬儀その他の話を詰め、それぞれの家に帰る者と、遺体と共に残る者とに分かれ、台所を片付け、部屋に下がった後のことだった。 洗い物も片付けも済んだ筈の台所で、まだ何かを洗ったり片付けている音が続いていた。親族の一人の叔母さん。ここに通うには少し遠い場所に住んでいるのに、何かにつけ来てくれたり母の世話を手伝ってくれてたりした人だった。 兄が風呂を入れ、本人は疲れたからと入らずに部屋に下がり、叔母さんはまだ興奮しててお風呂入ってもすぐ寝付けずに湯冷めして風邪を引いてしまうからと辞退したので、自分もしばし部屋に下がった。 それから風呂に入る前、叔母さんに声をかけようとした。母の遺体を寝かせてある部屋の入口で、叔母さんは、正座したまま上体と顔を正面に折り畳み、泣くでもなく、震えるでもなく、おそらくその視界は床に向けて閉じられたまま、死体に、人生を終えた誰かに相対していた。 声をかけられず風呂に入り、出て、また部屋の前を覗くと、足を崩し身体を起こしていたので、何言かを交わし、会話の途切れる際にそこで風邪を召されないよう言い残して、自分はまた彼女をそこに残して、部屋に下がった。 まだ一時間ほども彼女は遺体の側にいた。 無言でその遺骸に向き合っていた。 言葉にするなら、あれが死を悼んでいる姿なのだろうと感じた。 これを書き終える頃になって、彼女は風呂には入らず、彼女に割り当てられた寝室に下がり、襖をすーっと閉じた。 これが、自分の母が死んだ一日だった。 2015年1月18日 記す お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
私もBinaryとか色んな事を書いてるんですが、まとまりがなくって参考にさせて頂きたいです♪
私はまだまだなんですけどBOとか色んな事をまとまりなく書いてます(笑) 私も書き方を参考にさせて頂いちゃおうかな♪是非、私のブログも見てみて下さいね☆ (2015.05.21 12:33:19)
はじめまして
Twitterから来ました 名無之直人さんにとって名無之直人のお母さんについて様々な思いがあったようですね はじめてで変かもしれませんがお悔やみ申し上げます。 @hatake_kakasiより (2016.03.11 07:59:02) |
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