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カテゴリ:近隣の市の歴史散策
"石戸城と一夜堤" を後にし、桜堤通りへ戻る。 4月15日(月) 11:35 狭い路地を抜け ”石戸城跡説明板” 前へ。 ここ桜堤通りを右折し北上。 道路脇に「桜堤通り」と。 Googleマップに載っていた「モチの木」。 石戸城跡説明板前から北上し直ぐにある ”モチの木” を振り返る。 木の根元にプレート。 保護樹木指定標識 保護樹木名 モ チ 指定番号 第64号 指定年月日 平成7年2月1日 北本市 この辺りは桜堤通りの東側で、石戸城の ”三の郭” であろうか。 桜堤通りを北上、サクラ並木の ”城ヶ谷堤 (桜土手)” の南側入口。 右下が先程車を止めた場所である。 天神下公園駐車場 所在地:埼玉県北本市石戸宿7丁目128 約二百メートル程城ヶ谷堤(桜土手)を走り、左下に駐車場があり立ち寄る。ここは城ヶ谷堤(桜 土手)の西側にある駐車場(無料)で公衆トイレもあった。 この日は天気が良く車内気温が上がるので日陰を探して駐車。 城ヶ谷堤(桜土手)をズームアップ。 駐車場ではテントの撤収が行われていた。前日まで”桜まつり”が開催されていたのか。 石屋下沼 駐車場下にある沼で右側 (西) を荒川が流れている。 沼の周りには多くの釣り人が楽しんでいた。 駐車場の北側の竹林前に案内板を見つける。 Googleマップでこの辺りに「横田薬師堂下湧水」があると。 横田下の湧水群は、市内でもっとも水量の豊富な湧水地で、1991年(平成3年)の調査では毎分 262㍑を記録し1日に 377t(トン)もの水量になりました。 湧水の水源は、雨水です。地下に浸透した雨水は、長い時間をかけて地層を巡り再び地面に噴 出し、湧水となります。湧水が、夏は冷たく冬は温かく感じられるのは、雨水が長い時間温度 の一定な地中にあるためで、その水温は年間を通して常に15℃前後です。 市内には湧水地が10か所ほど確認されており、いずれも豊かな動植物を育む源になっています。 ここ横田下の湧水群の周囲はヤナギやハンノキが小さな林を形成し、コムラサキなどの蝶類を はじめ、サラサヤンマやオオアオイトトンボなどのトンボ類の貴重な生息地になっています。 北 本 市 案内板の手前には、野生のケシの花が咲いていた。 我が家でも咲いているが他の花の色に影響するからと妻からじゃま者扱いにされている。 そんな花も群生すると綺麗だが。 駐車場から下り木道の遊歩道へ。 竹林の中に「横田薬師堂下湧水」の標識柱。 下の方は草に覆われていた。 この時期、草むらへ入るのも嫌で。 草むらから水が湧き出ていた。 駐車場へ戻る。 天神下公園駐車場から桜堤通りへ上がり ”城ヶ谷堤 (桜土手)” の南方向を望む。 天神下公園駐車場のすぐ北側に目的地があり車を道路脇へ停める。 北本ウオーキングマップ(北本市全域) 桜堤通りの道路脇にあった案内板、現在地は黄色の丸辺りで川島町に近い。 現在地辺りをズームアップ。 この日動いている地域になる。 北本ウォーキングマップ 北本は、住宅地の庭木から、里山の面影を残す雑木林や荒川の田畑まで多様な緑を感 じることができるまちです。この北本ウォーキングマップは北本の農業と結びついた 文化的景観と市内の主要な施設を案内するものです。 石戸蒲ザクラ D-4 一夜堤 D-5 エドヒガンザクラ C-4 北本市子供公園 D-4 北本市役所・文化センター B-2 北本中央緑地 C-1 埼玉県自然学習センター D-4 城ヶ谷堤 D-5 真福寺 B-3 高尾さくら公園 B-5 高尾宮岡ふるさとの緑の景観地 B-4 野外活動センター B-5 北本市産業観光課 石戸谷の庚申塔 所在地:埼玉県比企郡北本市石戸宿7丁目 案内板の近くにあったが、Googleマップで住所が比企郡と。北本市であるので修正が必要。 座にも三猿が彫られている。 側面には「享和元○○二〇吉祥日」と。 車を止め歩いて「横田薬師堂」へ向かう。 道路の左側にも紙垂で飾られた”笠付き庚申塔”であろうか一基あった。 横田薬師堂 所在地:埼玉県北本市石戸宿7丁目121番地辺り 桜堤通り沿いにある門柱に「横田薬師堂」と。 北本市石戸宿にある横田薬師堂は、薬師如来像の安置に際して、宝暦二年(1752)川越の宮大工 により建立されたという。 また、薬師堂墓地は、明治初期に各家の屋敷地近辺にあった個人墓地を寄せ集めて造られたも のという。そのため、薬師堂前の墓石は移設された感がする。 昭和三十七年十一月に建てられた「薬師堂改修記念碑」には、「薬師堂は江戸時代中期宝暦二年 九月御本尊薬師如来の安置に際し、武州川越の住、宮大工星野入右エ門重春の作とあり、間口 二間、奥行ニ間半、草葺の堂宇と、間口三間、奥行二間半の庫裡は遠く江戸時代より幾星霜を 経て、漸く類廃著しく、茲に地区民相計り、今後公会堂として改修使用致すべく、祖先の霊眠 る墓地関係者はもとより、広く区内一般の努力により、本堂草葺屋根を瓦葺に、庫裡を亜鉛葺 に改修す」とある。冷暖房の室外機があり利用されているようだ。 境内に入ると左側に建つ「薬師堂改修記念碑」。 昭和三十七年十一月に建てられた石碑で裏面に上記文言が彫られている。 横田薬師堂の東側百メートル程の農道脇に石碑。 ここもGoogleマップに載っていた「馬頭観世音 (石戸宿)」。 石碑には「馬頭観世音 明治二十年一月立之 願主 矢部平吉」と。 畑越しに桜堤通り沿いに咲くサクラを望む。 Googleマップに載っていた北本市石戸宿8丁目辺りにある「供養塔 (県道標)」を探す。 カーナビの案内で進むが住宅街に入り道が行き止まりになり引返す。 その片隅にあった2基の墓石。 12:10 供養塔(県道標)は見つからなかったが、 左側の碑の側面には「明治丗六年一月吉日」と、お酒も供えられていた。 ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.18 03:00:08
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