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分派(祝福権委譲と異端者・爆破者宣布ほか)

2018.06.03
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【保存版】削除された『独生女に関するお父様のみ言葉』(反論あり)
https://kimuchi.muragon.com/entry/484.html
​​​​​【投稿者:tomy4509さん】~【奇知外記】氏に対する反論

過去に最初にお父様が語られた「独生女」のみ言が一つとして見当たりません。
お父様のみ言では180回ほどそれがあるとのことです。それをご存知でしょうか?

《韓国語のできる教授に連絡が取れ確認できましたので反論させていただきます》

【奇知外記】氏ブログに張り付けられた韓国語のお父様の語られた『独生女』のみ言葉
は初期のころのみ言葉であって、お母さまは絶対対象の位置においてお父様をおささえ
されておられるころのみ言葉だと受け止めています。

『独生子』『独生女』としての本然のあるべき姿を描かれておられますから、なんの
問題もありません。

問題にしているのは2000年前後に「お母さまの独生女」「私は無原罪で生まれてきました」「お父様は原罪をもってお生まれになったのです~・・・」が可笑しいのですから
その部分に対してのお父様のみ言葉(2000年前後)を掲載したのです。

実際に180か所あるかどうかを数え始めたそうですが、そんなに沢山ない、問題視するような文面ではありませんから途中で中断されたようです。

韓国語のわかる知り合いは食口で韓国に在住していれば簡単にわかりますが、念のため
韓国で教授を5年間なされてきた方に確認をいたしました。

わざわざ遠回しに意味不明の論理を振りかざし多くの信徒を惑わして聖職者の立場でありながらKimuchi 以外にも多くのブロガー相手になんの益があってなされるのかが理解できません。

この問題は今後も引き続き私が万一倒れたとしても、お母さまが本然の位置に戻られるまで、誰かが相続していきます。​​​​​
​今回は家庭事情があり長く書くことは出来ませんが、私が提示したみ言は初期のものであって問題にならないという話ですが、韓国語版の黒・天聖経P.177、(58-218、1972.6.11)のものです。初期とはいつまでのことでしょうか?
子羊の婚宴が成されたのは1960年であり、それを前後してお父様は「独生女」を語り始めておられます。当時のその時からお母様を「独生女」として認識されておられたということでした。さらには、2000年を前にしてお母様に感謝碑を授与されていました。2012年4月には「天和宮での特別宣布式」(詳細はTWJ 2012年天暦4月号)もされるなどして、その一体圏宣布もされておられました。

韓国語のできる教授さんに伝えてください。お父様のみ言とお母様のみ言の比較はされなかったのでしょうか。大切なことです。

語られた「独生女」の数が重要でしょうか?
はたまた、その内容を問題視していかなければならないでしょうか!!





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最終更新日  2018.06.03 22:41:03
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2018.06.02
​師観氏の最近の記事から。

独生女問題に対する興味深い見解
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-367.html

いくら祝福を受けても人格がクリスチャンよりも優れているとは思えない
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-368.html

上記記事からもお父様の語られた「独生女」の一つもなかった。
もはや師観氏のそれはお母様の「独生女」発言を否定するための「独生女批判理論」以外の何物でもない。
それどころか霊界からのメッセージを取り出しては、霊界では他宗教人たちと違い「統一食口たちは、最初から大部分が神様と呼吸することができる位置にいます」と書かれていながらも、





家庭連合(旧・統一教会)の祝福を受けたとしても地獄へ行くしかないと断言していた。これでは家庭連合に限らずどの宗教を信じても「救い」はあり得ない、信仰自体が無意味だというのが師観氏の考えである。「宗教はアヘン」、共産主義思想がアリアリだ。それを宗教者は受け容れることができるだろうか?

以前は tomy4509 は師観氏のブログは「羅針盤のない漂流船だ」と書いたが、どこにも救いを見出すことが出来ない「地獄行」へ直行している方向性が見えてきた。

読者の方々は、その師観氏に付き従って行きたいと思われますか?


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最終更新日  2018.06.02 09:04:21
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2018.06.01
​​
【保存版】削除された『独生女に関するお父様のみ言葉』
https://kimuchi.muragon.com/entry/484.html
​​【投稿者:tomy4509さん】
コメント本文:「CARPで学んできた原理とかけ離れた、「独生女」問題に対する10の質問」では、お母様お一人の「独生女」発言にのみ言及しており、過去に最初にお父様が語られた「独生女」のみ言が一つとして見当たりません。お父様のみ言では180回ほどそれがあるとのことです。それをご存知でしょうか?

