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Starting Over プーケットでワシも考えた

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Sep 5, 2009
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ブログの更新を怠っているうちに、私のブログは訃報ばかりになってしまった。
もう少しで二十歳を迎えるはずだった猫のキョンコが1週間前に旅立ってしまった。

去年の暮にご飯を食べなくなり、その時はステロイドが効いたのか、あるいはもともとの生命力の強さが幸いして回復した。2月ごろ、今度は急に左目が飛び出してきてしまった。レントゲンをとってもよくわからず、もしかしたら歯周病の腫れが目を圧迫しているのかもしれないと、主治医の先生の勧めで抜歯をした。5日くらいで飛び出していた目がスーっと引っ込み、乾いてしまった角膜もすっかり元通りになって、「キョンコはすごい猫だ!」と何度もほめてあげた。

3月から4月にかけて私がプーケットへ行っている間にまた目の具合が悪くなり再入院した。私は成田から家へ着くなり病院へ迎えに行った。具合が悪いと一人でジッと耐えている猫だったが、やっぱり病院は嫌いで、定期検診に行くたびに、ケージから引き剥がすように引っ張り出し、帰るときにはさっさと自分からケージに入っていた。だから少しでも早く家に連れて帰ってあげたかったのだ。その時は、目が飛び出すことはなかったけれど左目に白い膜がかかり、腫瘍かもしれないと言われた。それでも、食欲が安定してきて、私がいる2階に何度も来るようになった。ラックがいるときは遠慮していたのかもしれない。後ろ足が悪くなっていたので、もう2階に来るのがつらいのかと思っていたけれど、そうではなかったのだ。

いつもは1階のリビングで寝ていることが多かったが、夜になると私のところに来て、おなかがすくと脚をひっかいて知らせた。腎臓サポートのウエットタイプをよく食べるようになり、少しづつ何度も何度も食べさせて、キョンコもどんどん元気になっていった。

この8月、妹がプーケットから一時帰国するので私がプーケットへ行っている間も、「ご飯もよく食べるし、目もよくなってるし、すごく元気だよ」と報告を受けて安心していたのだが、帰るその日になって母から入院したという電話がはいった。「昨日まで元気だったのに、朝方急に大きな声をあげて、後ろ足が動かなくなっちゃって。それでも這ってお父さんのベッドの下まできたんだよ」。その日すぐに母はキョンコを病院に連れて行って、とにかく私が戻るまでは生かしてくれと頼んだらしい。

今回も成田から家に着いて、荷物を置くとすぐに病院に行った。
酸素室に入っていたキョンコは、私に気付くと起き上がり、ものすごく大きな音で喉を鳴らした。どこか悪いんじゃないかって思うくらい、大きく元気にゴロゴロと喜んだ。
先生の話では、静脈瘤であることは確かだという。後ろ足にはもうほとんど血が通っていなくて、冷たくなっていた。普通なら手術をするところだけれど、高齢でもあり、手術をしたからといって確実に治るともいえないということだった。

家に連れて帰る気持ちは決まっていた。酸素ケージをレンタルしようと思っていた。とにかく、一人で入院させておくことだけはしたくなかった。家について、腎臓サポートのフードを口元に持っていくとペロッとなめたが、ポトッと吐き出してしまう。またご飯を食べるようになるんじゃないかと期待したが、これが精一杯だったのだろう。

両親が寝てしまった11時過ぎ、私は居間でキョンコに添い寝するようにずっと一緒にいた。ここで一緒にいてあげなかったら後悔すると思った。「怖くないよ、大丈夫だよ」。いつもはキョンコの体をマッサージするように、でもこの日は手をかざすようにして「キョンコの悪いもの出ていけぇ」と続けていると、すこし落ち着いたようにみえた。

ただ、最期が近いことを感じていた。病院から連れて帰ったことでキョンコの死期を早めたかもしれないけれど、たとえ3日、1週間と病院にいて長らえるよりも、キョンコは家にいるのがいいのだという気持ちに迷いはなかった。

私がトイレから戻るとキョンコは痙攣を起こしていた。そして最後に後ろ足がスーっと伸びると、キョンコは逝ってしまった。8月30日午前2時半。20年間、良く生きた。キョンコも素晴らしい猫だった。頭がよくて、生命力にあふれていて、すごい食いしん坊で、プライドが高くて、でも実は甘えん坊で。私のお気に入りのクッションの上でよく眠っていた。

プーケットに住んでいた6年半の間も、家に帰ってくるとすぐに甘えてくれた。私の脚の間に挟まって、脚をつかんで、ゴロゴロゴロゴロ言っていた。本当に良く生きた、すばらしい猫だった。だからもうキョンコはすっかり虹の橋へ行ってしまった気がする。弟のチビニャンや、ラック、ミル、ピッピとも仲良くやっていることだろう。ミルとは毛の色も似ているし、性格も頭の良さも似ているから、意気投合するに違いない。

2日前まで元気でいたキョンコ、そして私を待っていてくれたキョンコ。キョンコは生命力が何であるかを教えてくれた。死の2日前まで元気に生きられるのだということも教えてくれた。そして、十分に良く生きた可愛い素敵な猫だった。

キョンコ、私たちは人間の言葉ではない何かで理解し合っていたよね。
だから、いつかまた、きっと会えるよ。その時には目で合図しあおうね。





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Last updated  Sep 6, 2009 02:12:19 AM
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