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書籍

2019.09.19
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カテゴリ:書籍
未来の年表 人口減少日本でこれから起きること

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること

 「結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、子供が生まれなくなった社会の行き着く果てに待ちうけるのは、国家の消滅である。(9ページ)
著者・編者河合 雅司=著
出版情報講談社
出版年月2017年6月発行

著者は、産経新聞社の論説委員で、人口政策、社会保障政策を専門とする大正大学客員教授の河合雅司さん。第1部では、人口減少が続き、出生数も 100 万人を割っている日本で、これからどのようなことが起きるのかを「未来年表」として整理する。まず驚くのが、来年 2020 年、女性の 2 人に 1 人が 50 歳以上になることだ。
河合さんは、「経済が成長し続けたとしても、少子化に歯止めがかかったり、高齢者の激増スピードが緩んだりするわけでは断じてない」(6 ページ)と指摘したうえで、それにどう対応していけばよいのかを、第2部で提案する。われわれ国民一人一人に発想の転換を迫る内容だ。

河合さんは、日本の喫緊の課題を 4 つに整理する。
+出生数の減少
+高齢者の激増
+勤労世代(20~64 歳)の激減に伴う社会の支え手の不足
+これらが互いに絡み合って起こる人口減少

今後の人口シミュレーションでは、高齢者の割合は増えるのだが、企業などが即戦力として期待するような比較的若い高齢者(65~74 歳)はむしろ減っていくという。IT産業における人手不足が、AI など新規技術の開発の足を引っ張るという悪循環に陥る。
晩婚・晩産の影響で、育児と介護を同時に行わざるを得ない「ダブルケア」に直面する人が増え、働き盛りの介護離職も増えるだろう。

河合さんは「東京一極集中は日本の破綻につながる」(79 ページ)と警鐘を鳴らす。東京は食料やエネルギーの供給を地方に頼っており、その地方から人材を吸い上げて、地方が機能しなくなったのでは、東京自身の首を絞めることに他ならないからだ。

2027 年には、輸血の必要量がピークを迎える。怪我人に対する輸血は全体の 3.5%程度で、多くは癌患者に使われる。血液を必要とする高齢者が増え、一方で献血する若者が急減しており、輸血用血液の不足は深刻な社会問題となるだろう。

地方人口が縮小すると、継続できない事業が出てくる。事業の存在確率80%でみると、訪問介護事業は 2 万 7500 人、救急告示病院は 3 万 7500 人、有料老人ホームは 2 万 5000 人、大学や映画館は 7 万 5000 人、公認会計士事務所は 8 万 5000 人の人口規模が必要。このため、2040 年には自治体の約半数が消滅の危機にさらされるという。

急速に高齢化が進む東京圏では、介護を要する高齢者用のベッドが不足し、さらには斎場や火葬場が不足するだろう。遺族が減ると、自治体が無期限で保管している納骨堂が一杯になるかもしれない。

河合さんは、高齢化と少子化とは全く種類の異なる問題としたうえで、「日本の少子高齢化と人口減少の実態は、大都市部と地方とで大きく異なっている」(126 ページ)と指摘する。つまり、大都市部では総人口はあまり減らず、高齢者の実数だけが増えていく。これに対して、地方では総人口は減少するが、高齢者の実数はさほど増えるわけではない。

労働者が減ることに対し、外国人労働者や AI(人工知能)の利用が提案されているが、河合さんは「開発者たちが AI を使った未来図を描くことなく、単なる精度競争に引きずられたならば、人口減少社会の課題解決に役立たぬものにしかならない可能性だってある」(157 ページ)ちお手厳しい。

河合さんは第2部で、戦略的に縮むことを提言する。「戦略的に縮む」「豊かさを維持する」「脱・東京一極集中」「少子化対策」の 4 つをキーワードとして、現段階で着手すべき「日本を救う 10 の処方箋」を示す。
24 時間営業を止めるなど便利過ぎる社会からの脱却や、非居住エリアを明確化することなど、大胆な発想転換が必要であることをアピールする。
そして、「時代の変遷とともに、国際情勢は変わり、日本社会の在り方もどんどん変わっていく。人口減少対策とは、こうした変化も踏まえながら、世代のリレー方式でじっくり腰を据えて議論すべきテーマ」(199 ページ)と結ぶ。







最終更新日  2019.09.19 12:01:24
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2019.09.08
カテゴリ:書籍
戦争の物理学

戦争の物理学

 士官学校で数学と天文学、物理学を学んだナポレオンは、戦争にとって科学が重要であることを理解し、フランスの科学技術が常に時代の最先端となるよう、その振興に力を入れた。(157ページ)
著者・編者バリ・パーカー=著
出版情報白揚社
出版年月2016年3月発行

戦争が科学技術を進化させたとよく言われる。電子レンジやインターネットも戦争の産物だ。では、それより前の時代はどうだったのか――。
本書は、紀元前 1286 年のカデシュの戦いにはじまり、兵器が動く仕組みとその歴史を、物理学の視点から整理し直したものである。物理学の数式は登場するが、丁寧な図版が数多く盛り込まれており、理解の助けになるだろう。

本書を読むと、物理学が明確に兵器の発展に寄与するのは、ナポレオン戦争後であることが分かる。それまでは経験則で兵器を改良していた。
そして、1500 人の科学者を集めたマンハッタン計画でピークを迎える。第二次大戦後、理論上、威力に限界がない水爆が登場する。一方、トランジスタの発明により、兵器の様相が一変する。こうした電子機器を破壊する電磁波爆弾(e爆弾)も登場する。
物理学が進歩すればするほど、哀しいことだが、兵器はより強力になってゆく。だが、電磁波爆弾のように、殺傷能力は無く、戦争遂行能力だけを奪うような兵器もまた、物理学の産物である。
戦争は無くならないだろうが、技術屋としては、戦争をするのが馬鹿馬鹿しくなるほど物理学が進歩することを願っている。

紀元前 1286 年のカデシュの戦いでは、馬が引く戦車「チャリオット」が大きな役割を果たす。車輪は物理学で動く。
古代ギリシャでは、バリスタ(弩砲)や、オナガーやトレビュシェットといった投石機(カタパルト)が、物理学を基に誕生した。アレクサンドロス大王は、こうした新兵器を駆使し、史上空前の大帝国を築き上げる。
ここで、物理学の重要な概念である、速度、加速度、力について整理している。初期の兵器の多くは、物理学で「機械」と呼ばれるものに相当する。機械は仕事を簡単にするための装置であり、重い箱などを楽に持ち上げられるようにする長い板がその単純な例だ。

