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休みの日なのに
めずらしく 早く目が覚めた 夢もみた フィンランドの天然風呂に入る夢だ その天然風呂は ぬるい泥水で 緑がかっている 周りは極寒なのに 極寒だからこそ ぬるくてもあたたまるという思想らしい やぐらが 地中に向けて 張られており アスレチックの遊具のような階段で 泥湯へと至る 材木で組まれた階段をぎしぎし鳴らして 泥湯につかると 最初感じた気持ち悪さや 寒さで逆に凍え死ぬ怖さが どこかへ飛んでいき わりと心地が良い 東京の都内 飯田橋あたりを流れる神田川のような色なので 正直入るのが嫌だったのだ 材木は 荒く組まれており ところどころ ひかりが差し込んでくる 泥湯は 茶と緑が入り混じった複雑な光で 底を照らす 深さは80cmくらいだ 腹が減って 目を醒ますと そんな変な 温泉 いくらフィンランドだからってあるわけないよな とおもい 携帯のネットで 寝床で調べたら やはり そんなものはなかった フィンランドに温泉はあったが そんな怪しいものではなかった だからなんなのか というと なんでもないのだが なんでもないというのは なんらかの すでにある物語の枠に 準拠しているわけではない ということで お話以前のお話だ ということになる しかし わたしは いま おはなし以前の おはなしに興味がある 『象との接続』 半年前くらい やたらと 象の中に 皮膚を抜きにして むき出しの内臓のまま 取り込まれている 「おれ」という意識を 書いていたことがあった 身体の中に 根付いていた なんらかの感覚が 象の内側と人間の混色風景をひり出し続けていた しかし 唐突に接続は 解除された ある程度 筋が見えて その筋に沿って 論理的なるものに 囚われて 感覚が消えたからか 仕事が忙しくなったからか 酒の量を減らしたからか ある意味 健康だったからか 別の意味 不健康だったからか 理由なんてないのだが なんらかの 感覚が 流れたことは確かで きっと飽きたのだろう 身体性が 疲弊していたのかもしれない クラッチが入らない 「標準物語や理想物語の呪縛から離れて自分の物語をつくる」 そんな言葉を立ち読みしていたら 拾ってしまったのだが 最初に おままごとありきな 子供の泥遊び的感覚も大切だろう その泥遊びの中から なんらかのものに 接続された光る筋が見えたり また見えなかったりするのだろうけど その道筋が目的なることよりも ぐちゃぐちゃとこねまわす試行錯誤の感触を 感じつづけることが 空気の循環を良くしていく感じがする きっと その フリーハンドな手仕事感覚を うしなってはいけないのだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 6, 2008 12:41:46 PM
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