A: お母様が無原罪で誕生したというだけで既に非原理的です。そしてお母様はお父様が原罪を持って誕生されたと本当にそう考えていらっしゃいます。(意味不明?)

ですが、三男派の方々はお父様のみ言を隠しては騙しておられないでしょうか(?)

https://plaza.rak...   (意味不明?)

【Kimuchi 回答】
お父様の語られたられた「独生女」のみ言

①「先生は堕落した血統に生まれ・・・という、そのような考えした人は狂ったものです。原理がわかっていません」(2009年5月17日 み言葉選集 611巻307頁)

②「文総裁は堕落した世界の血統とは関係ありません」2005年4月15日み言葉選集492巻

③「先生は歴史時代の堕落した血統の起源を超えて出発したというのです」
(2005年7月6日み言葉選集500巻)

④「皆さんはサタンからきて、先生は天から来たというのです」
(1999年年10月19日み言葉選集220巻)

⑤「お母さまも堕落した天使長の血統を受けた人です」
(2003年10月1日み言葉選集419巻102頁)  

⑥「皆さん、お母様は生まれた時からお姫様のように生まれ、お母様のように再臨主
の婦人として生まれたと思っているのですか、言ってみてください。
堕落した血統に生まれました」(み言葉選集461巻26頁)

⑦お母様がどれほど大胆なのかわかりません。原理原則をちゅうしんとして天の国の天法生活に入ると、すぐにでも引っかかってしまう状況が沢山あることも知らずに勝手なことをしています。(中略)
堕落した女として、どうして真の父母様の婦人の位置にも立ちますか。真なる僕の夫人の位置にも立てず、追い出されます。そのような人を連れてきて神様の夫人の位置に建てますか。(2009年7月12日み言葉選集614巻28ページ「カインとアベルの戦法」天正苑)
​​
---ただいま工事中---​
『【Kimuchi 回答】お父様の語られたられた「独生女」のみ言』となっていましたが、​どれ一つとしてお父様が語られた「独生女」がありません。​
私tomy4509が申し上げているのは、お父様が語られた「独生女」です。お母様が初めて語られたものではありませんでした。

2017年2月22日のブログ記事「独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」は、声明文を出して三男派へ行かれた前能登教会長・郭炳憲(カクビョンホン)氏の最後の礼拝内容について書いたものですが、彼もまた、お父様のみ言からの「独生女」一つとして語らずして在籍期間の2年間にわたって「独生女批判理論」を繰り返していました。私はそれ聞きつつも黒・天聖経に書かれたお父様のみ言の中にある「独生女(一人娘)」を​2016年8月​から提示していたのですが。

以下は、天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文からの「独生女」です。



kimuchi氏の引用例は「独生女批判理論」のために用いられたものであり、それらには「独生女」一つありませんでした。



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最終更新日  2018.06.01 06:18:09
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2018.05.30
​​現在をもってしても師観氏からはお父様が語られた「独生女」み言が一つとして出てこない。

師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!(その2)」の続き。前回は
師観氏のコメントでは李相軒先生の「霊界の実相と地上生活」からの引用を用いては、祝福を受けたとしても天国どころか地獄へ行く、とまで書いていた。​全体のごく一部分(P.37のみの記述)を引用してそれがあたかも全てであるかのような主張の展開は差し控えるべきと考える。​
と書いていたが、その実際の箇所(P.37)が以下。




わずかこれだけをもって「聖酒式や祝福式が地獄行だ」と断言していた。甚だしい曲解である。
私tomyu4509からはほかページで、
​​ 堕落性とは、神様が本来願われる原理軌道から脱線した心理状態を言います。……完全復帰とは、それほどやさしいものではありません。……堕落の血が流れているので、その血統を整理しなくてはいけないのです。すなわち、人間は、再び生まれなければなりません。……重生の価値基準を知らなければなりません。……その仲保者が真の御父母様であられます。……我々はサタンから堕落性を受けましたが、自分自らの努力によって堕落性を脱ぐということは、誤った考えです。真の御父母様から受けた祝福の価値を悟るようになるとき、はじめて堕落性を脱ぐことが可能になります。それゆえ、祝福の価値基準は、いろいろなみ旨を内包しています。真の父母の価値もまた、驚くべき事実です。そのことを、この国、霊界に来て初めて深く悟るようになるのです。​​
​と、霊界から見た祝福結婚による重生の価値と真の父母様の価値について紹介していたのだが。

ところで、「霊界の実相と地上生活」が出版されたのは1998年であったが、2000年9月には何があっただろうか。「三時代転換四位基台入籍祝福式」が挙行されたときであった。父母様は上記のようなことも知っておられたので、サタンに讒訴されるような罪や慣習を背負ったままで「入籍」することは出来ない。よって、「告白文」を書くように指示され、過去に犯した罪を消しゴムで消すように整理してくださるのだと説明を受けた。このことをお忘れではないだろうか。
したがって、祝福家庭のそれ以前の罪は霊界では記録が消されている、という話である。師観氏の1ページにも満たないそれは遠い過去のものとなった。

師観氏のデマ記事に騙されることなかれ!!

