テーマ:中国&台湾(3301)
カテゴリ:中国・韓国・アジア
上海は時々、出張しているが北京は久しぶりだ。
オリンピック後に、北京はどう変わったのか。 出張用に持参したi Podが調子悪くて、 しかたなく、JALの機内の音楽チャネルを聴いていた。 いつもは、i Podで好きな曲を聴いているので、気にしていなかったのだが、 今のJALの音楽チャネルは、分かりやすくチャネルが分かれていていい。 ユーミンが司会するJ-Popなどのチャンネルもあるのだが、 それ以外に、 60年代ポップス 70年代ポップス 80年代ポップス 90年代ポップス というように、チャンネルが別々に分かれている。 60年代は、ビーチ・ボーイズなんかも入っていたけれども、甘あまのポップ・ソングが多くて、ロックだったら聴くのだが、ちょっとpopsを1時間もやられては、と思いパス。 70年代ポップスから順番に約1時間ずつくらい 80年代、90年代と聴いていった。 途中で食事などもするので、まあ3時間程度が丁度いい 音楽を聴きながら本も読んだりするので、じ~っと聴いているわけではないのだが、 70年代は、甘酸っぱいというよりも、思春期前にどっぷり聴いていたので、身体に染みついているというか、一番、安心して聴けた。 たとえば、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」とかリッキー・リー・ジョーンズとか、わりと良質の曲がそろっていた。 そのほかに、シスター・スレッジの「We are Family」とかドナ・サマーのようなディスコ系の音楽もかかっていたけれども、今、思うと70年代末のディスコ・サウンドは、わりと歌のうまい人が歌っていたのだなぁ、と感じる。 知らない曲は1~2曲。題名で知らなくても、聴いたら、「なんだ、あの曲か」というのがあって、結局、全部知っていた。 80年代は、カルチャー・クラブとか、マイケル・ジャクソン、デヴット・リー・ロスとか、80年代を代表するおなじみの曲に、 ファルコだったかファルコムの曲があって、まあ、一発屋というか2発屋だったと思うが、 MTVのプロモ・ビデオの画像を思い出したりして、 なんか、みょうに、甘酸っぱい思いがした。 ファルコムなんて、別に好きでも何でもなかったのに、MTV全盛期を思い出したのか、ちょっと切なかった。 90年代は、新らしめの曲がある中で、 今は故人となってしまったロバート・パーマーが、 (彼の活躍は80年代のほうが多かったと思うのだが) マービンゲイの「マーシー・マーシ。。」を歌っているのを聴いてぐっときた。 これは、オリジナルのマービンゲイもいいし、曲もいいし、ロバート・パーマーの男っぽい歌声もよく、これは聴きごたえがあった。 それで、ちょうど、北京空港に着陸するときに、90年代のチャンネルの最後の曲として、OASISがかかっていたのだ。 前面のモニターに映し出された滑走路をみながら、OASISを聴くというのは、ちょっと不思議だが、でもなぜか納得感があった。 今の北京は、やっぱり世界的な大都市。 まだ、香港が中国に返還されるより前、北京空港が新空港の前の古い空港だった時から10数年、やっぱりこの国、この都市は、爆発的な発展をとげたのだと思う。 だから、ロンドンにこそ似合うはずのOASISの曲も、北京にもあってしまったのだ、と思う。 空港は、だだっぴろくて、成田と同じようなターミナルをつなぐ列車が走っているけれども、はるかに距離は長く(でも、スピードが速くなったり遅くなったり、揺れが、やっぱり中国だなあ、というか日本のような完璧ななめらかさはなかったので、何回も重い荷物を持ってひっくりかえりそうになった) 空港からホテルに向かうクルマのなかからは、巨大な高層ビル群が見えるし、 ハイウェイもだだっ広いし。 そう、北京にもOASISが似合う時代になってしまったのかもしれない。 明日からは、ちょっとその本当の所をさぐってみたい、と持っているのだが、 最初の何日かは、大きな会議やコンファレンスで会場に缶詰。 北京の今を感じるのは、そのあとからかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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