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テーマ:猫のいる生活(136018)
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大正時代の航空機エンジン検索してたら、ル・ローンC型エンジンなるものに行き当たりました。 今では飛行機用エンジンも、ジェットエンジンに切り替わってて、国産だと三菱重工業や川崎重工業、IHIなどかな。大正時代の代表的なエンジンで、設計はフランスです。 「回転気筒空冷星型発動機」と云うらしい。 これは文字通りクランク軸が静止、気筒群とこれを支持するクランク室とが一体となってその周りを回転する、通常とは逆の星型発動機らしいです。 つまり冷却効果を高めるために、エンジンにプロペラが固定されてエンジンごと回転する「回転式エンジン」なんです。 星型発動機と云うのは、気筒数を偶数にすると対向する気筒同士が振動を増幅してしまうので、常に気筒数は奇数となるそうです。 利点としては、各シリンダーが常に回転軸の直上に配置されるためピストンロッドが短かく済むし、各気筒が均等に気流に晒されるため空冷で充分な冷却効果が発揮できるそうです。 全面投影面積が大きくなりがちで機体全体としては空力的に不利になるなど欠点も多くあったのですが、第2次世界大戦頃までは日本やアメリカの飛行機でよく見られたそうです。 最近、ホンダが自社のジェット機をTVでCMしてますが、本田技研工業も航空機用ジェットエンジンの開発元なんです。 しかし1950年代後半までは、飛行機のエンジンといえば、レシプロエンジンと云われていました。 むしろこの時代までの飛行機用エンジンと云えば、レシプロエンジンの発達とリンクしてます。 星型発動機もそんなレシプロエンジンの一形態なんですね。 戦前の国産で空冷星型発動機を作っていたのは、終戦まで東洋最大、世界有数の航空機メーカーだった中島飛行機(富士重工などの前身)とか三菱重工業が有名でしたが、実はもう1社、とても有名な飛行機用エンジンの製作会社があったのです。 それが東京瓦斯(ガス)電気工業。 東京都の払い下げを受けた「東京瓦斯会社(後の東京ガス)」の機械部門が1910年(明治43年)に独立してガス器具製造から始まり、砂型鋳物の技術から発展してエンジンなどの鋳鋼製品に進出した会社です。 略称が「瓦斯電(ガスデン)」。 東京瓦斯電気工業は大正~昭和初期に航空機だけでなく、鉄道車両、自動車までも作っていました。 航空機では陸軍航空隊の仕事が多かったようです。 1918年(大正7年)には、民間工場で製造された物としては初の航空機用エンジン、「ダ式100馬力発動機」を発表しています。 これはドイツのダイムラー航空機用水冷直列6気筒100馬力エンジンのライセンス生産品だったようです。 ほとんどが、外国製エンジンのノックダウンなんですが、1928年(昭和3年)には航空機用国産エンジン「神風」を開発してます。 航空機で「神風」とは不吉な名前ですが、これは海軍での名称で、陸軍には「ハ12」として採用されてます。 さて、冒頭でご案内させていただいたル・ローンC型エンジン、下の画像は東京瓦斯電気工業が1922年に製造したもので「甲式3型練習機」などに使用されていました。 甲式3型練習機はエンジンが機体とうまくマッチして抜群の運動性を誇り、約300機がライセンス生産されました。 「島津」? あの明治42年に国産初のオートバイ「NS号」を登場させた、島津楢蔵のことでしょうか? 彼がル・ローンC型エンジンの国産化に関与してたのか? 東京瓦斯電気工業がル・ローンC型エンジンを製造したのが、島津楢蔵34歳のときですから、年齢的にはあってます。 なにより島津楢蔵はオートバイ以上に刺激的な航空機用エンジンの製作に興味が移ってた時期があるのです。 たまたま1914年(大正3年)に帝国飛行協会が航空エンジンの試作を懸賞で募集しているのですが、このとき島津楢蔵はル・ローン・エンジンに模した9気筒回転型空冷80馬力エンジンで応募し、1等に当選しています。 これによって、島津楢蔵は航空機エンジンの分野でもその地位を確立しているのです。 しかし、京都の「島津製作所」も航空機分野の製造をしています。 例のノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの在籍している会社です。 ここの創業は1875年(明治8年)。 時代的にはあっています。 しかし、島津製作所の社史にはル・ローンC型エンジンのことなんか記されていないし、第一島津製作所が本格的に航空機器部門を新設したのは戦後です。 と、すると島津製作所ではなさそうな。 どっちにしても、ル・ローンC型エンジンの国内仕様を設計した「島津」と云うのが誰を指してるのか特定できませんでした。 大阪市立大学が発表した「回転気筒空冷星形発動機の盛衰」と云う記事に日本航空協会「日本航空史明治・大正編」と云う本が紹介されていて、これだったら分かるかもしれませんが、なにぶん古い本だし、とても調べきれないので諦めました。 終戦前から東京瓦斯電気工業は他企業との合併などをくり返し、例えば1942年(昭和17年)には瓦斯電自動車部が分社して日野重工業となりましたが、これが今日の日野自動車なんですな。 また一部は、いすゞ自動車として独立しました。 小松製作所にも事業の一部が引き継がれています。 航空関係では、1939年(昭和14年)に航空機部が日立航空機として独立。 また造機部門は日立精機に継承しましたが、後に日立精機が経営破綻。 全事業を森精機製作所の子会社である森精機ハイテックに受け継がれました。 こうして東京瓦斯電気工業と云う社名は消えましたが、多くの日本の大手メーカーにその血が受け継がれているのです。 しかし面白いですね。 ガス会社の一部が自動車や電車はおろか、飛行機の部品まで作ってたなんて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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