さて、今回の師観氏のブログ記事
多様性の中の一致(UC内における宗教改革の必要性について)
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-366.html
​​アボジが主催する様々な超宗教的会議がありましたが、God Conferenceは有名でした。

原理講論によれば、すべての宗教は神から出て来たものであり、善を説くという。再臨主が来た時には、霊界の働きでそれぞれの宗教がそれを求めて一つになるという。

事実、そのようなことも多少はありましたが大きなうねりにはなりませんでした。

原理は内的真理も論理的、科学的、実証的にも解明されねばならないと説いていますので、宗教学者が集まりやすいのです。彼らは客観的、学問的観点から原理だけでなく、様々な宗教も例外はありますがほとんど和やかに論じていました。

それは客観的に自分と自分の信仰を観ることが出来るもう1人の自分がいるからです。超宗教において、Unity in Diversityがキーワードになっていたかと思います。

「多様性の中の一致」とでも和訳しておきましょう。一致点は善であり、人々を幸せにすることです。霊界では、内容(善)がない状態で天国に行くとそこは地獄よりも苦しいところだという(霊界の実相)。

UC内部の分派(?)においても、お互いに裁き合うのではなく、「多様性の中の一致」を和気藹々と語れることが必要です。超宗教活動ではそれが出来るのですが、いざ自分達の内部のこととなると神山氏を除名したり、H1やH2の影響を警戒し、ピリピリして見張るというまるで昔の共産主義の社会のようです。​​
ここで、師観氏は「超宗教」といっても宗教間はそれぞれに社交辞令でほどほどにといった関係以上には進まない、ということを言いたいのだろう。しかし、こんにちを見てみればお母様の「独生女」を置いて世界が静かな「うねり」となっていく気配を感じているはずだ。
分派にしてもまた然り。これまでも「独生女批判理論」を駆使してその動きを阻止しようとしても、それを止めることが出来ない有様である。それに飲み込まれていくのも時間の問題である。
お父様が語られた「独生女」を隠して語らずの批判理論に勝ち目(真理)はない。

ところで、気になる「H1やH2」とは誰のことか?
H1 = 孝進様
H2 = 興進様
であり、それに続く​三男さんは「H3」、七男さんは「H4」ということになる。お間違えの無いようにだ。「H1=三男さん」とすることで、三男派は長子・孝進様を打ち消そうとしたものだったが、「H2=七男さん」とされていることにサンクチュアリは甘んじているということか。

「長子は孝進様」は、父母様のみ言だ。


それともう一つハッキリとしておかなければならないことは、神山氏ほかの除名処分についてだ。
私個人の意見としてだが、これまでもそうであったからといって「赦しと愛によって罪が許される」時代がいつまでも続くものでもない。お父様もいずれは「法統治」時代が来ること予告されておられたように、その時がすでに来ているのではなかろうか。



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最終更新日  2018.05.30 02:38:11
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2018.05.28
​今回も師観氏ブログ記事から。

UCの聖酒式や祝福式が救いの絶対条件なのか
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-365.html
​内村鑑三など上記無教会主義の教会では、洗礼や聖餐や侒手などの儀式、儀典は行いませんんでした。

キリスト教会でも、洗礼や聖餐や侒手などの儀式、儀典は、信仰の重要な要素であるが、救いとの直接的な関係は無いと言っています。

救いに絶対必要なのは、イエスによる十字架の贖罪、墓に埋葬されたこと、3日後に復活されたことの福音の3要素を信じることであり、洗礼は救いの絶対条件ではないといわれています。(中川健一牧師など) 

そこで我がUCでも、神を信じ、真の父母の重生を信じ受け入れる信仰だけでは救いは無いのか、聖酒式や祝福式が救いの絶対条件なのか、こういう重要且つ深刻な問題が出てきます。この点について貴殿の見解をお聞きしたいと思います。

