万雑530_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_20)
万雑530_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_20)次も、引き続き大伴家持と大伴坂上大嬢との相聞歌です。大伴坂上大嬢が大伴家持に贈った歌1首です。735_「春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む」※_「春日山に霞がたなびいて晴れ晴れしない気持で、おぼろに照る月あかりのもとに私は一人で寝ることでしょう」と歌っています大伴家持が大伴坂上大嬢の歌735に応えた歌です。736_「月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をそせし行かまくを欲り」※_「月夜には戸外に立ち、夕占を聞いたり、足占をしたりしました。あなたのところへ行きたくて」と歌っています。「夕占」は、夕暮の辻に立ち、通る人の言葉をによって吉兆を判断する占いです。「足占」は、目標点までの歩数や左右いずれの足が先に着くかで、または足踏みなどをして、吉兆を判断する占いです。 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上