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2023.12.16
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カテゴリ:書籍

怪談の科学

 日本の幽霊についてはいろいろ論じられているが、その特徴を一つだけあげるとすれば、それはなみ外れて執念深いことである。(226ページ)
著者・編者中村 希明=著
出版情報講談社
出版年月1979年7月発行

精神科医の中村希明さんが、人間がおかれた心理状態や精神疾患の観点から、収集した多くの怪談話を科学的に解き明かす。40年以上前に出版されたものだが、昨今のネットに流れる陰謀論が怪談に似ていると感じ、そうした投稿の背景を知るヒントにならないかと、本書を再読してみた。

第1章では、「この手の幽霊は案外ハイカラで、新しい乗物を好む」(10ページ)として、タクシーの客席やジェット機の操縦席にも幽霊が現れるという。そういえば、『呼び覚まされる霊性の震災学』では、東日本大震災後の石巻や気仙沼の多くのタクシードライバーが幽霊を乗車させたという記録がある。また、海外の話になるが、妖精グレムリンは航空機や宇宙ロケットにまで現れたという。中村さんによれば、これらの幽霊の正体は、運転手が疲労やストレスのピークに達したときに起きる高速道路催眠現象 (ハイウェイ・ヒプノーシス) だという。
人間は一人ぼっちになったときに、孤立性幻覚を見ることがあるという。これも、睡眠不足や飢え、極度の疲労などの肉体条件や遭難の不安などによって、いろいろな変化がみられる。また、同じメカニズムで、仲間も信じられないという精神的孤立感に立たせることで、洗脳ができるという。
一過性脳虚血発作が起きると、一時的に見当識を失うことがある。中村さんは、大人の「神隠し」は一過性脳虚血発作が原因ではないかと推測する。側頭葉てんかんでも同じことが起きる。

第2章では、飢えや雪山といった極限状態における幻覚を開設する。
まず、チャップリンの『黄金狂時代』で靴を食べるシーンを取り上げ、「飢えという条件で起こる幻覚を見事に描いてみせた」(66ページ)と紹介する。中村さんは、白虎隊が天守閣陥落を誤認して自決したのは、「はっきりしたリーダーがいなかったこと、彼らが心理的に集団感染を起こしやすい思春期の少年たちばかりで構成されていたこと」(74ページ)が背景にあると推測する。
t凍死の幻覚として、ラフカディオ・ハーン『雪女』、アンデルセン童話『マッチ売りの少女』を挙げる。一般に、脳温が34℃以下または40℃以上になると幻覚が起きるという(96ページ)。

第3章では、幽霊はなぜ丑満刻に出るか考察する。
人間は入眠時に幻覚を見ることがある。とくに、身体的な過労、病気などの臭和感などに、入眠前の精神的不安、緊張などの心理的なファクターが加わってくると、不安、恐怖に満ちた入眠時幻覚が出現するという(110ページ)。ラフカディオ・ハーンの『食人鬼』がその代表的作品だ。また、正常者でも長時間眠らせないでおくと、大部分の人に一過性の幻覚を生じさせることができる(114ページ)。
アルコールやベラドンナ、阿片、LSDも幻覚を見せる。ベルリオーズの『幻想変響曲』は、失恋して多量のの阿片を飲んだ青年作曲家が致死量に達せず奇怪な夢を見るという内容だ(126ページ)。
中村さんが、現代の青少年たちが薬物を使って幻覚の世界に逃げ込む背景として、社会生活を維持するために、本能や欲望を、規律や戒律、道徳などによって抑制することを学ばなければならないはずなのに、逆に規則でがんじがらめにされ、本能が爆発する場を求めるためではないかという(132ページ)。昔は「祭り」が本能の発散の場となっていた。
中村さんは、精神疾患的な幻覚を扱った作品として、モーパッサン『オルラ』、芥川龍之介『二つの手紙』、ゲーテ『[詩と真実:ASIN:4003240693/]』、ドストエフスキー『二重人格』などを挙げる。
中村さんは、旅の途中で山姥のような化け物に襲われ逃げる話は、半分は当時の治安の悪さを反映したものであり、残りの半分は旅人の被害妄想と入眠時幻覚の産物だろうという(152ページ)。

