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市川準「ノーライフキング」
フリーペーパーや、雑誌にやたら、 インタビューが、続出している 市川準、最新作「トニー滝谷」 読んでると、どうしても、 市川準を見たくなってしまった。 「ノーライフキング」は、 コドモたちが、呪いのかかったゲームソフトの 解除にのりだすことで、自分たちの身近な「リアル」 に気づいていくお話でした。 市川準の映画って、都市風景が、等身大の優しげな視点で 切り取られていて、都市風景のドキュメントの中に、 お話が、ゆっくり、浮かんでるって感じです。 「解かなきゃ死ぬ」という都市伝説が、子供たちの中で、 蔓延しているゲームソフト「ライフキング」 その中に一本混じった「ノーライフキング」 そのゲームプランナーは、子供たちに、 「新しいリアル」を提供するために作ったと 主人公の子供に語る。 「そのリアルは、使い勝手がいいですか?」 とも聞いてくる。 正直、意味がわからない。 主人公の子供は、後半、全国の子供たちから、 「ノーライフキング」の「呪いを解く」期待を 一身に背負い出す。 ネットーワークで結ばれた進学塾に通っているが、 「呪縛解除」が煮詰まったときに、 遠方の「顔を知らない親友」とのチャットによって、 「外に出てみてください」とのコメントを受ける。 普段、見慣れた他愛のない都市風景が、広がっている。 しかし、今までの感度とは、何かが違っていた。 電線、コンクリート、アスファルト、雑草、ビルの連なり、 行き交う車たち、街の人々が、新鮮な「リアル」として、 主人公の目に写ってくる。 春の雨を全身で、気持ちよさげに、浴びる主人公。 ゲームソフトの中から、一歩出て、 自分の周りに広がる、世界の中の主人公であることの、 原始的「通過儀礼」のようだ。 この瞬間、世界は、バランスを取り戻し、主人公に、 やさしく、微笑みかけはじめる。 乱暴に整理すると、 ゲームプランナーが、仕組んだ呪いとは、 寺山修司の「街へ出よ」思想で、ゲームを殺して、 外の世界(ゲーム)に気づくことだったのかもしれない。 潤いがあって、鮮度の高い映像群で、綴られ、 市川準が、映像作家と呼ばれることに対して、 なんとなく、腑に落ちる作品でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 1, 2005 12:15:35 AM
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