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カテゴリ:旅行記
まずは大阪駅にて、駅弁を買ったが、これから乗る電車は、駅弁を食べることができるような電車なのか、通勤通学などの生活列車なのかちょっと心配した。 姫路行きの新快速に乗り三宮をでるまではおとなしくしていた、電車そのものはクロスシートで、7割ぐらいが座っている。それから先は、すいているので、思い切ってお弁当を食べることにした。 周囲には誰もいないので、気兼ねなく食べられた。 姫路で播州赤穂行へと乗り換える。座れることは座れたが、学生さんなどが結構多かった。 終点の一つ手前坂越(さこし)で下車する。 赤穂の名産の塩はこの港から出荷していたそうだ 駅にはコインロッカーがなく、駅員さんに道路向かいの駐輪場にロッカーのあることを教えてもらう。 それから、地図を片手に坂越の街並みに向けてあるく。 坂越の町の出入りを管理していた木戸門の跡 坂越の街並みを抜けたところは港になっている。 ちょっとレトロな坂越の街並み 坂越まち並み館 もともとは奥藤銀行の支店だったが、銀行の合併などでいろいろ名称がかわった。 この中に大金庫の扉が残っている。 旧坂越浦会所 赤穂藩の支所であったが、茶屋的な要素もあり、藩主専用の部屋もある。 会所の坪庭 奥藤酒造、兵庫県で二番目に古い酒造、「忠臣蔵」「乙女」などを販売している。 私も試飲させていただいた、すっきりした飲み口だと思う。 時間がないので急いで大避神社(おおひじんじゃ)へと向かう 秦河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去、そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。 また秦氏はペルシャ系ユダヤ人という話もあり、キリスト教の神をまつっているという説を唱える人もいるそうだ。 お参りすれば難を避けられるということで、私たちもまじめにお参りした。 その後赤穂駅で旅館の迎えのバスがまっているので、急いで駅に戻り、赤穂駅まで出た。 バスが来るまで、観光案内所で明日の路線バスなどのことを質問したが、とても丁寧に教えてもらった。 そしてバスにのり、宿についたが、ロビーからはきれいな夕日と一面の海をみることができた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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