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2009年12月19日
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カテゴリ:戦争
​​​東京新聞 9月18日「ひろば」に投稿掲載

​​​​「一言陳謝がほしかった」​​​​​

29日付「ひろば」の「勇気あった元戦犯の発言」「一言陳謝がほしかった」を読んで、私は昭和天皇の葬儀の日のことを思い出す。

あの日は雨か霙の降る寒い日だった。
私と夫は葬儀のもようをテレビで見ながら、期せずして

「ああ、とうとう天皇は 最後まで 国民への陳謝をなさらず逝ってしまわれたね。」と顔を見合わせた記憶がある。

私と夫は戦争遺児であり、父の顔を知らない。
29日の新聞記事を読んで、「私たちと同じ気持ちの人もいたのだね」と夫と語り合った。「言いたくても誰も大きい声で言えなかったことなのだね。」と

もし天皇が国民に一言陳謝したいというお気持ちを持ちだったとしても、
そうさせない何か大きな力が取り囲んでいるのだろうか。
それとも、もともと全然そのお気持ちがなかったのか それはわからない。

普通の常識的日本人社会での感覚としては、責任のある立場の人でが
自分の決断が間違っていて多くの被害、侵害、迷惑、損失を招いた場合
まずトップにあった人が陳謝し退くのが普通である。
あの時代、本当は天皇は国のトップではなかったのだろうか。

一体誰がトップだったのだろう。
天皇は特別な帝王学をお受けになっておられるので、庶民の感覚はお持ちでないのであろうし
「天皇は畏れおおい特別の存在」としてそれを許さない別宇宙の中にいらしゃるのであろう。それに必死でまもりたかった「国体」とはいったいなんであろう。

戦後「人間天皇」になられたのであれば、
人間の常識としてやはり ひとこと「陳謝」のお言葉が欲しかったと今でも私は思う。

わたしはその一言だけでも亡くなった人々の心は浮かばれるのではないかと思う。

国の決定に従い「天皇のために」「天皇万歳」の声に送られて出征し、
多くの人が死んでいったのだから。

今日は選挙の日、国民は政治を自由に批判し、自由に判断し投票できる幸せを勝ち得た。

天皇は人間天皇になられたのだけど 自由に御自分のお気持ちを表現できる国に果たしてなっただろうか。

「父君の遣り残された仕事」と思われてか、今の平成天皇皇后がご老体にもかかわらず沖縄やサイパンにまで足をお運びになり激戦地で手をお合わせになる姿は胸を打つ。

そして、私の父は北満州で玉砕ときくが、骨はいまだに帰って来ない。


武蔵御陵
http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/51426342.html 
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最終更新日  2021年08月14日 20時11分22秒
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