039212 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

異邦人の部屋

異邦人の部屋

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

Paganus

Paganus

Freepage List

Calendar

2009.02.03
XML
カテゴリ:日々雑感
 この恐慌に当時の資本主義先進国は例外なくダメージを蒙る
こととなったが、植民地を持つ国(アメリカ・イギリス・フラ
ンス)は様々な政策を採り、そのダメージの軽減に努めたが、
持たざる国(日本・ドイツ・イタリア)はそれが出来ず、国に
よっては全体主義の台頭を招くこととなった。第一次世界大戦
後、世界恐慌まで続いていた国際協調路線は潰え、第二次世界
大戦へと大きな一歩を踏み出すこととなった。

 この中で経済政策で対応し、かつ、満州を経済圏に持つ日本
のGDPは1934年には恐慌前の水準に戻り、ニューディー
ル政策をも採用したアメリカは1941年まで恐慌前の水準に
回復することが出来なかった。

 アメリカの大統領フーヴァー(共和党)は古典的経済学の信
奉者であり、国内においては「自由放任主義」を採用したが、
その一方で1930年スムート・ホーリー法を定めて保護貿易
政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させた。1931年のクレ
ジットアシュタルト銀行の倒産により、ヨーロッパ経済の更な
る悪化が予想されるにいたり、フーヴァーモラトリアム(支払
猶予)を実施したが、とき既に遅く、恐慌は拡大の一途を辿る
事になった。

 1932年後半から1933年春が恐慌のピークであった。
株価は恐慌発生直前の80%以上下落、工業生産は平均で1/3。
失業率は25%に達し、閉鎖された銀行は1万行に及び、19
33年2月には全銀行の業務が停止、社会主義革命の現出が懸
念されるほどであった。

 このような中、次期大統領のF.D.ルーズベルト(民主党)
は修正資本主義に基づき、ニューディール政策を採用した。

 ただし、彼の採用したニューディール政策は1930年代後
半の景気回復期を前にして後退したことにより再び危機的状況
に陥った。そのため、アメリカ経済の本格的回復は、その後の
第二次世界大戦による戦時経済需要の増大まで待たなければな
らなかった。

 イギリスのマクドナルド内閣(労働党)は失業保険の削減等
緊縮財政を取り、労働党を除名され、保守党と自由党から援助
を受け、挙国一致内閣を組織し、1931年9月21日に金の
兌換停止(金本位制の放棄)を実施した。また、経済的見地か
ら広大な植民地の維持を放棄しつつ、自国の経済圏に止めるた
めにイギリス連邦を組織し、ブロック経済を推進して行く事と
なった。

 フランスはイギリスと対抗するためにフランブロックを形成
し、ファシズムとも対抗するためにソビエトと相互援助条約を
締結、コミンテルンの指導を受けた人民戦線内閣を組織するに
いたる。なお、1937年6月に金本位制を放棄し、歴史的意
味でも金本位制は過去のものとなった。

 ドイツは第一次世界大戦の敗戦により各国から巨額の賠償金
を請求され、さらにフランスによるルール占領などにより極度
に弱体化した経済は世界恐慌により深刻な状態へ陥った。その
ために大量の失業者が溢れ、国内経済は破綻状態に陥った。

 その中、共産主義とナチズム(国家社会主義)が台頭。失望
した人々の期待を集め、1933年、ヒトラー内閣が成立し、
共産党を弾圧、独裁体制を構築して行く事となる。

 ヒトラー内閣はソ連の計画経済の成功を受け、4ヵ年計画を
策定、軍拡と公共投資の拡大を実施した。また、民間の重工業
化を支援することにより失業者は劇的に減少し、経済的な回復
は達成された。

 日本は第一次世界大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌
等により弱体化していた経済は世界恐慌とほぼ同時に行われた
金解禁と当時の主要産業である軽工業などの輸出の落ち込みに
より危機的状況に陥った。株の暴落により都市部では会社の倒
産が相次ぎ、就職難民や失業者が溢れた。農村部では農作物の
売れ行きが低下し、価格が下落。冷害や不作等により疲弊した
農村では娘の身売りや欠食児童が急増し社会問題化した。

 国民の困窮する中、労働者や小作農の立場に立つ政党が台頭。
治安の悪化を恐れた政府は治安維持法の強化などに努めること
となった。

 高橋是清蔵相による積極財政(一時的軍拡を含む)、円の切
下げ、アジア貿易への依存、重工業化への経済体制転換、軽工
業産品の輸出拡大などにより、1930年代後半には世界に先
駆け大恐慌前の水準に回復したが、欧米諸国のブロック経済政
策との間の貿易摩擦が顕在化、軍官僚の暴走を止めることが出
来ず、第二次世界大戦へと向かうこととなってしまう。

 ソ連は共産主義国家だったために主要国の中で唯一世界恐慌
の影響を受けず、高い経済成長率を保つことが出来た。また、
資本主義国家が大恐慌で苦しむ中、経済発展を続けるソ連とス
ターリンの美化が進んだ。大恐慌下で救いを求める人々の一部
は共産主義に未来を夢見た。

次に続く





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.02.03 04:30:44
コメント(0) | コメントを書く
[日々雑感] カテゴリの最新記事


Favorite Blog

たぬきの隠れ家 たぬきねいり2さん
探険かもめ島 かもめ0507さん
保管 fmエステルさん
埼玉県危機管理・災… 埼玉・危機管理さん

Comments

Paganus@ そうですね 日本人は元来が「貧乏人」的発想をします…
たぬきねいり2@ 同じ事を感じました ジーゼルエンジンなら別ですがガソリンエ…
たぬきねいり2@ 昨今の 行革の著しい挫折をみると、ありそうなこ…
Paganus@ Re:違うでしょう。(08/16) たんかれいさん  文民統制の歴史的経…
たんかれい@ 違うでしょう。 文民統制とは ・宣戦や講和の権限 ・軍…

Recent Posts

Headline News

Archives

・2024.06
・2024.05
・2024.04
・2024.03
・2024.02

© Rakuten Group, Inc.