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カテゴリ:近隣の市の歴史散策
川田谷諏訪神社参拝後は、北側にある庚申塔、石仏めぐりに。 4月15日(月) 9:50 石戸の庚申塔 所在地:埼玉県北本市石戸上1505番地 田園風景の農道脇に建っていた庚申塔。 畑にはビニールハウス、太陽光発電が建ち、ハウスではトマト、イチゴの生産販売。 庚申塔を挟んで右側は北本市、左は桶川市になる。交通量が少ないので農道脇に車を止める。 庚申塔は覆い屋で覆われ、前には木製の鳥居も建っていた。 背丈もありひときわ目立つ庚申塔だが説明板がなく詳細は不明。 移設されたのか、覆い屋も簡素なものだが。 ネットでヒット。 建立年:宝暦4年(1754) 形式等:舟型・浮彫り、高さ119、幅50 銘 文:宝暦四甲戊天九月吉日 願主 下石戸上村講中 彫刻等:穏かな顔、瑞雲日月、一面六臂、戟、輪宝、矢、弓、合掌、2鶏、邪鬼、3猿 馬頭観音 所在地:埼玉県北本市石戸9丁目 石戸の庚申塔から東へ走り数百メートルの所にある馬頭観音。 馬頭観音を撮影していると散歩中の地元の方から「この先の桜が綺麗だよ」と。 覆い屋の下に2基の馬頭観音。 地元の方から綺麗だといわれたサクラ。農道の先に ”石戸の庚申塔” 。 また「荒川沿いの吉見のサクラも綺麗だ」と。 馬頭観音・6体地蔵尊 所在地:埼玉県桶川市川田谷6286 馬頭観音から更に東へ走り数百メートル先の墓地の中にある。 左に新しい馬頭観世音、右に6体地蔵尊。 両サイドに字が刻まれていた、 右側には「○大僧○龍清法印 〇先祖菩提」 左側には「○大僧○龍清法印 正徳二壬庚二月十六日」と。 敷地内に枯れた大きな古株があり、かつては杜の中にあったのであろう。 馬頭観音・6体地蔵尊から県道33号線(東松山桶川線)を北上、サクラの森が見えていたので右折 し立ち寄る。埼玉県のこの辺りは関東平野のど真ん中で目標とする山がなくカーナビがたより。 天台宗 大藏寺 所在地:埼玉県北本市石戸6丁目206 天台宗寺院の大藏寺は安楽山無量院と号します。大藏寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵 風土記稿に「同宗同末(放光寺と同じく天台宗、川田谷村泉福寺の末)、安楽山無量院と號す、 本尊阿彌陀開山玄秀。阿彌陀堂」とありますと。 県道33号線(東松山桶川線)から見たときは綺麗に見えていたが既に散っていた。 葉ザクラのソメイヨシノを見上げる。 参道の左側に地蔵。 ここの地蔵の台座にも「地蔵札」が貼られていた。 また台座には「奉造立地蔵尊像 昭和四十七年三月吉日」と。 葉ザクラが散る下に山門。 山門を潜ると正面に本堂。 路面にはサクラの花びらが飛び散っていた。 天台宗 総 本 山 比叡山 延暦寺 高 祖 天台大師 智 顗 宗 祖 伝教大師 最 澄 立教改宗 桓武天皇 延暦二十五年(平安時代の初期) 本 尊 法華経に説かれている久遠実成の釈迦如来とすべての諸佛・諸菩薩等は同類一体 である。よって、それぞれの縁に随って奉安敬信する。 教 義 法華経に述べられている一乗真実の教説を根本として、密教・禅法・念佛等をそ の実践門とする。 教 典 法華経に示されている諸法実相の立場を基本としてひろく大乗経典を讃仰・読誦 する。 当山本尊 阿弥陀如来 本堂のご本尊さまに先ず合掌 大藏寺本堂 境内に咲いていたボタンの花。 いつの間にか咲いていたボタンだ。 境内に赤い頭巾、前ダレをした地蔵が何体もあった。 本堂改築 庫裡新築 竣工記念碑 本堂前から山門を望む。 葉ザクラのソメイヨシノを見上げる。 ソメイヨシノの樹径も大きくなり大木に。 この後、大藏寺を後にし西側へ移動。 県道57号線(さいたま鴻巣線)沿いにあった古い墓石。 いつかこの県道57号線(さいたま鴻巣線)を北上し鴻巣方面へ行きたいが。 この後カーナビを「北本市の阿弥陀堂」にセット。 阿弥陀堂への途中、Googleマップに庚申塔等があり探す。 石戸宿1丁目の庚申塔 所在地:埼玉県北本市石戸宿1丁目 カーナビの案内では近くに来たが北側に古民家風の建物。 入口の立て看板に「株式会社 アジアメデカ元気事業団」と。 アジアメデカ元気事業団の本社は東京千代田区内神田にありここは北本オフィス。 日本からアジアへ、医療機関の開業・運営支援・介護施設の開業・運営支援・さらには 優秀な人材を育む教育システム等のご提案を通している。 敷地内を探し庚申塔らしきものを発見。 道路から10メートルほど入り撮影。 庚申塔には「宝永二・・・」と刻まれていた。三猿の彫り物も。 八雲神社 所在地:埼玉県北本市石戸宿1丁目110辺り 道路脇に小さな社殿が建っていた。廻りは新地になっていたが。 八雲神社といえば北本市には8丁目にも ”石戸八雲神社” がある。 境内は新しく整備されたのか、また詳細については説明板もなく不明。 社殿の扁額は手書きの「八雲神社」。 内陣を覗き見撮影。 道路を挟んだ南側に石碑が建っていた。 石碑には「愛蚕之碑」と。 愛蚕之碑 昭和六年春蚕條桑育ニ際シ長野懸萩原千太次氏ノ考案ニカカル蚕病豫防剤○〇ホサンヲ試用セ シニ其ノ効果絶大ナリシニ〇ニ且東京高等蚕糸學校波多野岩吉先生並ニ静岡懸古橋正一郎先生 ノ學理的研究ニ合致セルニ深ク感ジ爾後十有三年○○ニ普及セン。努力セリ然ルニ此ノ○○ノ 使用極メテ簡便殺菌力大ニ而ニ食欲ヲ増進セシムル特効アルニヨリ業界ニ歓迎セラン其ノ目的 ヲ達スルニ至レリ 今ヤ大東亜決戦下繊維不足ノ折柄益々之ガ普及ヲ圖リ蚕糸ノ増産ニ寄興セント欲ス 茲ニ散〇普及セル記念トシテ之ヲ建ツ 愛蚕之碑前から西側を望むと目的地の「阿弥陀堂」が見えていた。 阿弥陀堂は道路の北側にあり地蔵も北向きであった。 阿弥陀堂 所在地:埼玉県北本市石戸宿1丁目110辺り ここにも説明板がなく、創建年代等詳細は不明。 左側に”石戸宿阿弥陀堂の青面金剛” 10:35 道路拡張で移動されたのであろう、その際に阿弥陀堂は改築されたか。 ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.16 11:06:26
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