弓は、エネルギー保存則によって矢を放つ。弓はエネルギーを蓄える機械だと言える。射手の筋肉の力が矢を低速で引き、弓が蓄えたエネルギーを高速で解放したのである。
ローマ人はギリシャ人が使っていたバリスタやオナガーなどの兵器を利用していたが、それを改良しようとはしなかった。
1066 年のヘイスティングズの戦いではクロスボウが、百年戦争の最中、1346 年のクレシーの戦いではロングボウが威力を発揮する。ロングボウの矢は標的が 90 メートル以内にあれば、鋼鉄の板を貫くことができた。

火薬は中国で発明されたとされているが、酸化剤である硝石の質が悪かった。哲学者ロジャー・ベーコンは硝石の純度を高め、百年戦争最後のカスティヨンの戦いでは、大砲が威力を発揮した。
科学革命の時代、タルタリアやガリレオが、投射物の運動を解析し、大砲の照準器の精度を高めた。さらにハンドキャノンや銃が登場し、戦場での犠牲者数も増加した。戦い方も変わり、相対する軍隊どうしが接近する機会は減って、遠くから撃ち合うことが多くなると、砲弾を放つ兵士が、みずからが殺した相手を目にすることはなくなった。
ニュートンの研究は、直接兵器開発につながったわけではないが、光学の研究は双眼鏡となって結実し、馬入引力の法則と微積分法は弾道計算に応用された。

産業革命の時代、ウィルキンソンはワットの考案した新型蒸気機関を使って、それまでより小さな労力で多くの大砲を製造できるようにした。また、ロビンズは弾丸の速さを測定するために、「弾道振り子」と呼ばれるものを発明した。ロビンズの大発見は戦争に革命を起こし、イギリスをヨーロッパ屈指の強国へと変えることになった。化学者ラヴォアジェは、火薬の製造法の改良し、フランス軍の火薬庫を満杯にした。
士官学校で数学と天文学、物理学を学んだナポレオンは、戦争にとって科学が重要であることを理解し、フランスの科学技術が常に時代の最先端となるよう、その振興に力を入れた。
フランス陸軍のクロード・ミニエー大尉は、円錐形の銃弾を開発し、雷管式の薬莢を備えた。すでに開発されていたライフル銃と併用することで、銃の性能は飛躍的に向上した。
これら新兵器が総動員されたのが南北戦争である。
継電器を使った遠距離電信、気球を使った観測、スクリュープロペラを搭載した艦船、機雷と潜水艦――決戦となったゲティスバーグの戦いでは、両軍とも 2 万 3 千人を超える死者を出すことになった。

第一次世界大戦では、発明されたばかりの航空機が登場する。また、南北戦争の時に発明されていたガトリング法を改良した機関銃が活躍する。さらに、迫撃砲や高射砲、手榴弾が登場した。火炎放射器やガス兵器も投入され、兵士は恐怖した。1916 年、イギリスで「マーク I」戦車が披露されると、ロイド・ジョージは感銘を受け、すぐさま戦車の量産を命じた。無線技術も導入された。

第二次世界大戦では、無線技術やレーダー技術が活躍する。イギリスで性能の高いレーダーが開発されたが、心臓部のマグネトロンを量産できないことが分かっていたチャーチルは、アメリカにマグネトロンを提供する見返りに、それを大量生産してもらった。ドイツがレーダーの威力をみくびっていたことが、イギリスに幸いした。
第二次世界大戦ではジェット機が登場し、なかでもイギリスの「スピットファイア」は性能が高く、多くのドイツ軍機を撃墜した。
ロケット兵器も登場した。ドイツのV2ロケットは、命中精度は低かったものの、時速およそ 3500 キロという圧倒的なスピードは住民に恐怖を与えた。
無線電信では盗聴を防ぐために暗号が用いられた。ドイツのエニグマは解読が困難な暗号化装置だったが、コンピュータの父と呼ばれるイギリスのアラン・チューリングが、その解読に貢献した。
原子爆弾は、リーゼ・マイトナー、レオ・シラードなど、開戦前からその可能性に気づいていた科学者がいた。ナチス・ドイツは「ウランフェアアイン」(ウラン・クラブ)を作り、原子爆弾の研究を行った。1940 年、イギリスでは MAUD 委員会が設立された。アメリカでは、真珠湾攻撃の直前にマンハッタン計画が立ち上がる。最初 30 人だった科学者は、最終的には 1500 人に膨れ上がった。原爆の開発には膨大なリソースが必要だった。
一方のドイツでは、ハイゼンベルクが原子炉を機能するように研究を続けていたが、原子爆弾を製造するにはほど遠い段階にあったことがわかっている。

第二次世界大戦後、水爆やミサイル、レーザー兵器の開発が進んだ。
エンリコ・フェルミは、マンハッタン計画が始まる前に、核融合爆弾に気づいていた。最初の水素爆弾「マイク」の組み立てが公式に始まったのは、1952 年 9 月のことだった。原爆の威力には限界があるが、理論上、水爆の威力には限界がない。
電磁波爆弾(e爆弾)は、人を死傷させずに電子機器を破壊することができる爆弾だ。

著者のパーカーさんは、未来の兵器として、人の脳から出る電磁波を解読するセンサーを挙げる。「こうしたセンサーを人工衛星やドローンに搭載すれば、戦場で敵の『心を読める』ようになる時代が来るかもしれない」(408 ページ)と指摘する。
そして、「20 世紀に頻繁に起きていたような悲惨な虐殺行為を起こすことなく、紛争を解決する方向へ導く技術の登場を願っている」(408 ページ)と締めくくる。







最終更新日  2019.09.08 12:06:32
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2019.09.04
カテゴリ:書籍
珈琲の世界史

珈琲の世界史

 コーヒーに熱い思いを抱く人がいる限り、きっと何十年、何百年後も、地球のどこかで誰かが、その歴史に思いを馳せながら、1杯のコーヒーを飲んでいるに違いありません。(249ページ)
著者・編者旦部 幸博=著
出版情報講談社
出版年月2017年10月発行

著者は、微生物感染症学が専門で、学生時代にコーヒーにはまったという旦部幸博さん。人気コーヒーサイト「百珈苑」 https://sites.google.com/site/coffeetambe/ を主催する。『コーヒーの科学』(講談社ブルーバックス)で書けなかったという、コーヒーの歴史を整理したものである。
イエメンからコーヒーがイスラムやヨーロッパへ伝わった経緯や、オスマン帝国、清教徒革命、フランス革命、ナポレオンの大陸封鎖令、ボストン茶会事件といった有名な歴史的イベントとコーヒーの関わり合いが知ることができる。
近代になると、貿易商品としてコーヒーの重要性から、国際コーヒー協定(ICA)が結ばれるに至る。
戦後、コーヒー豆やインスタントコーヒーの輸入自由化された頃、私が産まれた。学生時代、個人経営の喫茶店に入り浸っていたが、これが第一次ブームの頃だ。これらの個人店は、バブル経済の加熱とともに閉店し寂しい思いをしたものだが、バブル崩壊後、スターバックスが上陸後し、再び喫茶店に足を運べるようになる。そして、現在のお気に入りはコンビニのレギュラーコーヒーだ。はるか昔、イエメンに現れたコーヒーの先祖に思いを馳せながら、今日もその香りと味を楽しむことにしよう。

