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2022年06月09日
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カテゴリ:旅日記
​  臨済宗建長寺派 寿福寺。鎌倉五山の第三位にして鎌倉市扇ガ谷一丁目17番7号に所在。亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさん じゅふくきんごうぜんじ)と号する。

 一帯は「源氏山」と呼ばれたようで、「このあたりは源頼朝の父、義朝の屋敷があったところと言われてます」(鎌倉市教委HP).

 「(寿福寺は)1200年(正治2年)に北条政子が頼朝の遺志を継いで明菴栄西を招いてここに寺を建て始め」とも。
 この寺院から国指定史跡国泰寺跡に第三世住職 霊雲が派遣されている。そこで、筆者は平成7年に一度、訪問した。

 今回、この寿福寺で紹介するは写真にある「源氏山」碑。
 碑題にあたる「篆額 てんがく」が篆書体で書かれているため、理解しにくい。しかし碑文を読むと、すぐに「源氏山」と解することができる。
 同型の碑が鎌倉市内の随所でお目にかかった。その基数、70基が閲覧可能と紹介。
 https://kamakura.press/cal/category/kamakura-hi/ 鎌倉 史跡碑・旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

 碑の建立者は「鎌倉町青年団」とある。建立期は「大正時代から昭和初期」。
 国指定史跡「永福寺邱𦾔蹟=旧跡」は確かに「大正」とあった。
 大正デモクラシーから昭和恐慌期に至る時期の建立。一はそこに関心があった。

 二に地域の古老が発意しての建立。それは理解する。しかし「青年団」=正確には「靑年團」が、発起するというのも注目点。
 三に最重要の一基、ゆずって2~3基を建立とするのはいずれの地にも例がありそう。しかし、その数「鎌倉市内に80ヶ所弱、設置されていると言われていました」。

 その規模は、北海道では思いつかない。
 しかも結構に「偉丈夫 いじょうぶ=からだが大きくてたくましい男」と言うべき、風格のある碑。
 碑に敬意を表して「三解脱門」へ向かう。表に「山門不幸」の駒方札。御堂の前には「御朱印は休みます」。

 このたぎ携帯の『御朱印帖」。せめて当山で一筆。
 そう思ってでかけるも「五大不調 遷化」のお方があっては。
 







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最終更新日  2022年06月10日 16時10分04秒
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