カテゴリ:私のすきなこと
今日の外気温は14度でやや涼しい感じだった。
黄砂がひどく、曇り空なので、布団を干したりはできなかった。 日曜日以来、連日の用事、予定があったので、今日は最低限の家事をして、昼からはしっかり眠ることにした。 きょうのおやつ ![]() 昼寝の前に夏物と間違えて片付けてしまった、衣類が何点かあったのを探し出した。 1時間と少し昼寝をしたので体力は回復した。 文楽4月公演 和田合戦女舞鶴(わだがっせんおんなまいづる) 『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」が人形入りで上演されるのは大阪では59年ぶり。しかも、今回の公演では、政子尼公の館に押し寄せる子供武者とそれをとりなす板額のやりとりを描く端場を84年ぶりに復活。 私自身もこれを見るのは初めてだった 豆知識 そもそも和田合戦とは史実としては 建暦3 (1213) 年5月2~3日に鎌倉で行われた和田氏と北条氏との間の戦闘。和田義盛は鎌倉幕府草創の功臣で侍所別当として権勢を有していたが,初代将軍源頼朝没後,勢威を高めてきた北条氏と対抗するようになった。同年2月に発覚した泉親衡の陰謀の加担者として義盛の甥胤長が処罰されたことから両者の関係が悪化した。義盛は同族三浦氏,姻族横山氏を語らい,相模その他に多数の味方を得て北条氏を打倒しようとした。しかし開戦に際して三浦氏が違約して北条氏につき,また北条氏が3代将軍源実朝を擁して多数の御家人を集めたため,勝負は2日間で決し,和田氏は滅亡し,北条氏が権勢を伸ばすこととなった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 これらを踏まえて、お芝居では合戦を起こさないように奮闘する忠臣たちの姿を描いている ![]() ![]() これまでのあらすじ 鎌倉幕府の3代将軍実朝の妹斎姫(いつきひめ)は公家の藤原為氏(ふじわらためうじ)をしたっていたが、北条義時(ほうじょうよしとき)と和田常盛(わだつねもり)がそれぞれ先代将軍頼家から、妻として目合わす約束をもらっていたと主張して、険悪な関係になっていた。 嘆く斎姫に藤原入道(ふじわらにゅうどう)という幕臣が、二人を遠ざけて為氏の妻となれるよう取り計らってやると、自分の館に斎姫を連れ帰る。(入道は謀反の心があり、二人を争わせて漁夫の利を得ようとしている) 姫の乳兄弟にあたる荏柄平太(えがらのへいた)が、妻子がありながら姫に懸想しているらしいと評判になり、入道の屋敷までやってきて、姫を口説くが、断られ、逆上した平太は姫の首を切り落として、姿をくらます。(じつは切ったのは身代わりの腰元で、姫を謀反人の藤原入道の屋敷から助け出した) 事件を知って幕臣浅利与市(あさりのよいち)が入道の館に駆け付けるが、与市の妻板額(ばんがく)(巴御前と並び称される、怪力で有名な女武者) は平太の従姉にあたるため、中に入れられないと入道から断られるので、板額はその場で離縁される。 しかしまだ中へ入れてくれないので、板額がその怪力で、門を押し破り、夫を中へと入れる。 ![]() 今日はお天気が悪くて外へ出ても日光浴ができないので、廊下で昼寝していますbyコロ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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