テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:エクアドル人のおっとを持つと
自分で言うのもなんだが、わたしは「お嬢様」だと思う。
中学から友達の某病院長の一人娘Mちゃんは「あんなお上品なお母さんからなんで、あんたみたいな下町気質な娘が育ったんか、ようわからへん。」というのが口癖であるが。 自分で言うのもなんだが、我が実家はエリート家庭である。芦屋育ちの母とエリートな父、高級住宅街の1戸建て。ご近所に恥になるようなことはすることもなく。。。そんな中でわたしは育った。 しかし、裏返せば、そんな窮屈な家庭で育ったもんだから、わたしは逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。 わたしが大学に入学する頃に父の海外転勤が決まり、母もついていくことに決めた。 そこで一緒に海外に行くか、日本に残るか選択に迫られたわたしは「勉学」を名目に大学寮に入ったのだった。 大学では、高校までエスカレーター式のお嬢さん学校で育ったわたしが、知らなかったさまざまなことを学業以外のいろいろなことを学ぶことになった。 あ~んなことや、こ~んなこと。 世の中、うちのような家庭ばかりじゃないということ。 はじめて付き合った彼氏とスーパーに一緒に買い物に行って、何も考えずにステーキ肉を買い物カゴに放り込んだら「こ、こんな高い肉、買えないよ!」と非難されてハッとした。 大学時代のデパートのアルバイトだってそうだった。 長期は人間関係が複雑になるのが面倒で、いつも短期であちこちのデパートを渡り歩いていた。 楽しく、しかもいい加減にやっていると、両親を亡くして中卒で働いている、という同じ年齢のバイトの子に「あんたは楽しくていいわよね、家がお金持ちだから。」と言われ傷ついたが、まだまだピンとは来なかった。 さすがに働き出してからは真面目に働くようになったが、企画室にいたわたしはやりたいことに没頭し、予算無視でよく会社側と揉めていた。 それが解決しないと転職し。。。 わたしにとって「お金を稼ぐ」ということは「自分が楽しむ」ことであり「生活を支える」ことではなかったのである、最近までは。 イタリア留学は自分の貯金でした。 しかしこの時代はお金がない、と言いケチケチな生活をしながらもその当時スペインに住んでいた両親に会いに行くには父の家族名義のクレジットカードで飛行機のチケットをゲットし、両親の家では1銭もお金を出さず、好きに旅行し、好きなものを買ってもらっていた。 それが普通だった。 結婚する前のおっとはわたしがこのように両親に金銭的に支えられているのが信じられないようだった。 そのことで第3諸国出身の誰にも頼れない自分の境遇と比べ、落ち込むおっと。 それを見て、「わたしもいい歳だし、いい加減に自立しなければ。。。」と思い、両親に頼らないことに決心したのである。 それは中の下ぐらいの給料で、シェアの安くはないが高くもないアパートを借り(シェアにしたのはただ単に万一のことを考えて、一人暮らしがこわかったから。)、夕食は作るのも面倒で冷蔵庫の人参をかじって済ませ、時々友達と飲みに行くぐらいの地味な生活をしていたわたしには意外に辛くなかった。 しかし。 結婚から全てが変わった。 結婚前から恋愛の延長線上から2人ですでに暮らしはじめていたのだが、最初の頃はまだお互い仕事時間帯も休日もずれているし、好きなことをしていたのである。 結婚ということがこんなに物入りだとは思わなかった。 結婚を意識しだした頃におっとはレストランから、わたしと同じ時間帯の昼間の仕事に転職した。 となると、夕食は少し早めに帰宅するわたしが準備しなくてはならない。 今までおっとは夕食はレストランで済ませていたし、わたしは前記の通り、人参1本だけでも平気だったのが、ちゃんと毎晩食事するようになり、食費がかかるようになった。 おっとの月々の駐車場代、ガソリン代がかかるようになった。 おっとが自営業をするために買ったワゴン車のローン、 おっとの自営業の税金、年金、 2台のクルマの車検、 2人の生命保険、 自営業のための会計事務所代(イタリアは必須)、 事故ったワゴン車の修理代、 。。。。。こうやって改めて書き出してみたら、ほとんどおっとの経費ばっかりやん!?