強い国から美しい国!?~えー??
政府の教育再生会議の論議の模様が少しわかってきました。「強い国から美しい国へ」というスローガンは少し違うだろ、と思いますが、一気に右に向かって突っ走るというものではないようです。バウチャー制の導入を躊躇してしまったようですが、これは私としては残念です。やはり、公立学校の中にも競争原理を導入して活性化を図るべきだと私は思いますが、教育基本法を改悪して、教育の目的から「自主性」という言葉を削除してしまうのでは、先生の創造性や自主的な取り組みを否定して、天下りを待っているお役人さんたちの意向に沿った指示通りに教育せよ、ということになり、これで競争させられたら、うまくいくはずがありません。やはり、競争させるからには、資本主義の自由競争の原理と同じく、学校の先生の自由で自発的な創意工夫を認めなければ、地域住民や親が学校を評価しようもないだろうと思います。9月大学入学は私は反対します。高校を3月に卒業して9月まで空けてしまうことに何の意味もありません。強制的にボランティアをさせるという発想は、結局社会奉仕につながらず、誤りです。ボランティアをさせるのであれば、大学に入学させてから、ボランティア活動を卒業に必要な単位の一部に認めて、学生の自発的意思に基づいて行わせればよいのです。9月大学入学は、単に専門教育のレベル低下を招くだけであって、国力を落とすだけです。9月大学入学がどうして国際競争力向上につながるのか私には全く理解できません。学力向上は、制度改革によって保証されるものではなく、教える側と学ぶ側の主体的な努力の産物です。「学力と人間力を備えた教師が必要」というのは、私もそう思いますが、社会人から教師を採用することを安易に行うのは私には賛成できません。広島県だったと思いますが、民間から赴任した校長が、君が代斉唱をめぐって教育委員会と先生との板挟みとなり自殺したということがあったように記憶します。また、社会人経験者だから自動的に子どもたちが話しを聞いてくれる、というわけではないのです。中学・高校の、技術・情報や理科、社会の一部では、それなりの意味はあると思いますが、子どもの気持ちをつかんでぐっと引きつける力、というのは、社会で活躍したから身につくというものではなく、教育学部のようなところでの専門的なトレーニングが必要だと私は思います。道路特定財源の使い途や、復党問題をめぐって、安倍政権の支持率が低下傾向にありますが、私は、安倍首相をかなり見直していまして、千代田区内の小学校に視察に出かけて、子どもと一緒に給食を食べている写真が出ています(こちらを参照)が、ランドセルを入れる3段の棚の前で食事をする光景は、私がボランティアに出かけている小学校と同じで、安倍首相、子どもたちと語り合いながら、何かつかむものがあっただろうと、私は思っています。もちろん、総理大臣が来るとなれば、学校も先生も子どもたちもすっかりよそ行きになってしまうので、学校や子どもたちの良い面だけしか見えなかったかも知れませんが、発達障害などの負の面の片鱗だけでも気に止めてもらえたら、と、私は思います。小泉政権はできたときには熱烈支持で、田中真紀子さんを追い出して以降は、裏切られるようなことばかり、執拗な靖国参拝で唾を吐きかけてやりたいというところまで嫌悪しましたが、はじめに断固不支持だった安倍晋三さんが、意外と右急旋回でもなく、小学校を我が目で視察し、庶民感覚を肌で感じて来ようということを続けてもらえれば、意外とリベラルな方向に進むかも知れないと、少し期待してみようか、という気になりますね。----------------科学雑誌でおなじみのNewton社e-Learningのご紹介はこちら理工系受験生向け大学入試問題研究サイトはこちら「大学への数学」の東京出版発行の書籍のお求めはこちら横浜市杉田の代々木屋呉服店さんの楽天ショップはこちら----------------コメント、トラック・バックはこちらへお願いします。