|
カテゴリ:書籍
統一暦1928年1月15日、参謀本部のハンス・フォン・ゼートゥーア大将は、世界を相手に勝てると確信し、気分爽快であった。一方、東部の最前線の塹壕にいるターニャ・フォン・デグレチャフ中佐は「戦争なんて、大嫌いだ」と心の叫びを上げていた。 1月1日、宮中の新年行司に参列したゼートゥーア大将とコンラート参事官は、表情にこそ出さないものの、周囲から見られていることを意識し、心に余裕がある振りをして回っていた。ゼートゥーア大将は傍にあったナプキン紙に「黎明は近い。されど、払暁あり」と書いてコンラート参事官に渡した。このメモが、後世の歴史研究家たちを驚かせることになるとは知るよしもない。 新年行司から帰還したゼートゥーア大将、ターニャに「私ある限り、帝国はまず負けんよ。共産主義者に、イデオロギーを超越する現実があることを、また、教えてやる」と語る。 一方、連邦のモスコーにある最高司令部では、誰の敵意も買わない物腰と手堅い手腕で宿将となったクトゥズ大将が、帝国への反攻作戦「黎明」として2案を提示した。 1月9日、レルゲン大佐はターニャに、皇帝陛下の末娘で、たいへん真面目に軍務をこなす第二十三親衛近衛連隊の連隊長あるアレクサンドラ皇女殿下(大佐)が東部戦線を視察に来ると告げる。ターニャは視察を断る理由として東部戦線が危険である証拠をつかもうと部下を偵察に飛ばすが、何もない。そこで、1月13日に自らがヴォーレン・グランツ中尉をペアに指名し長距離偵察に出たところ、連邦が大規模な補給路を築いていることを発見。急いでサラマンダー戦闘団駐屯地へ帰還するが、時すでに遅し。連邦の戦略攻勢「黎明」がはじまった。東部方面軍のヨハン・フォン・ラウドン大将は生死不明。司令部はパニック状態に陥った。 3年半ぶりの新刊――。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.22 12:45:54
コメント(0) | コメントを書く
[書籍] カテゴリの最新記事
|