(怒) そして、新居の経費である。 先週金曜はおっとがガソリンの補給にキャッシュカードで支払おうとしたら、カードが使えなくて、「きっと磁気が変になったんだ。」とあまり気にも留めずにクレジットカードで支払った。 わたし「仕方ないなあ、わたしのカードで(口座はひとつだけど、キャッシュカードは2つ)出金してスーパーにお買い物に行こう。」とキャッシュコーナーに行った。 結果は惨敗だった。 これって。。。どういうこと? おっと「つまり、口座が赤字になってカードがブロックされたってことかな?」(平然) わたし「げ~~~~っ????」 パニックである。 わたしは自分個人の口座を持っていたときは、1回もこんな経験はしたことがなかったのである。いつもキャッシュカードで好きなだけお金を出せていたのだ。 しかし家を買ってから、それまでそれぞれ持っていた口座をローンの審査と支払いのためにひとつにせざるおえなくなったのである。 つまりおっと個人の負担もわたしにまで降りかかってくるようになったのだ。 でも。。。どういうこと? わたしたちの給料は先週中に振り込まれてあるはずなのだ?! それが振り込まれてないってこと? どうするの? まだローンの審査中だよ?! お金がなかったら、食料も買えないし、もんで男くんはおろか、おっとの仕事用のワゴン車のガソリンの補給も出来ないやん?! 日曜はプールに一緒に行こうって言ってたのに、たった4ユーロの入場料も払えないやん? 更に、昼食に招待してくれたウイリアムの住むマルペンサ空港の近所までもガソリンないから行けないやん?! 行けないやん、 出来ないやん、 生活できないやん、 ダメやんっダメやんっダメやんっダメやんっ!!!!!?????? はあはあはあはあ。。。。 あ! わたし「そうだ!クレジットカードで1ヶ月生活すればいいんだよ。そしたら支払いは1ヵ月後だ!」 おっと「だめだよ。クレジットカードの限度額ぎりぎり使ってもんで男くんの車検代(もう車検が切れて4日目)、払うことにしたでしょ?」 OOOOOOOHHHHHHHH,NOOOOOOOOOO!!!!!! まさに四面楚歌であった。 わたしはお金がない、ということより、自分がこんな境遇にまで落ちてしまったことにショックを受けた。 こうやって日曜は快晴だというのに、思いっきりブルーに家でごろ寝していたのである。 おっとは「大丈夫だって!きっとたいした問題じゃないと思うよ。」としきりに強がっていたが。。。 そして月曜の朝。 わたしは慌てて我が家からとおい、遠い銀行に駆け込んだ。 「いくら口座に残ってますか!?」 口座には2人の今月の給料そっくりとは言わないが残っていた。 わたし「いったいどういうことですか!」と取り乱し、声を裏返して週末の出来事を語っていると、口座を開設するときだけ喋ったことのある新居のローン担当者が出てきた。 ローン担当者「どうしました?」 もう一度、週末の出来事を語りなおす。 ローン担当者「ああ、それは給料の支払いが遅れた上に2月に払いきれてなかったフィード(一時的融資)分が自動的に引き落とされたものだから1時的に口座が赤字になってカードがブロックされたんですよ。今、解除してあげます。」 とあっさり解除してくれた上、「今後こんなパニックが起こらないために。」と無料でつくれるうえ、ローンで払えるクレジットカードをわたし専用につくってくれたのであった。 肩の力が抜けた。カードをつくってくれている間に、フラフラといすにへたり込んだのだった。 冷静に思い起こせばおっとが言ったとおりである。 たいした問題じゃなかった。 ここはイタリアなんだ。平常に給料の支払いが遅れて当たり前じゃないか? しかしいままでは、口座にはいつも余分なお金があったから、給料日なんて漠然としか把握していなかったのである。 今までで金銭面でこんな窮地にたたされた事ははじめてだった。滞在許可証の危機以来のパニックであった。 この日、自分がいかに今まで甘ちゃんだったか思い知らされたのだった。 。。。。しかしこれで終わりではなかった。これは単なる序曲だったのである!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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