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May 29, 2021
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カテゴリ:ちょっとお出かけ
愛知県西尾市の東部にある黄金堤のご紹介です。
この春の吉良町めぐりの最後の記事で、2つ前の日記の
続きになります。

元禄14年(1701)3月に赤穂事件が起こり、その後は
江戸時代の仮名手本忠臣蔵をはじめ数々の舞台や映画や
TVドラマの『忠臣蔵』のおかげですっかり世間に悪役が
定着してしまった吉良義央公。

でも地元の愛知県西尾市吉良町では、領民思いのお殿様で
領地をよく治めた名君として慕われています。

4月の初めに西尾市の東部に行き、花岳寺や華蔵寺などを
見学しての帰り道、国道23号線を目指して移動していた
とき、ふと左手に「黄金堤」という文字が目に入りました。
駐車場もあって入りやすかったので、これは何だろうと
思いちょっと寄ってみました。


駐車場に車を停めてあたりを見渡すと、馬にまたがる吉良義央公の像がありました。
このときやっと、黄金堤は吉良公の関連で聞いたことがあるのを思い出しました。



銅像の右手には、黄金堤についての説明書きが2つありました。
どちらも吉良公がつくったことの紹介ですが、小さいほうの内容を下に記します。


 1605年に矢作新川の開削が始まり、その後、矢作古川は
 広田川へ接続され、西尾市花蔵寺町周辺では洪水対策を
 余儀なくされたため、輪中堤を築堤しました。
 そのためほとんどの洪水が花蔵寺南の瀬戸(寄名山)と
 岡山(皆撫山)の狭間へ抜けてくるため、「黄金堤」の
 築堤強化を余儀なくされ、1686年に吉良義央が築いた
 といわれます。 ~「吉良家ゆかりの地を行く」より



階段を上がって堤の上に出てみました。当時の川の形のようです。


堤の両わきは桜並木になっていました。これは開花の時期に来たかったな~。
後で調べたら、ここは西尾の桜の名所になっていました。



ちなみにここは「鎧ヶ淵古戦場」でもあります。(帰るときに気がついた)


史跡の紹介文です。
愛知県東部のこの地は戦国時代は織田と今川の境で、桶狭間の戦い(1560)の後に
松平元康(後の徳川家康)が今川を離れて織田信長のほうに付き、元康の三河平定の
戦いが数年間続く中での、吉良義昭との戦いがこの鎧ヶでの戦いです。



話を吉良氏に戻します。堤の上から別の階段で下りてきました。
これは本当に、桜が満開になると素晴らしい景色になりますね。



この馬にまたがる吉良義央公の銅像は、西尾市の東部のあちらこちらで見かけます。
とんでもなく不名誉な話が300年以上も広まり続けてしまったけど、領民思いの
お殿様のことは地域の人に「我が町のお殿様」として語り継がれ、長い時間をかけて
名誉回復の動きになっていったのだと思いました。






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Last updated  May 29, 2021 10:17:33 PM
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