これに対する師観のコメント:​


1.答えはものすごく簡単です。貴兄が聖酒式や祝福式を受けたのなら、それは天国に入るためではなく地獄行きの儀式になります。

何故なら神様自身が地獄にいるからです。そして神のいる所が天国なのです。

まずは、内村鑑三の無教会主義を挙げての既成教会の洗礼や聖餐式が行われていないことを理由として、家庭連合の聖酒式や祝福式は「地獄行」、間違ったものであったと結論付けているようだ。
ここで、​ウィキペディアの「無教会主義」​をよくよく読んでみれば一部にそういう人もいたが、無教会主義であってもこれら伝統的礼典を否定していたわけではなかったことが分かる。
礼拝の中心を占めるものは聖書講義、聖書講話と呼ばれており、前後に讃美歌を歌い、祈りや黙祷をするなど、プロテスタントの礼拝形式を簡素化した形をとっていることが多い。​​洗礼(浸礼、バプテスマ)、聖餐式等の儀式は通常行わない。ただし、かならずしも洗礼反対、聖餐反対という意味ではない。その意味では、無教会主義は「反教会主義」ではない。​​
内村鑑三といえば、日本で再臨運動を展開した人物として有名である。もしも、再臨主が来られたならどうすべきであったかは言うまでもない。ところが、そうはなっていなかった。
前回同様に「無教会主義」者もまた既成教会のそれであり、「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」、つまりは家庭連合の祝福式を並べて比較すること自体が無理な相談であった。さらには、師観氏のコメントでは李相軒先生の「霊界の実相と地上生活」からの引用を用いては、祝福を受けたとしても天国どころか地獄へ行く、とまで書いていた。全体のごく一部分(P.37のみの記述)を引用してそれがあたかも全てであるかのような主張の展開は差し控えるべきと考える。
私自身も聖酒式や祝福式が救いの「絶対条件」ではないことには同意するが、「必須条件」であると思うのである。

さて、「霊界の実相と地上生活」を見れば、「第三章 原理から見た霊界の暮らし」(P.61~)についても書かれており、その中には「堕落性と重生」ということで、霊界から見た祝福結婚による重生の価値と真の父母様の価値についても書かれていた。
 堕落性とは、神様が本来願われる原理軌道から脱線した心理状態を言います。……完全復帰とは、それほどやさしいものではありません。……堕落の血が流れているので、その血統を整理しなくてはいけないのです。すなわち、人間は、再び生まれなければなりません。……重生の価値基準を知らなければなりません。……その仲保者が真の御父母様であられます。……我々はサタンから堕落性を受けましたが、自分自らの努力によって堕落性を脱ぐということは、誤った考えです。真の御父母様から受けた祝福の価値を悟るようになるとき、はじめて堕落性を脱ぐことが可能になります。それゆえ、祝福の価値基準は、いろいろなみ旨を内包しています。真の父母の価値もまた、驚くべき事実です。そのことを、この国、霊界に来て初めて深く悟るようになるのです。
このように師観氏は、間違った情報によって混乱を引き起こそうとしておられるのではないか。
かつての統一教会の反対牧師らがそうであったように、既成教会のそれと重ねることで家庭連合が「異端」であるかのような悪イメージを植え付けようとしている。
読者の皆様には、上記記事もまた悪意に満ちた引用をもっての家庭連合批判でしかないことが理解できたことと信じる。

ところで、師観氏自身はこのようにしては、今後どのような方向をめざしているのか。
羅針盤を失くした海にいつ沈むとも分からない漂流船であり、そのような船に誰が乗船しようと思うだろうか。
かつて、久保木修己(オサミ)初代会長は羅針盤を持った「宇宙船『地球号』」を語っておられたが、師観(オサミ)氏は久保木修己会長のようにはなることは出来ないようだ。



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最終更新日  2018.05.28 07:35:47
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2018.05.26
​​​​​師観のブログ記事(2018-05-25)記事から。

独生女に対する最近の議論(2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されている)
​​​​​貞操を守っていることが変わり者扱いされているのです。お陰で、今頃 純潔を唱えると白い目で見られる有様です。

・これはサタンの戦法といえるでしょう。神から来た真理は”取って食べてはいけないのです”が、サタンはその真逆を言うのです。

そして、それを人々に定着させ、一般化していくのです。そして、それを未だ受け入れていない人々を変人扱いにするのです。

・家庭連合も「独生女」や「女性メシア」を大上段に振りかざし、「独生子」と「男性メシア」は相対的に強調されなくなっていくのです。

やがて、これが信徒の間に定着し、一般化していくとどうなるでしょうか。”あなた、未だ ”「独生女」や「女性メシア」”論を受け入れていないのですか?ということになって行くでしょう。

