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カテゴリ:不易流行
重陽の節句に合わせ、語呂合わせでもないが、庵での気楽な一人寝の起き伏しの侘しさを
「九たび起きても月の七ツ哉」(ここのたび おきてもつきの ななつかな) とも詠んでもいる 「稲雀茶の木畠や逃げ処」(いなすずめ ちゃのきばたけや にげどころ) 「鷹の目も今や暮れぬと鳴く鶉」(たかのめも いまやくれぬと なくうずら) と詠んだことだった・・ 元禄四年晩秋。大津門人衆との別れを前に膳所の菅沼曲水亭にて「夜寒」という題で句会が催され、 曲水夫人が座の人々に煮麺を振舞ったのであろうか、 「煮麺の下焚きたつる夜寒哉」(にうめんの したたきたつる よざむかな) と詠み、 そんなこんなの 義仲寺 無名庵滞在 三ヶ月で都合十数句に、既に紹介した“堅田の十六夜観月句会”や、月参りの石山寺等での八句余りを含め、合わせて二十余句を、この時期 近江に残している。 かくして江戸に住まいのある弟子の桃隣をともない、大勢の門人衆に見送られ、九月二十八日、膳所を後にし、名残にもう一泊乙州宅に泊まり、 「見送りのうしろや寂し秋の風」(みおくりの うしろやさみし あきのかぜ) とばかり 二十九日 江戸に向け、まずは彦根をめざし旅立ったが、次に近江大津へ芭蕉が戻ってくるのは元禄七年 閏五月と 長の暇となった・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 4, 2020 04:04:39 AM
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