コーヒー豆がなるコーヒーノキの化石は、まだ発見されていない。ただ、近縁のアカネ科植物の花粉の化石から、約 1440 万年前の中央アフリカのカメルーン付近で誕生し、アフリカ大陸一帯の熱帯林に広がったと推測されている。
人類がいつコーヒーを見つけたかも明らかになっていないが、コーヒーという言葉はアラビア語の「カフワ qahwah」に由来するという。これがトルコ語の「カフヴェ kahve」になり、ヨーロッパに伝わった。日本にはオランダ人が最初に持ち込んだため、オランダ語の koffie から、「コーヒー」という呼称が生まれた。「珈琲」という漢字は、中国語表記の「??」から独自に考案したものと考えられている。

634~644 年頃、イスラム教徒の一派が商売のためにエチオピアに渡った。このとき、コーヒーがイスラム圏内にもたらされたと考えられている。10~11 世紀に書かれたアル=ラーズィーの「ブン」とイブン・スィーナーの「ブンクム」は、初めてコーヒーについて紹介している。その後、コーヒーは一時姿を消し、15 世紀のイエメンで「カフワ」という飲み物として現れる。カフワは、15 世紀初め、モカからイエメン各地のスーフィー教徒の間に広まる。
また、イエメンを支配したオスマン帝国は、外貨獲得に役立つコーヒーノキの栽培を奨励し、コーヒーが普及する。

イスラム圏に広まったコーヒは、17 世紀に入り、4 つのルートを通ってヨーロッパに上陸する。1573 年、レヴァントを旅行したドイツの医師で植物学者のレオンハルト・ラウヴォルフは、人々が「チャウベ」という飲み物を飲んでいるのを目撃し、『東方旅行の実録』(1582 年)で紹介した。これがヨーロッパ人初のコーヒー目撃情報だ。
1630 年代、イギリスにコーヒーが伝わり、コーヒー 1 杯 2 ペニーという安さのコーヒーハウスでは、カフェインの薬理作用で頭をはっきりさせ人々が政治談義に花を咲かせたようである。
パリのコーヒー店はフランス革命にも影響を与えた。バスティーユ襲撃の日、ジャコバン党に出入りしていたジャーナリストが、パレ・ロワイヤルの回廊にあるカフェ・ド・フォワのテラスから演説を行った。
ドイツでは、バッハの「コーヒー・カンタータ」が流行し、国の資金が海外に流出することを恐れたプロイセン王フリードリヒ 2 世は、1777 年にコーヒー禁止令を布告したほどだった。
17 世紀半ばにはアメリカに伝わり、ボストン茶会事件の前後でコーヒーの消費量は 7 倍に跳ね上がった。コーヒー豆不足になったアメリカでは、紅茶の代わりに薄いコーヒーが普及し、これがアメリカン・コーヒーの初まりである。

ヨーロッパ列強で、最初にコーヒー栽培に手を出したのはオランダだったオランダ東インド会社は 1619 年にインドネシア・ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)を占拠し、17 世紀半ばに中継交易に翳りが見えはじめたため、植民地の住民に、指定した作物を栽培させ、安く買い上げて利益を得る方針に切り替えた。
コーヒーの覚醒作用の本体がカフェインで、そもそもヨーロッパの植物には存在しない、代用不能な成分だと判明したのはナポレオン戦争の終結後だった。1819 年にフリードリープ・ルンゲが、文豪ゲーテにもらったモカの豆からカフェインを発見。
ナポレオンもコーヒーの愛飲者で、流刑中のセントヘレナでは毎食後に欠かさずコーヒーを飲んでおり、亡くなる数日前にもコーヒーが欲しいと訴えたという。
ナポレオンが失脚し大陸封鎖が解かれ、ヨーロッパ全土でそれまでの不足を取り返すかのような消費拡大がおきた。ブームの中心になったのは中産階級の市民や知識人たちだった。アメリカで焙煎機の改良が相次ぎ、大量焙煎が可能になった。また、鉄道網の発達により、輸送や流通も改善された。
19 世紀前半にはイエメンのコーヒーは、モカ以外の港から輸出されるようになった。ただし、どの港から出荷されても、取引時には「モカ」として高値が付き、ブランド化された。

コーヒーは、政治体制にも影響を与えてきた。
1791 年、コーヒー農園で働かされていたハイチの黒人奴隷が自由を求めて革命を起こし、奴隷制復活を目指して派兵されたナポレオンの遠征軍にも勝利して、1804 年に世界初の黒人奴隷の革命政権として独立を果たした。
大陸封鎖令に従わなかったポルトガルは、1808 年、ナポレオンの侵攻を受け、王族は植民地ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに亡命し、ここを暫定首都とした。リオの産業やインフラは発展し、少し離れたヴァソーラスを中心にコーヒー栽培が盛んになった。
1898 年、ベルギーでロブスタ種が発見され、コーヒーさび病に耐性があることが分かった。

第1 次大戦に入ると、アメリカでインスタントコーヒーが普及した。戦時中はどの国でもコーヒーは軍に徴用されて、前線の兵士に支給された。カフェインが兵士の眠気防止や疲労感を軽減し、ストレスの軽減にもつながったからだ。
第2 次大戦後、コーヒーの消費者離れを食い止めようと、アメリカでコーヒーブレイクが考案され、オフィスもコーヒー消費の場となった。
1962 年には、コーヒーの取引価格を安定させるための国際コーヒー協定(ICA)が結ばれ、大規模で国際取引されるコモディティコーヒーが誕生した。

日本は、戦後から 1980 年代頃までの間に、焙煎や抽出の技術を国内で研鑽していった結果、まるでガラパゴス島のように独特の進化をとげたコーヒー文化を持つ国に成長した。
初めて文献に珈琲が登場するのは、江戸時代の 1804 年のことだ。明治に入り、1888 年、上野黒門町で「可否茶館(かひさかん)」という喫茶店が誕生する。ブラジル移民の父と呼ばれた水野龍が銀座に 1911 年 2 月に開業したのが「カフェー・パウリスタ」は、ブラジルから無償のコーヒー豆を提供され、低価格のコーヒーを出した。現在の日東珈琲だ。
喫茶店では女給が働いており、これが、風俗店のようなカフェーに発展するが、戦後、GHQ によって取り締まりの対象となる。
1960 年には生豆輸入が自由化、1961 年にはインスタントコーヒーが完全自由化された。1970 年代から喫茶店は増加していき、1981 年には 5 万件を超えて黄金期を迎える。だが、バブルで地価が急上昇。客単価が低い喫茶店は撤退を余儀なくされた。

