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テーマ:ミニカー大好き(3286)
カテゴリ:F1
126CKのまとめネタを書いたなら、お次はコレっつーのはある意味予定調和である。
ただワンシーズン通しての総括をやるにはやるんだけど、個人的には序盤のイモラ(あるいはゾルダー)で終わっちゃってるんでね、それ以降についてはあんま熱がない(汗) フェラーリのお膝元、アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ(当時名称)での”誤解”がなければ、あるいはレース後にチームが下手くそな事後処理(エンツォ御大が頭ごなしに和解を強制)をしていなければ、果たして82年シーズンはどう転がっていったろうか。それ以降のF1サーカスはどう展開していったろうか。 ブルム1/43 フェラーリ 126C2 1982年アメリカ西GP DSQ #27 ジル・ヴィルヌーヴ グラウンドエフェクトによる強烈なダウンフォースとV6ターボエンジンのパワーを受け止めきれなかった鋼管フレームにアルミ板リベット止めによるセミモノコックを先進的なアルミハニカムモノコックへ進化させた途端、ハンドリングが安定して一線級のマシンへ変貌した。 まぁなんていうのか、掟破りのダブルウイングが有名なロングビーチ仕様であるが、こういうスペックを堂々と出してくることがすでにドライバーのストライキや不可解な違反判定、重大事故が頻発する不穏なシーズンの兆候と言うか。英国バックヤードビルダー系チームが「水タンク」というインチキをやってくるなら、こっちはこういうテ(ダブルウイング)で対抗するまでよ、という性能向上よりも敵対勢力に対するイヤミが原動力のダブルウイングではある。結局3位フィニッシュしたもののウイング違反で失格。 相変わらず126C系ならまかせとけ!なブルムの、主にタイヤを品質向上したアップデート版(それとともに値段もアップ)。元々ボディ形状はイメージドンピシャでカッコいい126C2なんだが、唯一ブレーキダクトが黒いのが超残念。実車のような半透明は無理としても、茶系で塗装するとか出来んかったかねぇ。 ブルム1/43 フェラーリ 126C2 1982年サンマリノGP 2位 #27 ジル・ヴィルヌーヴ BBR1/43 フェラーリ 126C2 1982年サンマリノGP 優勝 #28 ディディエ・ピローニ 運命のイモラ、サンマリノGP。 今では考えられないイギリス系チームの参加ボイコットで、レースは実質フェラーリVSルノーの一騎打ちだが、ルノーは2台ともリタイアしフェラーリの1-2体制。ガス欠を心配しピットからは「SLOW」の指示が出ると、ヴィルヌーヴはこれをこのままポジションキープと理解。他方ピローニは単にガス欠に注意せよとだけ理解した。こういうときは79年のように2位は堅持するもんだ(仮に自分が2位でも抜かない)というヴィルヌーヴと、仮にもジョイントナンバーワンと言われて加入してんだからトップ争いしても何の問題もないと考えたピローニ、という二人のボタンの掛け違いが原因。 味方に背中から打たれたと怒り心頭のヴィルヌーヴは、次戦ベルギーGP予選で、スロー走行中のドライバーとのボタンの掛け違いから接触。マシンは宙を舞い、シートごと投げ出されたヴィルヌーヴは絶命。 相変わらず黒いブレーキダクトのリニューアル版ブルムだけど(てかサンマリノの27号車はフロントはブレーキダクトレスだよ)、BBRはちゃんと半透明の樹脂を再現してさすがお高いだけのことはある(さすがに28号車だけに追加装備された蛇腹ホース製ダクトは再現されてないけど)。 デアゴスティーニ1/43 フェラーリ 126C2 1982イタリアGP 3位 #28 マリオ・アンドレッティ ヴィルヌーヴに続いてピローニまでもが事故で再起不能に陥るという前代未聞の事態に、スクーデリアはまず27号車にヴィルヌーヴの友人パトリック・タンベイを、その後28号車にマリオ・アンドレッティを招聘。およそ10年ぶりにフェラーリのシートに座ったマリオは、ぶっつけ本番に近い状態にもかかわらずモンツァでポールポジションを獲得しレースも3位入賞、結局代役二人で7回出走6回入賞と期待に応えフェラーリのコンストラクターチャンピオン獲得に尽力した。 個人的にはイモラ(あるいはゾルダー)で終わった、といってもそこにミニチュアがあれば(しかも安価で)これ幸いとばかりに買っちゃうのが蒐集家の性。隔週刊F1マシンコレクションのアンドレッティ車はちゃんと後期型をモデル化していてエラい。 鋼管フレームのセミモノコックからアルミハニカムフルモノコックへ変更して駿馬に生まれ変わった126C2の唯一のアキレス腱がタイヤとのマッチング。タイヤの摩耗を抑えるためにロッキングアーム+プッシュロッドのフロントサスをプルロッド式に大改造。そのあおりでアッパーカウルもフロントサスカバーがなくなる変更を受けた。デアゴは他シリーズの金型を流用するんじゃなくちゃんとここを再現してんだけど、さすがにサスアームまでは手が回らなかったね。件のブレーキダクトもフラットホワイトでそれらしくしてんだけど、黒よりマシとは言うもののここはひとつサンディブラウンで塗ってみた。なかなか雰囲気いいんでブルムのもやってみようかしらん。 シーズン16戦中、2台揃って出走したのが7戦しかないのにコンストラクターチャンピオンに輝いたのは、それだけ126C2が駿馬だった証拠だろう。それは急遽乗ることとなった代替ドライバーでも優勝争いに絡めたことでもわかる。 けれど、もしも126C2が126CKと同様のじゃじゃ馬だったなら、せいぜいが入賞争いする程度のマシンだったなら、ヴィルヌーヴとピローニは走らぬマシンを前にああでもないこうでもないと良好な関係のままでいられたんじゃないかと、翌年もその先もグランプリで走ってたんじゃないかと思えて仕方がないのだよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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