(2)1941年、ニューヨーク・マンハッタンのチャットナム(Chatnam)・ホテルのバーに集まった3人の人物によって考案された(当初は「リトル・モスクワ」という名前だった)。その3人とは、「コックン&ブル」のジャック・モーガン氏、ヒューブライン社のジョン・マーチン氏、そして、ピエール・スミノフ社の社長・ルドルフ・クネット氏。考案されたドリンクは、4、5日後に「モスコー・ミュール」と命名されたという(出典:Wikipedia英語版、原史料はthe New York Herald Tribuneの1948年の記事とのこと)。
※その後、最初にブレイクしたのは、マンハッタンではなく西海岸でしたが…。
(3)1940年代、「コックン&ブル」のバーのチーフ・バーテンダーだったウェス・プライス(Wes Price)という人物が、店の貯蔵庫に売れ残っていたスミノフ・ウオッカとジンジャー・ビアの在庫をさばくために考案した(出典:Wikipedia英語版、原史料は、エリック・フェルテン氏によるThe Wall Street Journalの2007年の記事とのこと)。
※なお、考案に当たっては、モーガン氏の友人でもあった銅器製造会社「Moscow Copper」のソフィー・ベレジンスキー(Sophie Berezinski)氏の協力もあり、後に銅製マグの使用が一般的になったと伝わっています(出典:Wikipedia英語版)。
(4)第二次大戦後、ヒューブライン社のジョン・マーチン氏が、スミノフ・ウオッカの販促のために、「コンクン&ブル」のオーナー、ジャック・モーガンと組んで考案。マーチン氏のガールフレンドで、銅製品メーカーを営んでいたオズライン・シュミットが自社の銅製のマグカップで提供するアイデアを提案した。このスタイルが人気を呼び、またたく間に米国内に幅広く普及した。店の常連客は「マイマグ」をキープするようになった(出典:The Craft Of The Cocktail<Dale Degroff著>、Meehan's Bartender Manual<Jim Meehan著>)。
「モスコー・ミュール」が欧米のカクテルブックで初めて紹介されたのは、現時点で確認できた限りでは、1946年に米国で出版された「The Stork Club Bar Book」(Lucious Beebe著)と言われています。そのレシピは「クラッシュド・アイスを入れたマグにウオッカ2オンス、ジンジャー・ビアを入れ、生ミントの小枝1本を飾る)」となっています。
また、その2年後の1948年に米国で出版された「The Official Mixer's Manual」(Patrick Gavin Duffy著、1934年初版)の改訂版にも登場(レシピは「氷を入れた12オンスグラスに、ウオッカ1.5ジガー、ライム・ジュース半個分(ライムの外皮はグラスに入れる)を入れ、ジンジャー・ビアで満たす」)しており、40年代後半には、「モスコー・ミュール」はバーの現場でかなり認知されていたことが伺えます。
1950年代の「Mr Boston Official Bartender's Guide」では、現代のように銅製のマグカップ(Copper Mug)で提供するように指定していますが、これはジャック・モーガンの友人の提案が定着した結果でしょう(出典:Wikipedia英語版)。
ただし「マミー・テイラー」については、1899年にビル・スターリット(Bill Sterritt)というニューヨークのバーテンダーが考案したと伝わっており(出典:Webtender.com→The Washington Post, May 15th, 1900、ほか欧米の専門サイト情報)、モスコー・ミュールよりも先の誕生です(カクテル名は、1890年代に人気のあったブロードウェイの女性歌手の名前にちなむとか)。