一方、アメリカでは、品質低下していく一方だったコーヒーに我慢できず、アルフレッド・ピートやエルナ・クヌッセンがスペシャルティコーヒーを提案した。そして 1986 年、シュルツがスターバックスのスタイルを確立した。
スペシャルティコーヒーは、画一化されて品質低下していくコモディティコーヒーに対する一つのアンチテーゼであり、フェアトレードの動きも広がった。1990 年代に入ると、国際コーヒー協定が突然破綻し、コーヒー価格が大暴落を起こす。
この危機に際し、スターバックスは世界進出の足掛かりとして日本に上陸した。2000 年代に入ると、スターバックスに対するアンチテーゼとして、コーヒーのサードウェーブが訪れる。

旦部さんは最後に、「コーヒーに熱い思いを抱く人がいる限り、きっと何十年、何百年後も、地球のどこかで誰かが、その歴史に思いを馳せながら、1 杯のコーヒーを飲んでいるに違いありません。――そう、今のあなたや私と同じように。」(249 ページ)と締めくくる。







最終更新日  2019.09.04 12:36:04
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2019.07.25
カテゴリ:書籍
聖☆おにいさん第17巻

聖☆おにいさん第17巻

 主「クソリプが不快なら、この父に言うがよい‥‥全て塩の柱にしてやろう」(52ページ)
著者・編者中村 光=著
出版情報講談社
出版年月2019年7月発行

ルシファーの力の源は 8 センチのヒール?
フランス語を習得したら、高い塔を建設してはいけない?
ジャンヌ・ダルクが降臨。大家の松田さんにフランス語を教える!?
創造主は Twitter の鍵アカを覗くこともできるのか!?
大相撲が天界大戦争に!?
ヨハネは定時退社の守護聖人?
現代に蘇ったフラ・アンジェリコがフレスコ画を描くと器物損壊になる?

全知全能の神は、ネットにおいてもネ申であることが判明し、実写ドラマ第II紀もネット配信中。今日も立川は平和です。全 8話







最終更新日  2019.07.25 21:32:51
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2019.07.21
カテゴリ:書籍
ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 第6巻

ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 第6巻

 ロックフェラーI世「ロックフェラー家当主に必要な資質は、豪運でも強烈なひきでもない。正しい判断力だ」
著者・編者大和田秀樹=著
出版情報竹書房
出版年月2019年6月発行

著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。
シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章は、麻雀高校女子ワールドカップだ。

御門葩子と戦うロックフェラー財閥の次期党首候補クロエ・ロックフェラーは、神技に近いイカサマをしてみせる。そして、正しい判断力をつかんだクロエは、超レア役「大七星」でアガる。
トビそうになる葩子。だが、明日萌がプロジェクションマッピングでクロエのチョンボを誘う。

ゼーレ、サタデー・ナイト・フィーバー、シュレディンガーの猫、はやぶさ‥‥何もかもをネタにする大和田秀樹ワールド!







最終更新日  2019.07.21 12:58:19
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2019.07.19
カテゴリ:書籍
ハプスブルク帝国

ハプスブルク帝国

 ヨーロッパでは、君主と諸身分の合議による政治が一般化するうち、両者が討議し合意形成を行う場が、恒常的に設けられるようになった。これが身分制議会の発端である。(49ページ)
著者・編者岩崎 周一=著
出版情報講談社
出版年月2017年8月発行

本書は新書ながら 400 ページを超える分厚いもので、「ハプスブルク帝国に関心があるか、詳しいことは何も知らない」(4 ページ)読者のために書かれたという。
高校の世界史で、ハプスブルク帝国は覚えるのが大変な題材の 1 つだった。国家通史として扱われないから、教科書のあちらこちらに散発的に登場し、全貌が見えなかったからだ。だが、田中芳樹氏の『銀河英雄伝説』を読み、銀河帝国の始祖ルドルフ大帝の名が、ハプスブルク家の最初の神聖ローマ皇帝と同じであることから、その歴史を見通せるようになった。どちらも選挙で選ばれた皇帝であり、始祖から 500 年後、神聖ローマ帝国はナポレオンに滅ぼされ、銀河帝国ゴールデンバウム王朝はラインハルトによって滅ぼされる。
本書は、1273 年のルドルフ 1 世の即位から始まる――。
宗教改革、レコンキスタ、三十年戦争、フランス革命、ナポレオン戦争、ウィーン会議、第一次世界大戦、ナチス・ドイツ‥‥すべてハプスブルク家が関与しており、その視点から西洋史を整理し直すと、帝国主義と民主主義の違いは、通史が教えるような単純なものではないと感じる。

選帝侯による選挙は、現代民主主義のそれとは異質なものである。だが、全体主義回避という目的は同じだ。そして、選帝侯全員の賛成が必要という。反対する選帝侯は、事前に入れ替えてしまったようだ。私たち日本人が、ゲルマン民族に共感を覚えるのは、こうしたメンタリティが共通しているからかもしれない。

1508 年、ハプスブルク家のマクシミリアン 1 世は、神聖ローマ皇帝の戴冠を受けるべくローマへ向かうがヴェネツィア共和国の妨害を受け、トレントで戴冠式を挙げる。これ以降、ハプスブルク家の皇帝はローマで戴冠式を挙げることはなくなった。
マクシミリアン 1 世は、自らがブルゴーニュ公国の一人娘マリーと結婚するなど、結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いた。中世最後の騎士と呼ばれたが、フッガー家との交流を通じて得た資金で傭兵や武器を整える一方、芸術へつぎ込んだ。デューラーなどの芸術家のパトロンとなり、ウィーン少年合唱団の前身をつくった。ちなみに、マクシミリアン 1 世がマリーにダイヤモンドの指輪を贈ったのが婚約指輪の始まりとされる。
この後、ハプスブルク家は「戦争は他国にさせておけ、なんじ幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」というモットーのもとに領土拡大したとされるが、血縁者が断絶した領土を併合していったというのが史実である。わが国でも戦国時代に政略結婚が盛んに行われたが、断絶の効果の方が圧倒的であったことと同じだ。

