1380853 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

piyotaの【ちぇブラで行こう】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

カテゴリ

フリーページ

バックナンバー

お気に入りブログ

大豆播種終わった〜(… New! 天野北斗さん

串本採集のシロズキ… ホムラspさん

久しぶりタコ Nori1022さん

美渓遊釣 みのふさん
すずき君を釣ろう! 新バネさん

コメント新着

piyota0@ Re:2024年の目標というか予定というか(01/07) 始発で河和に電車釣行の時のシミュレーシ…
piyota0@ Re[1]:2024年の目標というか予定というか(01/07) 衣浦トンネル東詰 碧南緑地の南角でシー…
piyota0@ Re:2024年の目標というか予定というか(01/07) 05:41発 本山(愛知県) 名古屋市営東山線高…
piyota0@ Re:2024年の目標というか予定というか(01/07) 06:28 出発駅 本山(愛知県) ↓ 名古屋市営…
piyota0@ Re:2024年初釣り!チンタ沸く新居海釣り公園(02/03) <small> <a href="https://ameblo.jp/gee…

ニューストピックス

プロフィール

piyota0

piyota0

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2011.01.04
XML
カテゴリ:生命科学

たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない

これは、あるショッキングな、しかし悲痛な、匿名ブログのエントリーである。そして一面の真理が含まれている。

著者は、京都大学の生命系大学院で就学中にそのひどい環境から鬱病を発症、大学院を中退して、最終的には別の職に着くことができた、らしい。

ここで描かれていることは、あくまでこの著者の主観からの記述ではあるが、Piyotaが日頃考えている「大学院教育」の問題とも共通している点が多々あるので、決して悲惨な例を強調しているわけではない、ということを言いたいのである。

本来、大学院で大学院生が搾取される構造的問題とか、そもそも日本の基礎科学・大学院教育のありかたに関する施策の矛盾が、現場の研究室の教員と大学院生を直撃しているという構造的な問題とか、いろいろとあるとは思うのだが、それとはちょっと別の視点からPiyotaの考えを整理してみたい。

(1)まず、生物系の学部教育におけるカリキュラムの整合性その他について。

やはりこれについては、国家試験がありCBT/OSCEがあり、コアカリキュラムのしばりがある医歯薬学部の教育のそれと、大いに異なる。もちろん、縛りがないからこそ、各大学・学部の特色ある高度な専門教育ができるのであるから、そこから本質を学び取れないのだとしたら学生の資質にも問題がある、といういいかたはできるかもしれない。そもそも大学教育というのは補習塾ではないのだから、できる人間が伸びるための入口を多く用意しておけばよい、のである、はずである。しかし、それではミスマッチが生じたときに学生をどうやって救済するのか?

Piyotaの考えでは、座学をもっと厳しく叩き込むことが、結局のところ「親心」なんだと思う。Piyotaは座学は受けるのも教えるのもキライなのであるが。しかも、坐学の講義のカリキュラムや内容を精査し高度化し、単位認定を厳格化すればするほど、学生からの人気が下がり、教員にとっていいことが一個もないのであるが・・・それでも、それをきっちりとことんやるのが、学生に対する親心なんだろうな。

そういう親心発揮の機会と意欲を大いに現場から奪うシステムが学生による「教員評価システム」である。
ともあれ、基本的に大学一年次二年次の単位認定と進級要件は、もっと厳しくしてもいいんじゃないかな、という気がする。これは文理関係なくね。

ともあれ、医歯薬以外の生命系の学部・大学院修士課程では、複数の大学が協議して、共通コアカリキュラムを策定したほうがいいと思う・・・大きな御世話かもしれないけれども、、、。

(2)大学院教育における研究室での大学院生に対する時間の縛りについて。

まず大学院は、その大学院教育におけるアドミッションポリシーを明確にすべきであろう。組織的に明確化できないばあいは、研究室単位で、その研究室のアドミッションポリシーを明確化するのがよかろう。そのうえで、大学院生の資質に応じて、基本的に、次の仮想的履修2コースを並列で設定すべきである。

・研究者(特にアカデミック研究者)養成コース
・高度専門的社会人育成コース

前者は最初から大学に残ると決めている人向き。後者は就職希望者向き。起業したい人は前者に、自分でよくわかっていないモラトリアムな人は後者に、押し込む。

実は、この二つのコースの教える内容に本質的な違いは、ない。学生がどちらのコースを選んだとしても、科学的思考法、実験科学の手法の本質に差があるはずがないし、企業に就職を希望する学生と更に大学に残ろうという学生の間で、修士の学位の内容に差があっていいはずがないからである。

ただ、前者はとんでもなく狭き門であることを本人に自覚させた上で、かつ本人の確固たる意志で入門させるべきであろう。いずれにせよ大学院は、単純な座学では教えられない複合的なことを、On the job training (OJT)としての研究活動を通じてまなばせるところである。

さて、だから、OJTと、「大学院生を現場労働力として酷使すること」、の違いを、教員は絶対に理解すべきだ。しかし、その二つをごっちゃにして研究室を運用せざるをえないところまで追い込まれているのが、昨今の「大学運営交付金削減」「競争的資金増額」の流れの結果である。大学院の研究=大学院生のOJTという図式を、なんとか両立させることでしか、研究室における科学のレベルが存続できない。

OJTならば、研究と教育を両立させて、学生個々人の進度・理解度・負荷に対する耐性などに合わせながら、実際の最先端の研究に従事させつつさまざまなことを学ばせることができる(希望的観測)。だが、プロジェクトが縛られている競争的資金では、そうもいかない。なぜならば、立案時の計画に従って厳然たるノルマが存在するからである。従って、大学院生も労働力として納期のあるプロジェクト研究に参加しなければならない。そのとき、専門的技術の低い初学者、新入生は、ルーチン仕事を分担せざるを得ない。

ただし、学生の将来を思えば、納期のある期限が決まったテーマ研究に従事してもらって、厳しく指導してあげたほうがよいような気はする。「納期を理解せず自分の好きな研究に没頭」というのは、会社ではもっとも嫌われる技術者になってしまうからだ。同時に、学生のキャパを越えてきつく締切りを設定しすぎると、教育効果がまったくなくなってしまう。つまりあまり厳しすぎてもいけない。

(3)その上で、フェイルセーフ機構を更に用意しなければならない

それでも、さまざまな意味で発展途上で、同時に不安定なのが10台の終わり~20台前半の学生である。それまでにどれほどのストレス耐性を着けているのか、社会常識を身につけているのか、へテロな集団を相手にすることが前提でシステム設計なされなければならない。

だから、何か問題が起こったときに、いつでも救済をできるしくみは重要である。それを明文化してシステムとしてそなえておくのか、それとも、小人数の知恵のある人々が臨機応変に運用するのか、は大学や学部や研究科の規模によるので、どちらがいいかはここでは述べない。だがともかく、研究室を開かれた形にして密室にはしないこと、は、重要であろう。


そんなことを新年早々思いながら、このhatena匿名ブログを読んだ。

にほんブログ村 科学ブログ 生物学・生物科学へ
ブログ村で生命系大学院進学のブログを探してみる





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.01.07 14:00:45
コメント(0) | コメントを書く
[生命科学] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.