第4章では、精神変調時の幻覚を取り上げる。
中村さんは、精神変調を来すのは、アルコールなどの薬物や高熱などの(1)外因精神病、精神病になりやすい体質などの(2)内因性精神病、なにか大きな精神的ショックによって発病したような(3)心因性精神病の3つがあるという(163ページ)。『四谷階段』『番町皿屋敷』は、良心の呵責から精神異常を来した主人公の体験する幻覚であり、本人だけに見えて健康な周囲の人には見えないものだ。
池田弥三郎や柳田国男は、お岩やお菊のように幽霊は特定人物を目指して出現するもの、妖怪は特定の場所に出現するものと区別している。

第5章では、怪談の論理を考える。
マッチ売りの少女』を読めば分かるとおり、幻覚は欲求のうちでもっとも切実なものから現れる。第二に、管理社会化が進み競争が厳しくなり、人間疎外の環境が進むとき、人は手軽にもたらされるドラッグの幻覚に一時退行して、魂の渇きを満たそうとする。そして第三は良心との葛藤である。中村さんは、「幻覚はまさに、極限状況における、環境とその人のパーソナリティーとの全反応」(209ページ)と指摘する。
イギリス人は幽霊ぱなしが大好きだ。理性を重んじて空想を排する古典主義の伝統の根づいたフランスでは、怪奇文学はあまり発達しなかった。ドイツの幽霊は北方系で、デンマークやスラプの幽霊に近く、陰気くさい。ロシアでは土俗の臭いのする怪談が多い。ストラピンスキーは、創作のあい間にみた異様な異教の儀式の幻想にもとづいて『春の祭典』を書き、ムソルグスキーは、旧暦7月の真夜中に開かれる魔女の宴会の伝説にもとづいて『はげ山の一夜』を作曲した(215ページ)。
総じて西洋の幽霊は、頭が良く、妖怪的な要素が強い。一方、日本の幽霊は、なみ外れて執念深い(226ページ)。中村さんによれば、日本の幽霊が執念深いのは、現世の淡白さと表裏の関係にあるのではないかと推測する。
人間は、幽霊をすっかり追放できたのだろうか――中村さんは、UFOや超能力、オカルトブームをみると、幽霊は姿を変えただけで、人類の心の奥底にある未知なるものに対する好奇心、畏敬の念は、あまり変わっていないという(235ページ)。
人は、神を否定しながら新しい神を求め、自然科学を信じながら、自然科学の及ばぬ未知な領域、超能力の世界を求めるのである。つまりあまりにも強大になりすぎた人類のおごりが、未知なる、より強力な存在への畏敬を起こすのである。現代の幽霊こそ、こういう現代科学に対するアンチテーゼとして、存在しているのである(236ページ)。

中村さんは、仲間も信じられないという精神的孤立感に立たせることで洗脳ができるというが、これこそ、現代のネット社会に流れる陰謀論ではないだろうか。リアル社会での交友関係を遮断され、エコーチェンバーによって五感が閉ざされ孤立させられ、下手をすると、怪しげな健康食品やアロマによって幻覚を見せられる環境が整う。中村さんによれば、日頃、負い目を感じることが幻覚として出やすいというから、自責の念が強い人を洗脳するには打って付けだ。
陰謀論によって強い自責の念を他責に置き換えることで、自分が救われたように感じる。だがしかし、問題はなにも解決していない。そして、一度、陰謀論に取り憑かれた人は、科学に耳を傾けようとしない。
ネットの陰謀論も幽霊と同じで、現代科学に対するアンチテーゼだと感じた次第。






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最終更新日  2023.12.16 12:23:50
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