1998817 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

楽天カード

カレンダー

お気に入りブログ

御用邸のある町・三… New! jinsan0716さん

コメント新着

フリーページ

ニューストピックス

2022.11.11
XML
カテゴリ:続 日本100名城
具志川グスクの悲惨な集団自決の地を訪れた後は「浜千鳥の歌碑」へ。      

9月28日(水) 11:10
具志川グスクから県道37号線を戻り、県道8号線と合流する金武湾港入口交差点手前を右折。
道路標識に従って具志川ビーチを進むが迷いながらどうにか到着。
浜千鳥の歌碑
所在地:沖縄県うるま市赤野58
途中ガタガタ道を走り駐車場は砂利のあるスペースに3台ほど停めれる。トイレや水場の設備
もないので、用は済ませておくといいでしょうとネットから。
奥に見えるのが「赤野漁港」。


浜千鳥の歌碑は、首里王府で汚職事件に巻き込まれた役人の伊波里主が、都を追われて具志川
赤野の浜に身を隠し、首里に残した親を偲びながら詠んだ歌だと云われている。


岩に刻まれた歌碑には、
「旅や浜宿り
 草の葉と枕
 寝ても忘らゝぬ
 我親のおそは」と
【旅に出て浜辺に宿り、草の葉を枕にして仮寝をしていると、思い出されるのは父母と一緒に
 暮らした故郷のことである。】と。


伊波里主が詠んだ琉歌に、民衆が歌詞とメロディを付け加え「浜千鳥節」として歌い継がれて
きたといいます。
1887年(明治20年)に琉球舞踊家の玉城盛重が、村芝居の演目として女性四人組の踊りに創作
して演じ、評判をとったことで、琉球舞踊の定番に「浜千鳥」があり、歌詞の一番目に、この
琉歌が謡われているそうです。


引き潮で岩も現れ絶好の釣りポイントでは。


浜千鳥の歌碑に関連する説明板はなく数分の滞在で後にする。
次の目的地は今日の第一目標地「続日本100名城 勝連城」。
勝連城は浜千鳥の石碑から南に約6キロ先に位置しており、平成27年(2015) 依頼7年振りの
登城である。

11:18
県道16号線(勝連城跡ロード)を南下、前方の丘陵地に勝連城の城壁が現れる。


城は勝連半島の南の付け根部にある標高60mから100mの丘陵に位置している。


県道16号線(勝連城跡ロード)を南下。


11:30
県道16号線(勝連城跡ロード)の左側に、
勝連城跡 あまわりパーク
所在地:沖縄県うるま市勝連南風原3807-2
前回登城した時(2015年)にはこの建物はなかったので新設されたようだ。 


あまわりパークの駐車場へ車を停める。
続日本100名城のスタンプをもらいに勝連城休憩所へ。


観光案内所内にあった、うるま市特産品の店「うるま~る」を訪ねた。
続日本100名城のスタンプはここで頂く。
スタンプ捺印時間は、9:00 ~ 18:00


続日本100名城のスタンプ「200 勝連城」、これでようやく44城目である。


観光案内所の中に貼られていた「うるま市観光マップ」。


勝連城跡 あまわりパーク 施設案内
※ 勝連城跡及び常設展の入場には、料金がかかります。チケットは、歴史・文化施設
  でお求めいただけます。


観光案内所で7年ぶりに合ったおばあ。


早速再会を喜び記念写真。
おばあは7年前と風貌は変わらないが。


うるま市のおばあ 
東江(あがりえ)ツルさん
うるま市伊計島で開催された「イチハナリアート」で生まれた おばあ です!!
おばあも大事なスタッフなのでたたいたり、ゆらしたりしないで下さいね!!!
いじわるしたら、夢に出てくるかもしれませんよ。
  実は、ツルおばあ、3人いるんです。どこかで会えるかも!!
実在するモデルはいません。


横顔を、7年前のおばあはマスクをつけていなかった!


売店の二代目おばあ?
しばしおばあと会話をしここでお土産を購入した。


おばあに推奨され辛いが美味しいと言われた「島ネロ」を土産に購入。
また、今夜の夕食用に2個も購入した。


昼時でアイスも欲しかったが、「うるまのクグロフ ヌチマース(塩)ミニ」を食した。


歴史・文化施設


勝連城跡 あまわりパークの案内図


勝連城跡配置
東の曲輪を発掘調査中だと。


勝連城跡(常設展示室を含む)料金表
2021年10月より世界遺産と関連施設の維持管理の為、入場を有料化したとのこと。
《営業時間》9:00 ~ 18:00 ※入館は閉館30分前まで
《休 業 日 》年中無休
《料  金》大人(高校生以上)個人600円 団体(20人以上)480円
      小人(中学生以下)個人400円 団体(20人以上)320円
      ※ 勝連城跡・常設展含む
      ※ 6歳未満無料
      ※ うるま市内の小中学生は全額免除となります。


① 勝連城跡
  15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利が居城したとして有名
  な勝連グスク。
  2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。
  頂上に登ると太平洋の輝く青い海が一望できる沖縄有数の景勝地です。
② 歴史・文化施設
  勝連城跡を中心とする、うるま市の歴史や文化について、楽しみながら学び、体
  験することができる展示施設です。
  勝連城跡からの出土品などの展示や、演者が躍動しながら解説するパフォーマン
  スガイドで勝連城跡を知ることができます。
③ 観光案内所
  うるま市の観光スポットやグルメ、観光体験メニューなど、沢山のうるま市の魅
  力を紹介しています。
  雄大な自然とともに、歴史や伝統文化を堪能できるうるま市を楽しんで下さい。
④ 城入口 ⑤ ユビタ池 ⑥ 飲食・物販エリア ⑦ 公園エリア


