キリスト教 (1)
キリスト教とは キリスト教(基督教、きりすときょう)は、ナザレのイエスを救世主キリスト(メシア)と信じ、旧約聖書に加えて、新約聖書に記されたイエスや使徒たちの言行を信じ従う伝統的宗教。 世界における信者数は20億人を超えており、全ての宗教の中で最も多い。教派と信徒数 キリスト教は、おおむね次のように分類される。 1.原始キリスト教(最初期のみ、下記の諸教会の前身) 2.西方教会:西ローマ帝国で発展した教会。 1)カトリック教会 2)プロテスタント:16世紀の宗教改革運動によりカトリックから分離した諸教派。主な教派として次のようなものがある。 a.聖公会(イギリス国教会) b.ルーテル教会(ルター派) c.改革長老教会(カルヴァン派) 3.東方正教会(オーソドクス):東ローマ帝国で発展した教会。 4.東方諸教会:単性論の諸教会(アルメニア使徒教会、コプト正教会など)、ネストリウス派など 世界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、1993年の集計で約21億人(うち、カトリック10億人、プロテスタント諸派計5億人、東方正教会2.4億人、その他教派2.75億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人をはるかに超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。なお、ここでいうキリスト教信者とは、洗礼を受ける等公式に信者と認められた者の意で、必ずしも積極的に信者として活動しているものを意味しない。例えばフランスでは9割以上が信者であるが、積極的に信仰実践しているもの(教えを守る、教会に行く)は7割であるといわれる。 日本国内に限ればキリスト教の信徒数は約200万人程度と言われ、" 神道約10,600万人 " あるいは " 仏教約9,600万人 " という数字に比すと少数派に留まる。 また教派とはいえないが、信仰形態に着目した分類として、とくに次の区分を用いることがある。 1.民衆キリスト教(スペイン、フランス、イタリア、中南米などの田舎で信仰される、カトリックとローマ帝国以前の多神教信仰の習合形) 2.土着キリスト教(上記「民衆キリスト教」と似ているが、中南米の非白人から信仰されている擬似キリスト教。例:ブードゥー教) 教典 紀元後1世紀から遅くとも2世紀末までに成立したとされる「新約聖書」(神の「新しい契約」の意。ギリシャ語聖書とも言う)だけでなく、(新約聖書の基礎として)ユダヤ教の聖典でもあるヘブライ語聖書も旧約聖書(神の「旧い契約」の意。)として教典とする。 キリスト教でいう旧約聖書の範囲は、教派によって異なる。 また、新約聖書の諸文書の位置付けも、わずかではあるが他と異なる教団もある。これらの分類(正典化)は古代末期に成立した。伝承では新約聖書は1世紀末までにイエスの直弟子(使徒)とその追随者たちによって書かれたとされているが、近代以降の研究の結果、現在ではいくつかの文書は彼らに仮託され、2世紀末までに成立したと考えられている。教義 キリスト教は、ユダヤ教から派生した一神教である。所謂正統教義では、神には、同一の本質をもちつつも互いに混同し得ない、区別された三つの位格(父なる神と子なる神(キリスト)と聖霊なる神がある(三位一体)とする。なお、上記と異なる神の概念を有する教派もある。たとえば三位一体を否定する教派(エホバの証人やユニテリアンなど)がある。こうした教派を「キリスト教」とみなすかどうかは多く議論の的となっている。アダムとイヴの背信行為以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして罪を背負っている存在であるが(原罪)、(神にして)人であるイエス・キリストの死はこれを贖い、イエスをキリストと信じるものは罪の赦しを得て永遠の生命に入る、という信仰がキリスト教の根幹をなしている。 キリスト教の根本教義をまとめたものを信条(信経)という。もっとも重要なものとして、現在のキリスト教のほとんどの教派が共有するニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年に成立)と、それとほぼ同じ内容を含むがやや簡略で、西方教会で広く用いられる使徒信条(成立時期不明。2世紀から4世紀頃か)がある。信条は教会内に存在した異端を否定するために成立し、現在も洗礼式や礼拝で信仰告白のために用いられる。以下、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の構成に沿って、キリスト教の基本教義を示す。 1.神は三位一体である。 2.父は天地の創造主である。 