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一昨年から去年にかけて、時折私を襲い、苦しめてきた、「許せない」が、さっき久々に戻ってきた。 主にやはり好きな人が私の嫌いな人と仲良くしていたこと、なのだが、何度と無く、「そういうのってお互い様だし、全く無い相手なんているわけ無いし。」と、自分の心を治めようと努めるのだが、「やっぱり駄目、無理、あんな人もういらない。ずっと一人のほうが気楽。そうする。」みたいな、心の声が湧き上がってくるの。 全然…その…二人でいると、物静かで落ち着いた人だから、向き合うと「別にもうこの人を許せないとか思っていないなぁ…。」と感じるのだが…、つまりは、自分自身に対する「許せない」が形を変えているのだということもわかるのだが、この気持が湧き上がってきた時は、本当に制御不能。 でも、凄い執着だと思うのよ、冷静に考えると。 相手に他の人と親しくする余地を与えない、という感情なのよね、正体は。 それは、相手から豊かさを奪っても良い、という考えが根底にあるんじゃないかと思うの。 「他者から豊かさを奪っても良い」…この残酷な考えが、「愛情ゆえの嫉妬」という着ぐるみを着て、何度も私を襲ってくる…ってことなのだろうね。 たまに、ごくたまに考えるのよ。「あの人、私の嫌いな人と仲良くした!」というのは、確かに、より、苛立つのだけど、自分の好きな人と仲良くしたって結局嫌いになるんじゃないの?アレコレ理由をつけてさ?みたいな自問自答。で、多分そうなのよね。 自分を振り返ると、今は男性スタッフの多い職場で働いているので、職務上関わらないということは出来ないし、世間話もするし、相談事も受けるし、ヤキモチ焼きの男性なら気が狂いそうな環境に身を置いているのかもしれないな、と思うの。私の心の中も、相手の心の中も、微塵もないよ、邪な思いはっていくら説明したって、やっぱり発狂しそうになるじゃない。 執着がない状態とは「それがあなたにとっての豊かさなのだ」という認識を持てる事だと思うのよね。円滑な人間関係、気づきがある人間関係、そういったものに、性別や年齢は関係ないし、究極的には人柄とかそういったものも無関係なのだろうし。 この気持(執着)を、手放せないうちは、一人でいるしかないわねぇ…。 ↓今日は昼下がり、近所の花屋さんで、花や野菜の苗を買ってきたのである。小さなベランダの片隅にて。 幸せでいたい、幸せでありたい。そういう思いを原動力にやってみるのだけど、夜には私の心は既に幸せでもなんでもなくなっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.17 02:01:33
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