勝連城跡 あまわりパーク
勝連城跡は、沖縄本島中部の勝連半島の根元に位置する標高約98mの小高い琉球石灰
岩丘陵上に築かれたグスク(城)です。12世紀から13世紀にかけて築城されたと考えら
れ、琉球石灰岩の切石で築かれた城壁には、琉球のグスク特有の曲線の美しさを見る
ことができます。城壁で区切られた空間は曲輪(くるわ)と呼ばれ、勝連グスクは五つ
の曲輪からなり、最も高い一の曲輪から階段状に低くなり再び東の曲輪で高くなる姿
を、昔の人々は巨大な進貢船に例えました。
海外との貿易により栄えたと伝わり、第10代目城主であった阿麻和利(あまわり)は、
琉球国王をも脅かす勢力を持っていたといわれています。
ーの曲輪からは、北は遙か金武湾を囲む北部の山々や太平洋に浮かぶ離島が見え、南
は知念半島や中城湾を臨み、湾を隔てた先には阿麻和利の政敵であった護佐丸の居城、
中城グスクを見ることができます。
1458年、王府に反旗を翻した阿麻和利は首里へと攻め入りましたが敗北してしまい、
勝連グスクは阿麻和利とともに歴史の幕を降ろしました。


EVカー乗り場 <実証実験中>
行先:勝連城跡四ノ曲輪まで


顔出しパネル
阿麻和利(Lord  Amawari)と百度踏揚(Queen Momoto Fumiagari)。
阿麻和利は、15世紀の琉球王国において、勝連半島を勢力下に置いていた按司である。
北谷間切屋良村出身。幼名は加那。勝連城主。
百度踏揚は勝連城主・阿麻和利の妻。


ちょうどEVカーが来る、将来はこれも有料乗車になる予定とのこと。


スタンプをもらい次の目的地へ移動、県道16号線(勝連城跡ロード)の勝連城跡案内。
折角来たので道路脇に車を停め、勝連城の入口へ。


あまわりパークの駐車場がある県道16号線(勝連城跡ロード)の北方向を振り返る。


勝連城入口
この先は今年から有料になったと。


三の曲輪の高石垣をズームアップ。


「世界遺産 勝連城跡」碑。


この後のスケージュールがあるので城内散策はスルーした。

よって、ここからの写真は、平成27年(2015) 6月19日(金)に訪れた時の勝連城。
勝連城は南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切
られた一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪を備える(曲輪は郭とも言う)。一から三までの曲輪が階段
状に連なり、一の曲輪(右側)が最も高い。


正面に「三の曲輪」の石垣を見上げる。


デッキを上る。


三の曲輪の下の広場に「史跡 勝連城跡 昭和四十九年三月三十一日 建立」の石碑が建つ。


三の曲輪への階段。


左側に廻り込み。
勝連城跡は沖縄の世界遺産で最古のグスク。世界遺産に登録された勝連城跡は、風光明媚な景
勝地として県内でも有数の観光スポットとなっています。


自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われる勝連城ですが、優雅な曲線を描く城壁は、芸術
的な美しさを感じさせます。


先端部をズームアップ。
標高約98mの琉球石灰岩丘陵上に築かれたグスクは、美しく湾曲しながら上昇していく城壁が
見事です。散策しながら楽しく頂上を目指しましょうと。


三、二の曲輪へ登るとコバルトブルーに輝く太平洋が一望できる沖縄有数の景勝地である。


平安座島、遠く宮城島を望む。


頂上の「一の曲輪」に設けられていた案内板。
赤矢印が現在地


一の曲輪から、東方向の左側に平安座島、右側に浜比嘉島。


海中道路を見下ろす。

一番高い一の曲輪からは360度の絶景パノラマが楽しめる。朝日に赤く燃える城壁も素晴らしい。


遠くに沖縄電力具志川火力発電所の煙突が見える(中央の白い建物)。


最後の城主 阿麻和利(あまわり)
北谷間切屋良(ちゃたんまぎりやら:嘉手納町)で生まれた阿麻和利は、すぐれた才能の持ち主
で、勝連按司(あじ)に仕えました。領民の信望を得た阿麻和利は、9代城主・茂知附(もちづき)
にかわって城主となると、本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、この勝連を大いに繫栄
させたと伝承されています。
その様子を沖縄の古謡『おもろさうし』に、次のように謡われています。
 一 かつれんわ なおにきや たとゑる
   やまとの かまくらに たとゑる
 又 きむたかは なおにきや
   (勝連は、なんにたとえようか、京都や鎌倉にたとえる
   又 気高き勝連は、なんにたとえよう)
 一 かつれんの あまわり
     とひやくさ ちよわり
 又 きむたかの あまわり
 又 かつれんと にせて
 又 きむたかと にせて
   (勝連の阿麻和利、千年もこの国を治めよ、
   又 気高き按司阿麻和利よ 又 勝連にふさわしく
   又 きむたかの名にふさわしく)
   若くして勝連の按司となった阿麻和利は、1458年、宿敵護佐丸を討ち、天下の統一を夢
   見たが王府軍に攻められて落城し、廃城になったといわれています。
                         (護佐丸・阿麻和利の乱)


7年経った現在はこれ以上に整備されているのであろう。


石灰岩の通路の上には木製の階段が設けられていた。
ここまでの写真は7年前のものです。


勝連城入口の向い側に以前の観光案内所があり、現在は2026年オープン予定の「公園エリア」
を整備工事中であった。
この左側には2024年オープン予定の「飲食・物販エリア」が建設される。


12:10
世界遺産 勝連城跡駐車場は移転しました。
あまわりパーク駐車場へ  ⇐ 150M先 右側
この後、目的地を「平安座島」にして県道16号線(勝連城跡ロード)を南下。



                                      ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.11.11 03:00:07
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.