1519 年、マクシミリアン 1 世の孫、カール 5 世が神聖ローマ皇帝として即位する。母方の祖父母はグラナダを陥落させレコンキスタを完成したカトリック両王フェルナンド 2 世とイサベル 1 世。名家の血筋だ。
同年、カール 5 世が支援するマゼランが世界周航へ出発する。カール 5 世は、大航海時代のスペインを版図に収め、「太陽の沈まない国」としてハプスブルク家の絶頂期に君臨した。
一方で、宗教改革の嵐に晒され、ヨーロッパの覇権を競うフランス王国や、スレイマン 1 世が率いるオスマン帝国との戦乱が続き、心身ともに疲れ果て、晩年は自ら退位し修道院に隠棲した。
世界周航、宗教改革、イタリア戦争、ウィーン包囲、ローマ略奪、トリエント公会議は、すべてカール 5 世が関係する。ハプスブルク家で歴史を串刺ししてみると、中世から近世へ移行しつつあるヨーロッパの姿が浮かび上がってくるではないか。
カール 1 世のモットー "@Plus Ultra@プルス・ウルトラ@ruby"(ラテン語:もっと先へ)は、漫画『僕のヒーローアカデミア』で、たびたび引用される。

ハプスブルク家はこの後、スペイン系とオーストリア系に分かれる。カール 5 世の息子フェリペ 2 世は、スペイン帝国の最盛期を築いた。
1571 年、レパントの海戦でオスマン帝国軍を退けた。1580 年、ポルトガル王家が断絶したことから王位継承を主張し、翌年、身分制議会の決議を経てポルトガル王位に就き、イタリア半島を支配した。1584 年、わが国から派遣された天正遣欧少年使節と面会した。
中南米の銀山開発により、ヨーロッパの金流通量は 2.5 倍に、銀流通量は 3 倍を超え、価格革命が起きた。しかし、複合的国制を維持するには莫大な費用がかかり、フェリペ 2 世が没した 1598 年、スペインの支払利息の総額は総収入の 3 分の 2 を占めるまでになってしまった。また、スペインの栄華は、新大陸から搾取することによって成り立っていた。

一方、カール 5 世の弟フェルディナント 1 世は、オーストリア系ハプスブルク家として、神聖ローマ皇帝の位を保持しつつ、チェコとハンガリーを加え、中欧にドナウ君主国を形成していった。いまでもハンガリーやチェコの民族は複雑であるが、フェルディナント 1 世も統治に苦労してしたことが分かる。
1555 年、兄の神聖ローマ皇帝カール 5 世からドイツ支配を任されたドイツ王フェルディナントは、宗教対立を収束をはかるべく、諸侯の信仰は自由であり、自領の信仰はカトリック教会とルター派から選ぶことができるとした「アウクスブルクの和議」が成立する。これにより、1521 年に神聖ローマ皇帝カール 5 世がルターを追放したヴォルムス勅令は効力を失った。ただし、この時点におけるプロテスタントはルター派のみであり、カルヴァン派は想定していなかった。こうしてハプスブルク家による宗教統一は頓挫した。

このあと、プロテスタントに寛容なマクシミリアン 2 世、文化人でティコ・ブラーエやケプラーを支援したルドルフ 2 世が神聖ローマ皇帝となったが、政治は混乱した。次のマティアスは、カトリックとプロテスタントの融和を進めるが、失敗。1619 年、神聖ローマ皇帝に即位したフェルディナント 2 世の時代、弾圧に反発した急進派の貴族が皇帝代官マルティニツとスラヴァタをプラハ王宮の窓から突き落とすというプラハ窓外投擲事件事件が起き、三十年戦争の幕が切って落とされた。
一方、ネーデルランド諸州は 1568 年、スペイン・ハプスブルク帝国に反乱を起こし八十年戦争が勃発していた。これが三十年戦争に合流し、戦乱がだらだらと続くことになる。
戦争は、神聖ローマ帝国内におけるカトリックとプロテスタントの対立ではじまったが、後半はハプスブルク家、ブルボン家、ヴァーサ家による大国間のパワーゲームに展開してゆく。戦争中、ドイツ国土は荒廃し、1800 万人いた人口が 700 万人にまで減ってしまったといわれる。
1648 年、フェルディナント 3 世がウェストファリア条約を受諾する形で、ようやく戦争は終結した。同時に、新教徒やカルヴァン派の信仰も認められ、ようやく宗教戦争に終止符が打たれた。
しかし、ドイツの約 300 ある諸侯は独立した主権国家となり、神聖ローマ帝国は実質的に解体されることになる。また、1661 年、太陽王ルイ 14 世が親政を開始すると、フランス王国はドイツ諸州へ侵攻し、アルザスおよびロレーヌをほぼ占領する。帝国内では反仏感情が一気に高揚し、諸侯はハプスブルク家の支援を請う流れとなる。
1683 年から 1714 年にかけ、ハプスブルク家は、第二次ウィーン包囲に端を発する対オスマン戦争、プファルツ継承戦争(9 年戦争)、スペイン継承戦争と、再び 30 年におよぶ戦争を戦った。その結果、ハプスブルク家は領土を倍増させ、神聖ローマ皇帝カール 6 世の時代、国力と勢威を大いに増した。また、ウィーンはハプスブルク君主国の首都として本格的に発展していくこととなる。

1740 年、カール 6 世が没すると、ハプスブルク家の男系男子は途絶える。長女マリア・テレジアが相続するが、これをめぐってオーストリア継承戦争が勃発する。
1765 年、皇帝フランツ 1 世(マリア・テレジアの夫,ハプスブルク=ロートリンゲン家の祖)が没すると、長男のヨーゼフが後を継いだ(ヨーゼフ 2 世)。マリア・テレジアが没するまでの以後 15 年間、ハプスブルク君主国はマリア・テレジア、ヨーゼフ、カウニッツの「三頭体制」により統治されることとなる(マリア・テレジアはオーストリア大公妃で、皇帝には即位していない)。

一方、スペイン・ハプスブルク家はヨーロッパ屈指の名門で、そのプライドの高さがゆえに、格下の諸侯とは結婚せず、近親婚が繰り返された。 その結果、カルロス 2 世は心身に異常を来たし、スペイン・ハプスブルク家が途絶える。ここへ太陽王・ルイ 14 世が介入し、1701 年、スペイン継承戦争が勃発する。
カール 6 世がスペイン王位を継承することを恐れた各国は、ルイ 14 世の孫をフェリペ 5 世として即位させ、1713 年にユトレヒト条約を結んだ。この後ナポレオンに征服されるまで、スペインはブルボン朝による支配を受けることになる。

