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2019年11月02日
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カテゴリ:旅行記
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秋の女子会の旅行は、赤穂方面への電車の旅。
まずは大阪駅にて、駅弁を買ったが、これから乗る電車は、駅弁を食べることができるような電車なのか、通勤通学などの生活列車なのかちょっと心配した。
姫路行きの新快速に乗り三宮をでるまではおとなしくしていた、電車そのものはクロスシートで、7割ぐらいが座っている。それから先は、すいているので、思い切ってお弁当を食べることにした。
周囲には誰もいないので、気兼ねなく食べられた。
姫路で播州赤穂行へと乗り換える。座れることは座れたが、学生さんなどが結構多かった。
終点の一つ手前坂越(さこし)で下車する。
赤穂の名産の塩はこの港から出荷していたそうだ

駅にはコインロッカーがなく、駅員さんに道路向かいの駐輪場にロッカーのあることを教えてもらう。
それから、地図を片手に坂越の街並みに向けてあるく。


坂越の町の出入りを管理していた木戸門の跡


  • P1060439.JPG
坂越の街並みを抜けたところは港になっている。


ちょっとレトロな坂越の街並み

坂越まち並み館
もともとは奥藤銀行の支店だったが、銀行の合併などでいろいろ名称がかわった。
この中に大金庫の扉が残っている。


旧坂越浦会所
赤穂藩の支所であったが、茶屋的な要素もあり、藩主専用の部屋もある。
  • P1060457.JPG
会所の坪庭



奥藤酒造、兵庫県で二番目に古い酒造、「忠臣蔵」「乙女」などを販売している。
私も試飲させていただいた、すっきりした飲み口だと思う。
時間がないので急いで大避神社(おおひじんじゃ)へと向かう






秦河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去、そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。

また秦氏はペルシャ系ユダヤ人という話もあり、キリスト教の神をまつっているという説を唱える人もいるそうだ。


お参りすれば難を避けられるということで、私たちもまじめにお参りした。
その後赤穂駅で旅館の迎えのバスがまっているので、急いで駅に戻り、赤穂駅まで出た。
バスが来るまで、観光案内所で明日の路線バスなどのことを質問したが、とても丁寧に教えてもらった。
そしてバスにのり、宿についたが、ロビーからはきれいな夕日と一面の海をみることができた。

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最終更新日  2019年11月02日 15時02分36秒
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