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2019.10.29
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カテゴリ:F1
​ ​F1に絶対必要不可欠なのは、信頼性抜群で力強いPUでも、ビッグパワーを意のままに操るトップドライバーでもなく、ひとえにそれらを開発したり雇ったりするお金を運んでくるスポンサー様である、とゆーのはナショナルカラーの世界にその価値観が持ち込まれた1968年からの絶対真理であろう。
 では、大口のスポンサー様がついていれば強者足り得るか?といえば、そーでもなかったり。それはカネを出す側があんまりレースのことを知らずに、エージェントの甘言にだまくらかされて弱小チームに大金を投資をする、とゆーパターンがひとつ。今だったら、古豪ってイメージだけでウィリアムズの冠スポンサーになったロキットがいい例だな。
 もうひとつは、チームがかつて持ったこともない大金に振り回されて、身の丈に合わない成長を求めて資金を無駄使いするパターン。こっちの代表は誰が何つったってティレルだろう。

 お金がないから奇抜なアイデアで他車を出し抜く。大活躍にスポンサーがついて大金が転がり込む。さらに上を目指して新機軸を模索し失敗。結果スポンサーが逃げ出して再び青一色の寂しいマシンに。6輪車のときも、アンヘドラルのときもこの繰り返し。



 前年の活躍で大口冠スポンサーがついて、お金がある時のティレル。制御不能のヘンテコなシステム(ハイドロリンクサス)に手を出して、当然戦績は振るわない(笑)
そして、スポンサー様は逃げていく・・・の王道を貫く。

 ​タメオのサンマリノ仕様がすでに手元にあるから、それだけありゃあいいやとか思ってたんだが、こうして発売されれば何故か買ってしまう(笑)


モデルガレージロム特注スパーク1/43 ティレル 023 ヤマハ
1995年アルゼンチンGP 8位
#3 片山右京

 シーズン序盤の2戦のみの所謂ノキアカラーになる前の、ティレルらしいっちゃあティレルらしいこのダークなカラーリングのほうが、個人的には好き。
 駿馬022を駆って、キレた走りを披露してチャンピオンチームからお声がかかるも、ティレルとの契約解除金とかJTが2チームスポンサーを希望(片山が抜けたらティレルから手を引くのは必定)とか問題があるも、なにより「劣ったマシンでベネトンやウィリアムズに勝つ!」とかゆー根拠のない自信に凝り固まった本人が移籍に積極的じゃなかった(なにせ、シューマッハが「はぁ?まだ契約してねーの?何で?バカじゃねーの?」と驚いたくらい)とゆーのが片山ベネトン誕生せずの舞台裏。
 そうまでして残留したティレルはしかし、単に成功作022をブラッシュアップしとけばソコソコだったろうに、下手にカネがあるもんだから欲かいて余計なシステムに手を出し開発に失敗。17戦でたったの4回しか完走できない体たらく。



 あの時、変にツッパらないで素直にベネトンに移籍しておけば・・・のタラレバ。
シューマッハの下僕的扱いながらも、なんだかんだで2勝してキャリアベストを記録することになったジョニー・ハーバートのベネトンB195を前に何を思うか片山右京ってね。


ミニチャンプス1/43 ティレル 023 ヤマハ 
1995年ベルギーGP 8位
#4 ミカ・サロ

 実のところ、いつでも空回りな片山右京が好きではない。とはいえここは日本、仕込み量も売れ行きも右京偏重なのは仕方がないが、中古市場に浮上してくれば絶対にお買い得なのが同僚車、いわゆる「じゃないほう」。ほぼ6割オフで売りに出てたので手を出してみたけれど、スパーク・ミニチャン比べてみても優劣つけがたし、とゆーところ。
スパークのほうのサイドポンツーンのアンテナがちょっと長すぎる、ミニチャンはレインタイヤでちょいとお得感あり、程度の差異。

 地国の携帯ノキアのビッグマネーをティレルに持参してきたミカ・サロ。ビッグマネーといっても金額と広告面積の関係はチームごとに違うから、どんくらいのビッグマネーなのかはわからんけれども。
 例えばパイオニアは、92年シーズンに向けてミナルディとスポンサー契約の話を進めていたんだが、最終段階でこれを破棄してフェラーリに乗り換えた。結果、サイドポンツーンの片隅に小さく青いパイオニアのロゴマークがついたわけだが、契約を反故にされたジャンカルロ・ミナルディが「フェラーリだとあんなにちっぽけなロゴだけど、もしウチと契約してたらマシン全面広告出来たのに勿体ない話や」とぼやいた逸話が残ってる。
 そのくらい費用対効果にはバラツキがあるんだが、それはともかくティレルにとっては大金だったと。それを元手に得体の知れないハイドロリンクサスへつぎ込んだのが運のツキ。サロがチームの全ポイントを稼ぎ出す孤軍奮闘の活躍をみせるも、成績は前年よりも大幅ダウン。これにビックリしたノキアは、たった一年でスポンサーから離脱(元々そういう契約だったのかは知らんが)まさにイージー・カム、イージー・ゴー。
 大口スポンサーを失ってティレルはまたぞろブルー一色だなあ、とか思った翌96年も白かったのにはちょっとびっくりしたけど(笑)

以下、そのうち発売されるだろうティレル024に続く。​​





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Last updated  2022.05.04 03:29:30
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