TMは八大教本から原理講論を除くことを主張しましたが金栄輝先生がそれを守った話は有名です。 原理講論には「独生女」や「女性メシア」論は出てきませんので、取り除きたかったのでしょう。

・組織信仰とは恐ろしいものです。組織の言うことが絶対化され、個々人の良心がなおざりにされていくのです。

451年のカルケドン会議では、キリストとは「真に神であって真に人間である」と宣言されキリストは神性と人性の両性を持つ存在でした。

然るに、いつの間にか、神性だけが強調され、人性は忘れさられ ”独神性”になって行くのです。「独生女」が「独占女」になって行くのなら2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されているのでしょう。


注:「独生女」や「女性メシア」を大上段に振りかざし、「独生子」と「男性メシア」は相対的に強調されなくなっていくことは問題ですが、それが即free sexを定着させるサタンの戦法と同じだと言っている訳ではありません。内容は随分違いますが、原理と真逆のことを言って、それが広がり定着していくという構造は全く同じなのです。だから、注意しなければいけないのです。
​​​​​
師観氏のこれはフリーセックスと「独生女」を同じに見ての批判記事だが、そうまでしてもお母様を貶めたいのだろうか?

まずもって、「お母様が八大教材教本から原理講論を除くと主張した」は、私には初耳だがどこからの情報か?意外と匿名者投稿のPカフェ情報ではないかと思うのだが。

また、「独生女」は原理にはない間違いであるといった主張は何処から出てきたものなのかだ。
「独生女理論」「独生女論」などといっては、その裏返しが「独生女批判理論」であったことはこれまでも私tomy4509が証明してきたものであった。

​「独生女」の言葉そのものを最初に語られたのは、お父様だ。​
そのみ言全体の中で「独生女」は約180回あるとのこと。「独生女批判理論」からはお父様の語られたそれが一つとして聞かれない。師観氏の文中にも「八大教材教本」が出てきたが、その中の黒・天聖経にも「独生女」が書かれていた。



お母様の「独生女発言」だけをもってして、師観氏は家庭連合はお父様を忘れ去ろうとしているというが、お父様の「独生女」を語らない師観氏らこそがお父様をどこかに置き去りにされておられるのではなかと言いたい。

また、451年のカルケドン会議がどうだというのだ。家庭連合をこれまでのキリスト教の枠で測ろう(謀ろう=騙そう)とでもいうのか。
「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」だ。

さて、サタンが恐れるものが「真の父母」である。
2000年前のイエス様の時はサタンの三大試練にもあった。「独生子(独り子)」であっても十字架に架かればそれまでだった。血統を連結することが出来なかった。
本来ならイエス様は結婚していれば、十字架に架かることはなかったという。ために「再び来る」と言われたのだ。そして、何をするといったのか。「子羊の婚宴」だ。1960年がそれだった。
分派の(祝福家庭の)方々はそれをも忘れては「自己の位置を離れ」ているようだ。
1)神と同じ立場に立てない
2)自己の位置を離れる
3)主管性を転倒する
4)犯罪行為を繁殖する
なかでもサタンが最も恐れるのは、「独生女」であることは言うまでもない。
イエス様がニコデモに語られたのがそれだ。堕落人間であっても、再びその胎に入って生み変えられなければならないと言われた。「聖霊」を迎えなければ「独生子」のイエス様一人では何もできない。原理講論(「重生論」)にも書かれた内容である。その実体の聖霊がこんにちの「お母様」であることは言うまでもない。こんにち、「独生女」の出現によってそれが可能となったという話だ。
私たちはこれを信じて祝福を受けてきたのではなかったか。
お父様ひとりでは不可能な事だった。
また、「原理本体論」もまた絶対『性』、堕落のないアダム・エバについてかたられたものであった。
「天宙父母実体み言宣布大会」は!!

