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カテゴリ:旅行記
妙国寺を出しなに同寺ガイドに教えられ、一旦旧外堀を埋め立てた長い緑地公園に戻り、秀吉の命による 堀埋め立て前の 堺区割り図の立看板を確かめ、
(地図上で右クリックすると、更に拡大します) ほぼ 昔のままの地名を頼りに、江戸期の屋敷町風の街道を折れ歩くこと暫し・・ 時代劇にでも迷い込んだ趣きの町屋を振り返ると、その左手に「覚応寺」があり。 正門を入ると 扇状に「ちらし書き」された与謝野晶子の歌碑 「その子はたち くしにながるゝ くろかみの おごりの春の うつくしきかな」 とあります。 ここに歌碑があるのは、晶子二十歳の折、この寺の文学青年でもあり、後に住職になった河野鉄南と、親交深い与謝野鉄幹を 晶子に紹介した縁で結ばれたとか・・ 更に通りを左折して重厚な塀沿いに暫く進むと・・ 正面に周り 本願寺 堺別院 (元 堺県庁)正門に出ます。 正面の本堂前には 親鸞上人と室町時代にこの地で布教した 蓮如像が立ち その本堂左手には これも 晶子の信仰心旺盛で 静謐な歌碑 劫初(ごうしょ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ とあります。 その後、表通りの阪堺電車の通る大道りを渡り切り、南に進むと 「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家」・・ 和菓子商の晶子の生家跡は(チンチン電車道に拡張され)今はこの句碑のみ残り、 流石に歌人晶子の生まれ育った堺の街に よく溶け込んだ多くの歌碑群です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 23, 2020 12:10:56 AM
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