万雑560_大伴家持の鹿鳴の歌2首と秋萩の歌(大伴家持_50)
万雑560_大伴家持の鹿鳴の歌2首と秋萩の歌(大伴家持_50) 2023年大晦日、次は大伴家持の鹿鳴の歌2首(1602、1603)と秋萩の歌(1605)です。天平十五年(743年)8月16日に家持が作った鹿鳴の歌2首;1602_「山彦の相とよむまで妻恋に鹿鳴く山辺にひとりのみして」※_「山彦が響き合うほど、妻を恋う鹿の高く鳴く山辺に、ただ一人で居て」と歌っています。1603_「このころの朝明に聞けばあしひきの山呼びとよめき雄鹿鳴くも」※_「このところの夜明けに聞くと、(あしひきの)山を響かせて、雄鹿が妻を呼んで鳴いている」と歌っています。家持の秋萩の歌;1605_「高円の野辺の秋萩このころの暁露に咲きにけむかも」※_「高円の野辺の秋萩は、この頃の暁の露を受けて咲いただろうかな」と歌っています。今年も最後となりました。来年も引き続き宜しくお願い申し上げます。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平8年(736年)家持が19か20歳で秋の歌4首(1566~1569)あり天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去※_天平12年8月29日藤原博嗣が政府批判、9月3日挙兵、藤原博嗣の乱天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕※_聖武天皇伊勢行幸;10月29日に立って、11月2日から11日まで滞在※_天平12年12月15日、聖武天皇の勅命により平城京より久迩京に遷都天平12年から天平15年ころ、家持は坂上大嬢を娶ったようですが?天平15年(743年)8月;秋の歌5首(1597~1599,1602,1603)あり※_天平16年(744年)2月、難波京に遷都天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去※_天平17年(745年)5月、都を平城京に戻す天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)_済巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)_済巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)_済巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上