3.子なる神イエス・キリストは万物に先立って生まれた父の独り子である。したがって被造物ではない(アリウス派の否定)。また子は父とともに天地を創造した。 4.キリストの聖母マリアからの処女生誕。地上におけるキリストは肉体をもった人間であり、幻ではない(グノーシス主義や仮現説の否定)。これはわたしたち人類を救うためであった。 のち、キリストの人性についての解釈の違いから東方諸教会が生まれた。 5.キリストは罪人としてはずかしめられ、十字架上で刑死したが、三日目に復活した。昇天し、栄光の座である「父の右に座している」。 6.キリストは自らの死によって死を克服し、人類をもまた死から解く正当な権能を得たと信じられる。 7.キリストは再臨し、死者と生者すべてを審判し、その後永遠に支配する。 8.聖霊も神(=人格をもった存在)である。聖霊はイエスの地上での誕生に関係し、また旧約時代には預言者を通じてその意思を伝えた。聖霊もまた被造物ではない。 なお聖霊は父から生じたか、それとも父と子から生じたかは後世議論の的となり、カトリック教会と東方正教会の分裂の契機となった(フィリオクェ問題)。 9.教会の信仰。新約聖書では教会を、イエスの意思によってたてられた地上におけるイエスの象徴的身体であり、聖霊がその基盤を与えたとする。そのような理想的教会は、時間と空間を超えた統一的な存在であり(一性)、神によって聖とされ(聖性)、万人が参加することができ(普遍性)、イエスの直弟子である使徒たちにつらなるものである(使徒性ないし使徒継承性)と信じる。これを実現することが信者の務めである。キリスト教信仰は、他者との歴史的また同時代的共同(交わり)の中にのみ成り立つもので、孤立した個人によって担われるものではない。 なお使徒性ないし使徒継承性については、西方教会では意見の相違がある。 10.洗礼(バプテスマ)による罪の赦し。 神すなわち「父と子と聖霊」の名において教会においてなされる洗礼は、時代や場所や執行者に左右されず、ひとつのものであり、それまでに洗礼を受けるものが犯した罪を赦す。洗礼を受けることは信者となって教会に入ることであり、またキリストの死による贖いを信じうけ認めることでもある。ここから、罪を赦された後=入信後は、信者はその赦しに応えて再び罪を重ねないように努力するべきであると信じられる。 11.死者の復活と来世の生命。上述のようにキリストの再臨において、すべての死者は審判を受けるべく復活させられる。信じるものには来世の生命が与えられる。 伝統的にキリスト教では、この来世を、永遠、つまり時間的な持続をもたない永遠的現在と解する。 またこれに加えキリストの死(ないし犠牲)を記憶することも信者の重要な義務である。これは礼拝においてパンとぶどう酒を用いてなされる。プロテスタント以前に成立した教会では、パンとぶどう酒が祈りによりキリストの体と血(聖体)に変化すると信じる。カトリックでいうミサ、東方正教会でいう聖体礼儀はこの記憶を行うための礼拝である。教義を異にし聖体の概念を否定するプロテスタントでも、類似の儀式を行う。これを聖餐という。キリスト教最大の祭である復活祭は、この聖餐をキリストが復活したと信じられる日に行うもので、毎年春に行われる。 教義には教派ごとに若干の変異がみられる。たとえばアルメニア使徒教会などの単性論教会は、キリストの人性は神性に融合されたとする。ローマ・カトリック、聖公会、プロテスタントなどの西方教会は、聖霊を「父と子から発し」とし、東方の「父から」のみ発するとする立場に対立する。またプロテスタントとローマ・カトリック他の伝統的教会では教会についての教義に差があり、使徒の精神を共有することをもって使徒性と解するプロテスタントに対し、カトリック他では聖職者が先任者から任命されることに神聖な意義を認め、その系譜が使徒にまでさかのぼること(使徒継承性)を教会の正統性の上で重視する。また聖餐論においても、カトリックや正教会など伝統的教会とプロテスタント諸派の間には大きな意見の差がある。詳しくはそれぞれの教派の項を参照されたい。 上記の多数派と異なる教義を有し、かつキリスト教を自認するものを異端という。多数派は、神概念の多神論的解釈、キリストの人性のみか逆に神性のみしか認めない、聖霊を人格的存在ではなく神の活動力とする、キリストを被造物とする、キリストの十字架(=贖罪死)と復活を認めない、などを異端として排除する。ただしカトリックの聖人崇敬、及び天使崇敬に多神教の性格を指摘する見解もある。なお現代では共存している各教派も歴史的には互いを異端といい、また教義の上では他派の見解を異端として、自派にもちこむことを多く拒否している。異端と正統の違いは、視点の違いが含まれている点にも留意されたい。from Wikipedia Japan