マリア・テレジアの下で外交革命が起き、長年敵対していたハプスブルク家とフランス王家の間で同盟関係が成立、政略結婚が行われた。
マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットがルイ 16 世の皇后となり、フランス革命が起きた。ヨーゼフ 2 世の弟で神聖ローマ皇帝となったレオポルド 2 世は革命への介入を呼びかけたが、1792 年、ヴァルミーの戦いでオーストリア・プロイセン連合軍はフランス軍に敗れ介入は失敗した。
レオポルド 2 世の長男で神聖ローマ皇帝となったフランツ 2 世はナポレオン戦争に巻き込まれ、1805 年、アウステルリッツの戦い(三帝会戦)で敗北。南西ドイツ諸侯がナポレオンを盟主としてライン同盟を結成したため、1806 年、神聖ローマ帝国皇帝を退位した。これにより神聖ローマ帝国は消滅するが、オーストリア大公の地位は残っており、初代オーストリア皇帝フランツ 1 世となった。
フランツ 1 世はメッテルニヒを登用し、ナポレオン戦争の戦後処理であるウィーン会議の主導権を握った。質素な生活を好み、晩年は国民からも親しみを込められて「善き皇帝フランツ」と称された。

ウィーンは繁栄を謳歌するが、それは一部の特権階層の話で、大多数の市民は半日を越える長時間労働が当然で、1842 年に制定された児童保護法において、児童の労働時間が 10~12 時間に規制されるにとどまった。このような状況はヨーロッパ中で広くみられ、ここから社会主義思想が生まれてマルクスとエンゲルスが共産主義を唱えるようになるが、これらの思潮はハプスブルク君主国にも流入し、政府は神経を尖らせた。

ウィーンで 10 月革命が鎮圧され、体制刷新のためにフェルディナント 1 世が退位し、1848 年 10 月、甥のフランツがフランツ・ヨーゼフ 1 世として即位した。
クリミア戦争で、敵対してきたオスマン帝国は弱体化したが、逆にハプスブルク家も友好国が一つもないという外交的孤立状態に陥った。1866 年の普墺戦争での敗北は、ハンガリーとの関係改善を促進した。皇妃エリーザベトがハンガリーに肩入れしていたことも、これを後押しした。

1860 年代後半、ハプスブルク君主国の年間経済成長率は 8~10 パーセントを記録し、産業経済は活性化した。鉄道網の拡充が各地の事業・産業を有機的に結びつけ、工業株式会社が次々に誕生する「創業期」が到来した。しかし、その裏ではバブル現象が徐々に拡大していた。それは 1873 年 5 月、万国博覧会の開幕直後にウィーン証券取引所で発生した株価の大暴落によって明白となる。ここから発生した「大不況」は、1870 年代の世界経済を大きく混乱させた。
工業化の進展は、都市化をさらに促した。1873 年にブダ、オーブダ、ペシュトの 3 市が合併してハンガリーの新首都ブダペシュトが誕生した。
労働者たちは環境の改善を求める声を強め、繰り返しストライキやデモを展開した。初のメーデーは 1890 年のことである。衛生環境の劣悪さは、ウィーン病と呼ばれるコレラや結核が猛威を振るった。ウィーンなどでカフェ文化が栄えた一因は、人々が住み心地の悪い自宅より、カフェに憩いの場を求めたことにある。
にもかかわらず、ウィーンは文化や科学の面ではヨーロッパ随一の都市であり続けた。レフ・トロツキーとヨシフ・スターリンも一時期をウィーンで過ごし、ここで初めて顔を合わせた。

1914 年、ハプスブルク家のフランツ・フェルディナント大公が暗殺されたことをきっかけに、第一世界大戦が勃発する。1918 年、ハプスブルク君主国は連合国との休戦協定に調印し、権力の座から退いた。オーストリアは共和国となり、翌1919 年、ハプスブルク法が制定され、最後の皇帝カール 1 世を含むハプスブルク一族は財産没収のうえでオーストリア国外へ追放されることとなった。
1921 年、カール 1 世はハンガリー王国で復位を試みるが失敗。1922 年に死去し、オットーが相続する。
ヒトラーは、ドイツとオーストリアの合併を視野に入れ、オットーへの接触を試みた。だがこれは実現せず、ヒトラーはオットーを激しく敵視するようになった。
1961 年、オットーは、帝位請求権の断念を表明し、オーストラリアへの帰国の許可を求めた。オーストリアの政治が混乱し、オーストリア国民党とオーストリア社会党による大連立政権は崩壊し、オットーは帰国を果たした。その後、欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務めるなど、汎ヨーロッパ主義的に活動した。
2011 年、オットーが死去し、長男カールが相続した。







最終更新日  2019.07.19 12:06:11
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2019.07.16
カテゴリ:書籍
ベストセラー伝説

ベストセラー伝説

 「ベストセラーを作るのは、目に見えちゃダメなんだよ。目に見えないけど、無いと困る本こそベストセラーになる。だから空気なんだ。空気は目に見えないけど吸わないと死んじゃう。それが本当のベストセラー」(「試験にでる英単語」著者・森一郎)(218ページ)
著者・編者本橋 信宏=著
出版情報新潮社
出版年月2019年6月発行

著者はノンフィクション作家の本橋信宏さん。1956 年生まれだ。私より 8 歳年長なのだが、当時のベストセラーが、いかに息が長かったかを思い知らされた。「冒険王」「少年画報」「学研の科学」「平凡パンチ」「でる単」「ノストラダムスの大予言」――これらを一度でも読んだことがある方に、おすすめ。これらベストセラーの裏側は、大人になった今だから理解できる。

「ベストセラーを作るのは、目に見えちゃダメなんだよ。目に見えないけど、無いと困る本こそベストセラーになる。だから空気なんだ。空気は目に見えないけど吸わないと死んじゃう。それが本当のベストセラー」(「試験にでる英単語」著者・森一郎)
「タイトルが一番大事。(タイトル会議は)しつこくやれ、著者だけでなく社内的にも」(伊賀弘三良・祥伝社社長)
「雑誌は格調が必要。床の間が必要、そういうのがあればあとは何をやっても様になるんだな」(島地勝彦・週刊プレイボーイ元編集長)

戦後の混乱期、人々は活字に飢え、印刷物なら飛ぶように売れたという。「紙は貴重な資材になり、ブローカーが暗躍する。買い占めた紙が余りすぎたので、ブローカーが本と紙を交換しようと秋田貞夫に交渉してきた」(18 ページ)。こうして誕生した秋田書店は「冒険王」を発行し、色印刷のアメリカンコミック風絵物語が子どもたちの心を掴んだ。「冒険王」から「少年チャンピオン」の編集長になった壁村耐三は、原稿が遅れている漫画の神様・手塚治虫に向かって怒鳴るような鬼編集長だった。しかし、ドカベンを柔道部から野球部へ転向させるなど、嗅覚は鋭かった。さらに、「おいっ! 手塚先生の死に水は俺たちがとってやろうじゃねえか!」と編集員に発破を掛け、スランプに陥った手塚治虫が「ブラック・ジャック」を連載する場を与えた。