師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事だ。


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最終更新日  2018.05.26 00:19:36
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2018.05.17
​​​​今日は、原理講論を開いてtomy4509が目にした箇所の引用をみてみたい。
モーセ路程のP.363から。

​​​第二の奇跡は、神の命令によって、モーセが最初に手を 懐  に入れたときには、その手がらい病にかかっていた。しかし、神の命令によって、再びその手を 懐  に入れたときには、らい病にかかっていたその手が完全に快復して元の肉のようになっていたのである(出エ四・6、7)。​この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊(前編第七章第四節(一)を送られることによって、贖罪の摂理をされるということを、象徴的に見せてくださったのであった。​最初に手を懐に入れて、不治のらい病にかかったということは、最初に天使長がエバを 懐  に抱くことによって、人間が救われ難い立場に堕落してしまったということを意味したのである。そして、その手を再び 懐  に入れたとき、病気が完全に治ってしまったということは、​人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊(前編第七章第四節(一))を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように(マタイ二三・37)、全人類を、再びその 懐  に抱くことによって重生せしめ、完全復帰するということを表示されたのであった。​​​
​このように、原理講論の随所に「お宝」が埋もれていた。それを掘り当てていったときに初めて、この「原理講論」の主人を発見することができるようになっていたのではなかろうか?!
以下は『ファミリー 2009年1月号』から。




因みに、原理講論の「前編第七章第四節(一)」葉といえば、これまでもtomy4509がブログで取り上げてきた「(原罪のない)善の父母」が記された箇所である。



(一) 重  生  論

① 重生の使命から見たイエスと聖霊

 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。

アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。

我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。

ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。

このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。





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最終更新日  2018.05.17 00:37:59
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2018.05.16
​​​​3月の米国でのお母様のみ言葉から、今、三男派は「道標」を見失い迷走を始めているようだ。
一つはヨンギ氏(マキの夫)のブログ記事(以下)。

真の子女様の摂理的観点の違いに対する分析(柳慶明)
https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12376202827.html
最近サンクチュアリィ教会は相当の焦りを感じている様子。
「家庭連合の研究」君あんた方が連合に何の用がありますか?
真の母を取り変えたのに、お得意の期限付き祝福の不足分を補給するために?
といった具合にサンクチュアリの批判。

その一方では、同じ三男派で在りながらサンクチュアリ情報を取り入れての家庭連合批判のkimuchiのブログ記事。
『家庭連合ブログ入門編~韓鶴子氏は文鮮明師に反逆』
https://kimuchi.muragon.com/entry/477.html
​​(澤田地平氏の審判回避プロジェクト一部引用)

(仮称)最近の世界平和家庭連合とは?


(中略)

③家庭連合の中心教義
 文鮮明師の教えが家庭連合の教義であることは述べました。その教義の中心は文鮮明師がイエスキリストの再臨であり、メシヤであるということです。イエスキリストの再臨であり、メシヤであるということは文鮮明先生は無原罪の神様の独り子であるということです。すなわち家庭連合の教義の中心であり最重要の教えが、文鮮明先生は無原罪のメシヤであるということです。そして、この教えを受け入れるものが家庭連合の信徒です。​
ほか、三男派のブログをみれば、組織批判の過去記事をぶり返しては、家庭連合を何とかして貶めようとするもの(重箱の隅)が目立つ。以前にはやれ「長子だ。」「後継者だ。」といった発言も多く見かけたが、その声も鳴くなってきた。
「祝福権委譲がなかった三男さん」に魅力を感じなくなってきた、「三男さんは長子にはなれない」といったことが、ブログ村でもかなり浸透してきた結果だと自称ルポライターtomy4509は分析している。

もちろんのことながら、
​「ヨンギ氏も、家庭連合に何の用がありますか?」​
では、と言いたいところでもある大笑い

さて、kimuchi氏のそれ(サンクチュアリ情報)にしても同様のことだ。家庭連合の中心教義は上記に引用した通りだが、
「韓鶴子氏の無原罪誕生発言」、「韓鶴子氏の文鮮明師有原罪誕生発言」
これらお母様の発言があっても何一つとして原理と矛盾していない、というのがtomy4509の意見である。

原理講論から見ても、アダム、ノア家庭と​​「サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである。」​とある。

同じく、第一アダム--第二アダム(イエス様)とサタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は(堕落圏から)再臨主を連れ出したのである。」も有り得る話だ。
また、新しく中心人物として立つためには、過去の中心人物の失敗までも蕩減しなければならないという原則がある。イエス様の十字架によってサタンに奪われた肉身を奪い返して来なければ再臨主として立つことが出来ない、ということだ。

「論語読みの論語知らず」という言葉もあるが、お母様発言を批判される方々、特には大先輩家庭ともなればなおさらのこと。聖書では「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」があり、以下の原理講論の教訓もしっかりと心にとめていかねばならないだろう。
​因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。​
初臨のイエス様が無原罪だから、再臨主も「無原罪」といった因習的観念を捨てるべきである。​

