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カテゴリ:不易流行
元禄四年六月末より芭蕉は京都から大津へ戻り、 九月末の江戸下向まで新築なった無名庵で過ごし、 その僅か三ヶ月間に大津での八十九句中二十句も発句している。
既に紹介した“堅田の十六夜観月句会”等での八句余りを除き、 筆者の想像を交えつゝ、暫時紹介してみると、 於 無名庵、と思われるものは 「秋海棠西瓜の色に咲きにけり」(しゅうかいどう すいかのいろに さきにけり) と当時でもハイカラで珍しい果物の花の色に感嘆している。 (句碑は義仲寺近くの馬場児童公園にあり) と芭蕉と乙州が膝を交え一献くみかわす風情が詠まれており、母でもあり姉でもある智月が用意したのか、酒の肴にと、持参した秋の実りの嗜好品を眺めて 「折々は酢になる菊の肴かな」(おりおりは すになるきくの さかなかな) 「松茸や知らぬ木の葉のへばり付く」(まつだけや しらぬこのはの へばりつく) と乙州との別れの宴に興じたことだった・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 2, 2020 04:59:36 PM
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