学研の「学習」「科学」は学校で販売されていた。なぜか――後発出版社だった学研の古岡秀人社長は、公職追放された元校長たちに目を付け、子どもの教育に役立つ本の普及に同志として力を貸して欲しいと協力を求め、彼らに営業を委託したのである。元校長たちの営業力は絶大だった。さらにトラック輸送を活用し、付録の素材は自由に選べるようにした。

「でる単」の著者は、毎年東大へ大量の合格者を出していた都立日比谷高校の現役英語教師・森一郎だった。その職人芸が「でる単」を誕生させた。これに部数を奪われてはなるものかと、旺文社創業者の赤尾好夫が編集した「豆単」は、電算機を使って受験英単語の出題頻度をはじき出した。

1973 年秋、祥伝社から「ノストラダムスの大予言」が発刊された。この年、石油危機が起き、光化学スモッグ、河川汚染が問題になった。1973 年暮れに「日本沈没」が映画化され、翌74 年にはユリ・ゲラーが来日、超能力騒動が起き、スプーン曲げ、こっくりさんが大流行する。高度成長期が終わり、社会の先行きが不安になった時代だった。
著者の五島勉は、本書の最後に「たしかに、「恐怖の大王」が降ってきてマルスが支配する、と書かれているけれども、人類全部が滅亡する、と明記されているわけではないからだ」と記している。

本橋さんは、こう思う――「ノストラダムスの大予言」を書いた五島勉は昭和 4 年生まれ、「日本沈没」を書いた小松左京は昭和 6 年生まれ。両者を担当した編集者の伊賀弘三良は昭和 3 年生まれ。いずれも昭和 1 桁世代である。この世代は 10 代の思春期のときに、親や教師が 8 月 5 日を境に 180 度主張を反転させた姿を目撃してきた。国家、体制に対してどこか不信感を持っている。1973 年の 2 冊の大ベストセラーも、いまの泰平を信じるな、という昭和 1 桁世代からのニヒルな警醒の書ではなかったか。(214 ページ)

子どもの頃、本書に登場するほとんどの書籍・雑誌を読んだわけだが、大人になった今、これらの出版物は、編集者たちの汗と涙の結晶ではないか――いや、怨念すら感じた次第。
出版不況と言われて久しいが、雑誌出版点数は 1970 年代の 1.5 倍、書籍出版点数に至っては 4 倍近い。子どもたちの「記憶に残る」ベストセラーは、まだまだ出せる余地はあるのではないか。なにも紙の出版物でなくてもいいだろう。
作家さんと編集者さんが心血を注いだ作品が、これからも世に出ることを願わん――。







最終更新日  2019.07.16 12:54:04
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2019.07.13
カテゴリ:書籍
時間泥棒

時間泥棒

 コペクスキー「最初からずっと、ほしかったのはそれであって、お金ではない。われわれみな、足りないのは時間であります」(22ページ)
著者・編者ジェームズ・P.ホーガン=著
出版情報東京創元社
出版年月1995年12月発行

時代は近未来。ジェームズ・ P ・ホーガンの作品にしては、約 170 ページと薄い。主人公も科学者ではなく刑事である(アイザック・アシモフのロボット・シリーズを連想する)。それでも、時間が一定して流れなくなった場合のコンピュータ・システムへの影響を具体的に描き出しているところは、ハード SF の旗手ホーガンらしい。ホーガン入門SF としておすすめだ。

ある日突然、ニューヨーク中心街一帯で時計が遅れ始めた。しかも場所によって遅れ方に違いがあり、遅れ方が一定しているわけでもない。待ち合わせに不都合が生じたのはもちろん、時刻によって足並み合わせをしている交通システムは麻痺し、コンピュータも正常に動作しなくなった。
誰かが時間を盗んでいる――こうした判断がくだされ、ニューヨーク市の刑事ジョー・コペクスキーが事件解決に当たることになる。だが、いったい、だれが、どういう手段で「時間」を盗んでいるというのだろう。コペクスキーは、理論物理学者から心霊学者まで、さまざまな“有識者”に意見を求めた。
コンピュータが多く稼働している場所では特に遅れが大きく、赤い霧のようなものが見えるようになった。さらに、ビルを支えている建材が脆くなり、倒壊するという事故が発生するようになる。
コペクスキーはバーナード・モイナハン神父との会話の中から、突拍子もない仮説を立て、事件の解決に当たる。

コンピュータ・セールスマンという経歴を持つホーガンは、時間の遅れに伴ってコンピュータの動作に支障をきたすようになる情景を細かに描き出した。私たちが使っているパソコンは、マザーボードに搭載されている水晶発振子のクロックに同期して、すべての回路が動くようにできている。このクロック=時刻が狂ったら、パソコンは動かなくなる。
コンピュータ・ネットワークも同じである。ネットワーク上を行き来するデータには必ず時刻情報が付加されており、それによってデータの順序が決定される。
時間は、また、哲学的な要素を内包する。理論物理学では、時間と空間を一体のものとして扱うが、時間に関する限り、逆方向に遡ることができない。
時間は、あらゆる人たちに均等に与えられるという点では、どんな宗教や政治より平等主義である。だが本書では、均等である筈の時間に重み付けができることを示している。
こうした技術と常識と、そしてホーガンらしい皮肉に、考えさせられることは多い。







最終更新日  2019.07.13 13:58:57
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2019.07.09
カテゴリ:書籍
仮想空間計画

仮想空間計画

 コリガン「コンピュータというやつは外界との相互作用はうまくはできないという、単純な事実があるんだ」(93ページ)
著者・編者ジェイムズ・P・ホーガン=著
出版情報東京創元社
出版年月1999年7月発行

本書は、人工知能をめぐる科学とビジネスの対立を軸に、人工知能に学習させることができない人間の心の葛藤を、ユーモアタップリに描き出したハード SF だ。
著者は、『星を継ぐもの』『創世記機械』などでお馴染みのジェイムズ・ P ・ホーガン。2010 年に亡くなっているが、本書は 1995 年に書かれたもので、人工知能の冬の時代であるにも関わらず、今日のディープラーニングを彷彿とさせる舞台設定となっている。コンピュータ・セールスマンだったホーガンの面目躍如といったところ。