ところで、皆さんの中でお父様が​「完全蕩減」​と語られたみ言を聞かれた方もあろう。
堕落人間が必然的に歩まなけらばならない路程を勝利されたなか、原罪清算の道を切り開いて行かれたということだ。それによって、お父様と一つとなればそれを相続することが出来るということなのだが。

ところが、ただ一点の問題は「血統」である。サタンの血統を受け継いだ全人類が、どうして、「神の血統」につながることが出来るかだ。
2000年前のイエス様はニコデモに「もう一度生まれ変わらなければ」と言われた。ために、イエス様はもう一度来ると約束されたのであった。
何のために?
「子羊の婚宴」をするためにだ。
「(無原罪の)善の父母」、「真の父母」としての出発が1960年の「子羊の婚宴」、第三アダム(再臨主)が「独生女」を探し出してのそれであった。

原理に背く三男派・七男派の方々、もう一度原理に立ち返られることを祈るばかりである。(アジュー)





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最終更新日  2018.05.16 05:00:13
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2018.05.15
​​
まずは、確認から。

​ヨンギ氏=マキチャンネル=マキの夫​

さて、本論。
以下はブログ「マキの夫」の最近の記事。

宣布文発表までの過程 判断の基準 真かそうでないか?
https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12375589929.html
6月1日

金孝律補佐官父母様宣布文の下書きをした。
彼は下書きをチョソンイル氏の方に文国進/文亨進会長宛てに報告して、真の父母様の署名を受けようと、ヤンチャンシク会長を麗水に向わせたが、彼は手ぶらで帰って来た。金孝律補佐官が作成した英語公文書の下書きをここに公開する。これは宣教本部で兄弟二人のために英語で翻訳したものだ。ファイル名に(世界宣教本部)と明らかに記されていた。

(以下略)

ヨンギ氏の別ブログ「マキチャンネル」で挙げた書類写真(画像)​の一部をテキスト文にしただけでさほどの違いはない。
それがデマ記事であることを自称ルポライターtomy4509が過去記事で立証したはずだが、性懲りもなく同じことをくれ返されるところを見ると、ただただ家庭連合を批判したいだけ、ほかに何があるというのだろう。



以下tomy4509のヨンギ氏記事反論の記事群。
さらに、14日付の「マキの夫」記事をみれば、どこかの一文の引用を持ち出してきては、「宣布文」を何としても墓に葬りさろうとしているようだが。

宣布文の真と偽、善と悪を見分ける基準は単純です,
https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12375987372.html
​​​​​神様のみ旨を真の父母様だけが分かるのではなく、既に私たちも知っています。私たちはどういうことが原理的か否か、神様のみ旨に整列されているか否かを判断することができる能力を皆が持っています。私たちが真の父母様がなさることを以前には分からなかったかも知れないが今は何故どのように摂理を導いて行かれるかを知ることができ、必ず知ることができなければなりません。成人になった子供が、年老いた父親がなさることが分からないとしたら、話しになりません​。​もし私たちがお父様がなさることが分からないと言うなら、天一国はこの地に成し遂げることができません。数十年をお父様と共にした子女たちも分からないのに、世の中の人々に分かるはずがありません。それでは世の中の人々が同参することができません。それでは天一国は射程外に消えて行きます。全ての宣言文、全ての宣布文、全ての発表文、全ての指示文、全ての決議文、これが真となる為には​​​
誰がどのように書いたのか、お父様の裁可があったのかが重要ではなく、原理的で神様のみ旨と方向性が合っているかなのです。そうでなければ、たとえ真の父母様が発表されたように見えたとしても、その宣言文や宣布文は間違ったものであり、今問題になっている宣布文が原理的であり、神様のみ旨と一致しますか、そうであれば、その宣言文は真となることができます。今問題になっている宣布文が原理的でなく、神様のみ旨と一致しないとしたら、その宣布文は真となれません。『真』のお父様から出たとはなりません。​​​​
結論は、「真の父母様宣布文」が神様から出ているかどうかがその真偽の判断基準だと言いたいのだろが。
では、「数十年をお父様と共にした子女たちも分からないのに、世の中の人々に分かるはずがありません。」とも書かれていたが、果たして、誰が「神様からのものだ」と判断できるのかだ。
今回「お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その3)」でもお父様は明確に語られていた。
​今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。​

(出典:1985年8月16日)    

