ご心配をおかけしました。
大分おちついてきました。
31日は、母が朝からしんどいということで
横になるのもおきるのもしんどいと苦しがって
そばについていた従兄が酸素の投与の量を増やしたもらったそうです。
母が可愛がっていた親戚の子が、日曜ということで見舞いにくることになっていました。
私たちは、お寺さんの前住職さんが、しばらく前に見舞いにきて、状態が悪かったことを心配しておられたので
あまり長くはないという状況を説明におうかがいしていました。
その後、11時半に病院にいったら母が相当息苦しそうにヒーヒーいってましたが
親戚の子にはうなづいていたそうです。
日曜だったので、いろいろ親戚の人が見舞いにきてくれており、しばらくいてくれようとしていましたが、私が昼間つくから他の人は昼食にいってもらいました。
その間に、少し息がおとなしくなったので、寝込んだのかと
様子を見ていました。
喉が動いていたので少し安心、手をさすったりしていました。しかしその後
呼吸が少なくなり、喉が動かなくなったので、12時20分ごろ看護婦さんに様子をみてほしいと頼みましたら
もう、危篤状態で、そのまま眠るようになくなりました。意識がなくなって30分くらいだったでしょうか。
最後に私がついてられたのが良かったと思います。
一度家につれて帰り
1日に御通夜をしました。
2日に葬儀
私と母の思いで、母の顔をしってくれている、宗教関係の人と同窓生と町内の知り合いだけに連絡しました。
信仰心か強かったので、宗教の婦人会の人たちがたくさん来て送ってくれました。
お寺さんも涙が出たといっておられ
奥さんが弔辞を読んでくださいました。
親戚と同じくらい会葬の人たちが泣いたお葬式でした。
私のあまり知らない、若い子たちも御通夜にお葬式ときて、申し訳ないくらいないてくれてました。
それくらい慕われていたというのはありがたいことです。