科学者ジョー・コリガンは、ある日、見知らぬ病院で目を覚ました。彼は記憶を失っており、自分が誰であり、どんな仕事をしていたのかも思い出せなかった。担当医師ゼールやカウンセラーの治療を受け、徐々に記憶を取り戻してゆく。
彼は人工知能「オズ」の研究開発に従事しており、人工知能に学習させるために現実世界に限りなく近いヴァーチャル・リアリティの開発に従事していたのだ。だが、ドクター・ゼールの治療方針として、彼を元の職場に戻すことをせず、バーテンの仕事をするなどしてリハビリに努めさせた。ジョーは臭いを感じることができなくなっていた。そして、人々の様子や、世界の在り方にどうしようもない違和感を覚えていた。そうして 12 年の歳月が流れた。
ある日、ジョーの前に現れた女性リリィが告げた。この世界はヴァーチャル・リアリティであり、私たちはそこに閉じ困られていることを。
そう考えると辻褄が合う。人々の様子がおかしいのは、それは現実の人間の思考を真似るようコンピュータが作り出したアニメーションなのだが、学習過程に何らかの問題があり、現実世界の忠実な複製となっていない。なによりも臭いが感じられないのは、ジョーたち現実の人間とのインターフェースとして、嗅覚だけがシステムに実装されていなかったからだ。
ジョーは世界からの脱出を試みたが、ある日突然、現実世界に戻され、そこで目覚めた。だがそこは、オズが稼動開始する直前の世界だった。ジョーは時間を遡ったのだろうか。
ジョーたちを罠にはめたのは、ライバル科学者のフランク・タイロンなのか。上司のジェイスン・ P ・パインダーはジョーに助け船を出せるか。出資者であるケン・エンデルマイヤーは何を追い求めているのか――各人各様の目論見が渦巻く中、舞台はめまぐるしく変化する。はたしてジョーは現実世界に戻ることはできるのか。

原題「Realtime Interrupt」のとおり、本作品はヴァーチャル世界とリアル世界を行ったり来たりする。最初は少し戸惑うかもしれないが、やがて慣れてくる。ところが、この「慣れ」がホーガンの用意したトラップで、最後のどんでん返しに、まんまと騙された。人工知能に対するトリックはもちろん、死してなお読者の心まで操ることができるとは、おそれいった。
主人公のジョー・コリガンは、「コンピュータは現実世界と交流して必要な情報を拾いだすことはあまり得意じゃない」として、ヴァーチャル世界の中で、人間を模した多くのアニメーションに、本物の人間を紛れ込ませることで、人工知能を学習させようというオズ計画を立ち上げる。
ジョーは続けて言う。「われわれには「常識」と呼ぶ、巨大な知識ベースという利点がある。それによってわれわれは微妙な、状況に応じた関連付けができる。それによって人間は比喩を理解するようなことがあれほどうまくできるわけだ」――これは、現代のディープラーニングが抱えている問題でもある。そして、MIT AI研究所の創設者で、実在するマーヴィン・ミンスキー博士(2016 年死去)が登場する。人工知能を研究してきた者としては、ニヤリとさせられた。
オズ計画に莫大な投資をしたエンデルマイヤーら資本家側には、期待する成果があった。この成果を短期間に出そうとするのが、ジョーのライバル、フランク・タイロンである。現実のビジネスでよく出くわすシチュエーションだ。
ホーガンの SF を安心して読んでいられるのは、科学はビジネスと違って、必ずしも成果が出ないこと。それでも最後には科学者が報われること――本作品は「ここでは、時間はマイペースで流れていった」と締めくくられる。私が暮らすリアル世界も、こうありたいものである。







最終更新日  2019.07.09 12:02:16
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2019.06.23
カテゴリ:書籍
官僚病の起源

官僚病の起源

 日本国民は1853年のペリー・ショックのためになおいっそう外的自己と内的自己とに分裂し、そして、内的自己においては欧米諸国を恨み、屈辱感をもっている(77ページ)
著者・編者岸田秀=著
出版情報新書館
出版年月1997年2月発行

著者は、精神分析者の岸田秀さん。人間は本能の壊れた動物であり「幻想」や「物語」に従って行動しているに過ぎないという「唯幻論」を展開する。
岸田さんは、ご自身が気に入らないものは「精神分裂病」とレッテル貼りをするだけで、解決策は一切提示しない。本書を読んだ方で、岸田さんと感じ方のベクトルが一致するヒトは、同様にレッテル貼りをするだけで、自分は精神状態が健常であると思い込み、改善策を考えることを止めてしまうのではないだろうか。

また、科学的・論理的に間違っている記述も多い。
たとえば、「英語を崇拝し、英語力の価値を限りなく過大評価する外的自己と、英語を嫌悪し遠ざけようとする内的自己との葛藤」(156 ページ)が精神分裂病だというのは、医学的に間違いである。精神分裂病の名称が統合失調症に変わったのは、本書発行後の 2002 年のことなので、これはいい。症状は患者によって様々だが、妄想などの陽性症状と、感情が乏しくなる陰性症状を特徴とする。両者は「葛藤」しているわけではない。
幸いなことに、岸田さんは精神分析者であり、精神科医ではない。医療過誤を起こすことはないだろう。
岸田さんは、歴史には詳しくないと何度も記述しているが、その詳しくないことの上に、ご自身の専門分野である心理学の話題を積み上げるという論理構造もおかしい。常識的には、この逆である。

わが国の政治や教育や社会問題に対して問題意識を持つことは必要なことだ。だが、それをラベリング(仕分け)するだけで、何ら論理的・具体的な解決策を考えないのは、思考停止である。
本書を他山の石として、これからも考えることを諦めない姿勢を保っていきたい。

冒頭で、「軍部官僚の失敗は軍人であるがゆえの失敗ではなく、官僚であるがゆえの失敗」(15 ページ)と断じ、官僚組織が自閉的共同体であると指摘する。
岸田は、日本の成り立ちが、渡来人の影響でも、大王による統一でもなかったとし、自閉的共同体である豪族が、そのまままとまっただけだと主張する。だが、この主張に物的証拠はない。それを下地に、日本の官僚制度が自閉的共同体であると展開することは、論理的に無理があるのではないだろうか。

一方で、武家政治を賞賛するが、これも根拠に乏しい。官僚病の解決策として、「ふたたび鎖国し、徳川時代のような政治体制を復活させること」(69 ページ)を主張するが、これは非現実的だ
また、このような官僚制度を誕生させたのは国民の責であるとし、「日本国民は 1853 年のペリー・ショックのためになおいっそう外的自己と内的自己とに分裂し、そして、内的自己においては欧米諸国を恨み、屈辱感をもっている」(77 ページ)ためだという。

本書のタイトルである「官僚病の起源」は、ここで唐突に終わる。
81 ページからは、歴史を精神分析すると称し、「天孫降臨」も「神武東征」も、そういった史実はなく、日本は百済の植民地であったことを隠すために歴史が捏造されたと主張をはじめる。もちろん、何の証拠も記されていない。







最終更新日  2019.06.23 12:48:39
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