であった。三男さんのUCI問題は、まさにこれに反する行動であり、宣布文の父母様のUCI返還命令はこの「真の家庭の伝統」に基づいてだった。
誰が間違っていたか。子女様といえども例外はないということだ。
ましてや、長男(祭司長)でない「三男さん」だ!!
国民が捧げる祭物の精誠、祭司長でもない三男さんが自分勝手にしても良いという法は何処にもないはずだ。ビデオ「盗賊認定」が物語るところのそれだ。




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最終更新日  2018.05.15 00:49:08
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2018.05.12
​​​イエス様は喩え話をもって多くの教訓も残しておられた。
その一つが「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」がある。
イエス様の「独り子(独生子)」に対してのお父様の造語「独生女」がその新しいぶどう酒であった。クリスチャンたちは「真の父母」(独生子と独生女)を受け入れることが出来ず、統一教会を異端としてきた。
こんにちの分派の方々にしても過去の因習に囚われて「独生女」どころか「独生子」のみ言までも否定する立場で追いやっているのではなかろうか。そして、彼らはその自らの姿も見ることが出来ない盲目となってしまっているようだ。

イエス様の話にはその「盲目な人たち」(律法学者、パリサイ人)への忠告もある。
​​​​​​​​1:マタイによる福音書/ 23章 16節
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。

2:マタイによる福音書/ 23章 17節
愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。

3:マタイによる福音書/ 23章 19節
盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。

4:マタイによる福音書/ 23章 24節
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。

5:マタイによる福音書/ 23章 26節
盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。​​​​​​​​
いつも私のとなりにさんも書いていたが、現代の篩い(ふるい)が「独生女」と見ることも出来る。

昨今の状況はある意味、ふるいにかけられているのかもしれないですね。
すなわち、真の父母様を絶対信仰する者を選ぶためです。
私の5%の判断、それが問われているこの時だと思います。
マタイ25章からも、
​​ そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。 ​​
原理講論には、「終末にに際して我々が撮るべき態度」と題してP.174~からは:
​​​ 堕落した人間は神霊に対する感性が非常に鈍いために、大抵は真理面に重きをおいて復帰摂理路程を歩んでいくようになる。したがって、このような人間たちは、古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである。旧約聖書に執着していたユダヤ人たちが、イエスに従って新約時代の摂理に応じることができなかったという史実は、これを立証してくれる良い例だといわなければならない。しかし、祈りをもって神霊的なものを感得し得る信徒たちは、新しい時代の摂理を、心霊的に知ることができるので、古い時代の真理面においては、相克的な立場に立ちながらも、神霊によって新しい時代の摂理に応じることができるのである。それゆえに、イエスに従った弟子たちの中には、旧約聖書に執着していた人物は一人もおらず、もっぱら心に感応してくる神霊に従った人々だけであった。祈りを多くささげる人、あるいは良心的な人たちが、終末において甚だしい精神的な焦燥感を免れることができない理由は、彼らが、漠然たるものであるにせよ、神霊を感得して、心では新しい時代の摂理に従おうとしているにもかかわらず、体をこの方面に導いてくれる新しい真理に接することができないからである。それゆえに、神霊的にこのような状態に処している信徒たちが、彼らを新しい時代の摂理へと導くことができる新しい真理を聞くようになれば、神霊と真理が、同時に彼らの心霊と知能を開発させて、新しい時代に対する神の摂理的な要求を完全に認識することができるので、彼らは言葉に尽くせない喜びをもってそれに応じることができるのである。したがって、終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである​​。​
3月、米国でのお母様のみ言でもって家庭連合の今後の方向性がハッキリしてきた。
三男派ブロガーが「三男さんが長子だ、後継者だ。」と騒いでみたことろで、最早、家庭連合はどこ吹く風である。
それどころか、家庭連合へのあれこれは「批判告発」の何物でもない。

三男さん擁立といった道標を見失った三男派ブロガーの方々に聞きたいのだが、サンクチュアリ教会を宣伝するブログ『「家庭連合」の研究」』が今も「独生女批判理論」をブログ村でばら撒いている。
皆様はこれに同調しつつサンクチュアリに飲み込まれる運命を辿るのか? あるいは?



cocoaさんのパイオニアカフェからの転載がtomy4509のいう「重箱の隅」ではないという。
であればそれらは「サイドメニュー」ぐらいに見られているということだ。
そうなると、UCI問題は「真の父母様宣布文」まで出されて返還を求めたのだから、それは「メインディッシュ」
​cocoaさん、コスモスさんの女性陣は先頭を争って「UCI返還キャンペーン」をされていかれることでしょう。​








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最終更新日  2018.05.12 22:56:31
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