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テーマ:猫のいる生活(136430)
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古代インドのヒンドゥー教では、世界は底が平らで大きなドームの形をしており、4頭の象によって背負われ、その世界を背負った象を巨大なカメが背負って果てしない海を漂ってると考えられていました。
さらにそのカメを、自らの尾をくわえた蛇が取り巻いているとされています。 自らの尾をくわえた蛇は、「ウロボロスの蛇」と同じイメージです。 ヌトの重さを支えるのは大気の神シューです。 そして、大地の神はゲブであり、時間と大地の神ゲブが宇宙の卵を産んだと考えられていたようです。 また、太陽の神と月の神が、舟に乗って天空のナイル川を行ったり来たりするため昼と夜が来ると考えられていました。 3層の天界のうち一番下の層に星がちりばめられており、その上に2つの天界があると考えられていたようです。 そして、地界の一番上に人間が生きる大地が円盤状に広がっており、その下に淡水の海が広がり、一番下には死者の世界が存在するとされていました。 仏教では世界の中心に「須弥山」があり、この山を他の山と海が取り巻き、最も外側の海の四方に「四大洲」と云う4つの島が広がっているとされていました。 中世のヨーロッパでは新約聖書中の「地には4つの角があり、4人の風を司る天使によって守られている」と云う記述により、地球は平で四角いものと信じられていました。 新約聖書はキリスト教の権威ですから、これに疑問をもつこと自体が「異端者」の烙印を押されることになるのですな。 要するに火あぶりの刑です。 航海に長けていた彼らは、天空と水平線の勾配から、地球の正確な形を割り出していたのですね。 「地球球体説」というパラダイムは紀元前6世紀にピュタゴラスによって生み出されてギリシア天文学において発展しましたが、ソクラテス以前の哲学者はほとんどが地球平面説を維持していました。 紀元前330年頃にアリストテレスが経験的見地から地球球体説を採用し、それ以降ヘレニズム時代以降まで地球球体説が徐々に広がり始めたのです。 中世のヨーロッパにおいても、実際には新約聖書に書かれているような地球の形を信じるものはほとんどなかったのですが、こっちはキリスト教と云う盤石の権威があるので声高に云えなかっただけです。 「ヨーロッパでは教養人も地球平面説を信じており、コロンブスの世界一周航海によってそれが反証された」と云う誤解は「地球平面説神話」と呼ばれてきました。 1945年にイギリスの歴史学協会で作成された「歴史に関するよくある誤り」リスト20項目中2番目にこの誤解が掲載されています。 歴史家のジェフリー・バートン・ラッセルは、中世に地球平面説が流行したという誤解は1870年~1920年にかけてはびこり、また、進化論によって作り出されたイデオロギー的な状況とも関係したと述べています。 ラッセルは「まれな例外を除けば、紀元前3世紀以降の西洋文明の歴史に連なる教養人で地球が平面だと信じたものなどいなかった」と主張してるのです。 そもそも、この「地球平面説」を当時の人々が信じていたと云う話は、19世紀のアメリカの作家ワシントン・アーヴィングが著書「クリストファー・コロンブスの生涯と航海」の中で創作した、あるシーンに端を発しています。 そのシーンとは、中米のカリブ海の島々を航海してるコロンブスを、王室の航路を尋問する委員会の面々が「そんなことをしても世界の果てから落ちるだけだ」と嘲笑するシーンです。 この著作は、当時の人々に広く読まれたために、コロンブス時代の人々は「地球平面説」を信じていたと云う誤解を生んだのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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