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TOTOの「間」というギャラリーで、
安藤忠雄展を見てきた。 模型と図面と、映像と写真が、 その建築を語っている。 実際に、建築空間に、 身をおいてみないと、 わからないことが、多いのだろうけれど、 壁に十字の採光が空いている教会の模型に驚いた。 頭上から眺める、その模型は、木製で精密に作られているのだが、 脇の壁を、斜めにぶち抜いて、一枚の板=壁が貫通している。 そこに隙間も、空いている。 唐突に、見えない巨大なシャベルで、 さくっとシャーベットのように、 頭蓋と脳みそを、すくわれ、 涼しいそよ風が、舞い込んできた感じのする、 大胆な空間設計だ。 言葉はよくないかもしれないけど、 祝福された神聖な事故みたい。 透明で巨大な襖が、 音もなく、壁に滑り込んでくるようだ。 天使の囁き。 目の前に、自然光の十字架。 脇に、自然光の天使。 独学の建築家なのに、アーティストなんだな、 と改めて、感じた。 写真などでは、きっと凄い人なんだろうと、思っても、 実際、記憶に残っていたのは、 凄い、という語感らしきものだけだったような気もする。 などと思うのは、わざわざ、足を運んだことからくる、肯定力なのか。 だけど、いい、気がした。 そして、mageさんが、ネット記事に書いていた「住吉の長屋」が、 実寸モデルで、作られているらしい。 どこにあるんだろう。 せまい板張りの空間を抜け、 室外にある鉄製の骨組み階段で、 上の階へ昇っていくと、 ビルの谷間が広がってくる。 しかも、3階から、裸の空間を、 船のデッキにあるような剥き出しの階段で、 通路は4階への接続へと続き、逆側には、 通路のドン詰まりもあり、そこからは、 ビルの崖が、覗けて、足がすーすーする。 書き割りのように、展示場を隔てる壁の裏には、 板や長い棒など、 階段の横にある板の面を制作した名残が見える。 唐突に、ビルの壁面を巨大なショベルカーで、 すくい取り、神経が風に晒される爽快感がある。 この場に、展示を行うこと自体が面白い。 4階へ入ると、線と長い長い長方形が、 位置を変えることで、ゆるやかに空間をねじり、 滑らかなカーブを描く天井をもつ門の模型と、 設計図があり、実際の建築写真には、 虹の下を歩いている感じの人々が写っていた。 たしか、創造の門と、銘を打っていた。 さらに、別室移ると、どうやら、展示の終了らしい。 行き止まりへ出た。 あ、終わりか。 意外と、省スペースだったな。 と、思いきや、 ひとつの模型が、目に入った。 長方形の中で、 2階建ての立方体が2つ、 宙空の廊下で、結ばれている。 廊下の下は、テラスになっている。 憩いの場だ。 そして、部屋の立方体は、 両側の1階、2階ともに、 全面ガラスばりで向かい合っている。 青天井を中心に抱えることで、 どっと、外気が流れ込んでくる。 内向きの開放性。 小粋な建築だな。 と、隣の写真を見ると、 コンクリ打ち放し、 カロリーメイトのチーズ味のような、 そっけない、ある意味、無愛想な壁面を持った顔面。 「住吉の長屋」その人の模型だった。 目を転じると、どこかで見た宙空の廊下がある。 つまり、鈍感なわたしは、 「住吉の長屋」の実寸モデルは、どこにあるのかなぁと、 思いながら、順路していたのだが、 実は、その内部に、 すでに、取り込まれていたのだった。 宙空廊下は、渡ることができず、 その青天井の吹き抜けを体感できなかったためか、 観覧者が、多かったためか、 少し、息苦しいかな、なども思ったが、 それを突き破る開放感は、 3階から、4階へ上がるための階段で、 すでに、体感していたのだった。 あ、きっと、あんな感じのある、 素敵な空間なのだ。 江戸だか、明治だか、大正、昭和の大衆感が漂う、 大阪の長屋地帯に、突如として現れた、コンクリのブロック。 異物でありながら、内部が、外部と通じる、 いわば「祈り」の形を持った建築。 内部が外部に通じたときの爽快感。 建築とは、空間感覚を更新するアートなのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 6, 2008 01:06:08 AM
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