欧州への旅2015(14)ザルツブルク編<3>/11月6日(金)
オーストリア第4の都市で、「世界遺産」の街・ザルツブルクは人口約15万人。前回も書いたようにドイツ国境までわずか6kmです。西へ約140kmにあるミュンヘンの方が、東へ約300kmの首都ウィーンよりも近いという位置関係や、19世紀以前は神聖ローマ帝国内のドイツ諸邦のひとつだったこともあって、今でも(ミュンヘンが州都の)独・バイエルン州と関係が深いそうです。 都市名のザルツは「塩」、ブルクは「砦」を意味します。市の南部地域は今も岩塩の産地です。かつては製塩されたあとヨーロッパ各地へ販売されてゆき、製塩業が街の経済を支えていました。中世、この地を支配していた大司教は、塩の積載量に応じた通行税を徴収し、教会の財源にもしていたそうです。しかし現在のザルツブルクはご想像の通り、観光業が最大の産業です。 なお、日本語ではしばしば「ザルツブルグ」と表記されますが、標準ドイツ語の発音では「ザルツブルク」なんだそうです(僕も長い間、間違っていました)。もっとも、ザルツブルク地方の方言では「サルツブルク」または「ソイツブルク」とも言うそうです。ちなみにプロサッカー(オーストリア・ブンデスリーガ)・「ザルツブルク」のチームでは現在、セレッソ大阪から移籍した南野拓実選手が在籍し、活躍しています。 ザルツブルクの街のシンボルの一つ、「大聖堂」。774年に創建。現在の建物は17世紀に改築されたバロック様式のものです。モーツアルトもこの教会で洗礼を受け、オルガン奏者も務めました。 晩ご飯の前に少し時間があったので、お土産を探しました。ザルツブルク土産の一番人気は言うまでもなく、名産の塩です。その塩の専門店に行きましたが、手ごろな大きさ&値段のものがあったので、ついつい沢山買ってしまいました。 さて、そろそろ今日の晩飯の店へ向かいます。途中、通りかかったサンクト・セバスチャン教会(写真)には、モーツアルトの妻コンスタンツェの墓があります(モーツアルトの墓はウイーンにありますが、正確な埋葬地はよく分かっていません)。コンスタンツェはここでモーツアルトの父レオポルド、姉のナンネル、そして再婚した夫ニッセンとともに眠っています。 今日の晩ご飯は「アルター・フックス(Alter Fuchs)」という店です。ザルツブルクの伝統料理を伝える店と聞いていたので、ここを選びました(「フックス」とはドイツ語で「キツネ」の意味です)。 まぁ、とりあえずビール(Bier, bitte!)です。「WIENINGER」という銘柄のピルスナー・タイプのビール。チェコのビールも旨かったですが、オーストリアのビールも、これまで飲んだ限りではほとんど外れがなく、美味しいです! ソーセージの盛り合わせ。1本がでかいし、量もめちゃ多い! 食べきれるかなぁ…。2人で取り分けたいので、「Wir möchten teilen, noch einen teller, bitte(シェアして食べたいので、皿をもう一枚ください)」とお願いしました。 店内はこんな感じです。客はオーストリア以外から訪れた観光客らしき人たちも目立ちましたが、地元の人らしい客も結構来ていました。 ローストしたカモ肉の料理があったので、頼んでみました。想像通りの味で美味しかったですが、こちらも量が半端なく多いです。 よせばいいのに、「お米が食べたいなぁ」ということで、リゾットを頼んでしまいました。2人でメイン3品はやはり多すぎました。さすがに食べきれず、少し残してしまいました。 晩ご飯の後、またトロリー・バスでザルツブルク駅を経由して、ホテルへの帰途につきました。大量のシリア難民で駅はその後どうなっているんだろうと気になって、少し駅を覗いてみました。駅前にはテレビの中継車が2台停まっていました。 大きな混乱はないようでしたが、昼間より難民の人数は増えたようで、駅構内はかなりの人だかりでした。テレビ局のリポーターが中継カメラの前で、何やら一生懸命しゃべっていました。 ホテルに帰ってテレビをつけたら、先ほど駅にいたリポーターが出ていました。ドイツ語なので詳しいことはよく分かりませんが、大変な状況はなんとなく伝わってきました。明日はもう一日、午後3時ごろまでザルツブルクに滞在します。事態が少しは好転することを祈るばかりです。 <ザルツブルク編(4)>へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】