楠久について
【送料無料】新佐賀筑後難読地名さんぽ [ 石橋道秀 ]価格:2,100円(税込、送料込)「伊万里」が大陸からの伊万里湾に入ってきた渡来人が軍事上の拠点のひとつである「吉野ヶ里」を守る要塞の一つであった可能性は否定できないと石橋氏は言うそしてその最大の拠点が「楠久」であったと石橋氏は言う「楠久」の語源「ぐ(御)・すく」「く・すく」とは「大きな村」という意味である。ちなみに「久原」は「く・ばら」で「大きな海」という意味である。伊万里は平野が少ない楠久付近は、人間が生活するのに適していた地区ではなかったかと推測できるその証拠:楠久付近には旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代にかけての遺跡が多い「茅野」=伽耶との関係がある「荒熊神社」=安羅との関係がある楠久には「ふくいし」「しもふく」「くぎしま」という地名が存在する「ふく」「きり」とは製鉄に関連のある地名である