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テーマ:ミニカー大好き(3244)
カテゴリ:F1
世間は大型連休で、やれ高速渋滞がど~の、新幹線の乗車率がど~のと騒がしいが、元々こいつらのための大型連休だった製造業から、眠らない休まないがモットーの食品加工業に顧客をスイッチしつつあるウチの社は、今日も明日も明後日もガラ空きの通勤電車で出勤しテッペン近くまで働いて、閉店タイムセールの半額弁当ぶら下げてトボトボ帰るその姿は、どう見ても勝ち組ではないね(^^ゞ
ま、そのおかげでチマチマとミニカー買い揃えられるわけだから、休日返上も痛し痒しってところかだけど、そんな感じで手にしたのが、前回のタバコ負け組ジタン以上にダメダメな超負け組なタバコブランドのマシンっつーのは、なんか笑っちゃうっつーか笑えないっつーか、ね。 スパーク1/43 ラム03ハート "オーストリアGP" #10 ケネス・アチソン 70年代後半に、ブラバムシャシーを購入してF1サーカスの隅っこで細々とやってたRAM(ラム)が、一時撤退の後に何をどう考え違いしたのか、コンストラクターとして復帰したのが1983年のこと。 翌84年には念願のタバコマネー(スコールバンディット)を獲得し、チーム名もスコールバンディットF1チームとするも自社マシンはまるっきり鳴かず飛ばず。 84~85シーズン合計23レースで38回ものリタイアを記録し、モナコに至っては2年連続の予選不通過の体たらく(グスタフ・ブルナーとセルジオ・リンランドの設計なのに!) あまりの不出来にスコールバンディットも契約を更新せず、資金繰りで行き詰ったチームは86年シーズン開幕を待たずに解散。 まさかチームがなくなるとは思ってなかった(思ってたかも)85年後半3戦(オーストリア、オランダ、イタリア)に耐久レースで事故死したマンフレート・ビンケルホックに代わってスポット参戦したケネス・アチソンのオーストリアGP決勝は予選23位からスタートしてお約束のリタイアに終わる。 ケネス・アチソンは、世界でとゆーよりは日本で名が売れた(1987年ノバのアドバンポルシェでチャンピオン)って感じだが、ザウバーメルセデスやジャガー、ニッサン、トヨタ、サードでルマンを走った耐久の名士であり、速さはともかくマシンを無事ゴールまでもっていく能力には長けているドライバーをもってしてもリタイアオンリーってのは、やはりマシン(つかエンジンの信頼性)に問題があったんだろ。 まあ、世界最高峰ったって今ほどワールドワイドじゃなく金に汚くもなかった、大らかなアマチュアイズムの残り香あった時代のありふれた顛末といえばそれまでのハナシ。 だけど、レッドブルはじめダークカラーが蔓延する現代F1とちがって、華やかなタバコパッケージのイメージまんまのカラーリングは、やっぱ見てて自然とにやけてくるんだよね(^^) 何の特徴もないサラっとしたこの時代の平均的ターボ車な外観も、いーよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.30 00:22:53
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