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テーマ:猫のいる生活(138790)
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国民の人気N.o1、英国王室のキャサリン妃がガン告白されてから随分経ちましたが、その後、様態はど~なんでしょうね。
ご本人が治療の間はそっとしてほしいと仰ってるので、マスコミもことさら報道しないのでしょうけど。 あのキャサリン妃自らが登場してガン告白したビデオ映像は、ウィンザー城で撮影されたものですが、キャサリン妃の座ってるベンチの背後には美しいラッパスイセンの花畑が広がっていました。 この動画でラッパスイセンが咲いているのは偶然ではなかったのですね。 ひとつはラッパスイセンが、ウェールズ公妃でもあるキャサリン妃にとって、ウェールズの国花であると云う象徴。 ラッパスイセンの花言葉は「新たな始まりと回復力の象徴」。 この花をつけることが、ガン患者やガンを克服した人を支援するというメッセージになるため、患者本人のみならず、友人、家族が襟につけるという文化があるのです。 つまりキャサリン妃は、ラッパスイセンを通じて自らもガンに立ち向かうし、また同じ病気をかかえてる人も希望を失わないようにとのメッセージが込められてたのです。 南アフリカ出身の元水泳選手でありながら、身長170cm 、女優顔負けの美しさで世界中を魅了してるのがモナコ王室のシャルレーヌ王妃ですね。 このシャルレーヌ王妃が出産した子供はなんと男女の双子。 モナコの憲法では、2人のうちジャックと名付けられた男の子が公位継承権第1位となり、女の子はガブリエラと名付けられました。 子どもたちの祖母はグレース・ケリーですから、そりゃあ美貌も受け継いでるでしょうね。 イギリスのキャサリン皇太子妃と並び、世界中のロイヤルファンが注目するのがスペインのレティシア王妃。 フェリペ国王と婚約前は、CNNなどを経てスペイン国営放送TVEのキャスターをしてました。 そこでアメリカ同時多発テロやイラク戦争を取材するなど、社会派ジャーナリストとして活躍したのですね。 2002年、ある現場でレポーターとして実況中継するレティシアに、ひと目惚れしたのが当時のフェリペ王子と云うことです。 実はレティシア王妃は一度、結婚・離婚を経験してます。 それを意に介さず、フェリペ国王は結婚に踏み切ったのが2003年。 スペインで、民間出身かつ離婚歴のある妃を迎えるのはレティシア王妃が初めてでした。 義母のマルグレーテ女王のお気に入りと云われてるのが、デンマークのメアリー王妃。 このひと、もともとはタスマニアデビルで有名なオーストラリアのタスマニア州出身、純粋なオーストラリア人です。 オーストラリアでは「初めてのオーストラリア出身王妃」と云うことで話題に。 フレデリック国王が皇太子だったころ、オリンピックでシドニーを訪れていて、ある夜シドニーのパブで楽しんでたのですね。 そこに入ってきたのが、後のメアリー王妃。 フレデリック皇太子はたちまち一目惚れ。 結局、そのパブで小一時間もふたりは語りあったのですが、そのときメアリーは相手がデンマークの皇太子と知らなかったのですね。 その運命的出会いから、フレデリック皇太子がお忍びで何度もオーストラリアを訪問、遠距離恋愛ののち結婚へと云うストーリーです。 私が頻繁に訪れてたタイも王国です。 国民の95%以上が仏教徒というタイでは、憲法により国王は「宗教の保護者」と定められてて、タイ国民にとって国王は深い敬愛の対象とされてきました。 映画館では上映に先立ち、国王の肖像が映し出されて国家演奏。 このとき外国人も含めて立ち上がって敬意を表さないと、逮捕される以前にタイ人観客に袋叩きにされます。 特に前国王だったプミポン国王と王妃のシリキットは格段の尊敬のまとで、プミポン国王亡き後もシリキット王太后は同じタイ王室でも別格の扱いを受けてます。 背景にはプミポン国王存命中、なにかにつけて地方の貧しい国民に王室が多額の寄付してきたことがあるからでしょうね。 シリキット王太后は大阪に滞在中、ひょんなことから私がお世話することになって、ブルーノートにお連れしたことがあります。 警備の大阪府警はイヤがってましたけどね(笑) プミポン国王は、アメリカのマサチューセッツ生まれで、スイスのローザンヌ大学で学業を収めました。 プミポン国王で最も有名な話は、1992年におきたタイ王国軍を背景にするスチンダー首相と、民主化運動グループの民間人指導者チャムロンの争いのときです。 ふたりを王宮に呼びつけたプミポン国王は、ふたりを正座させ「そんな事でタイ国民のためになると思うか、双方ともいい加減にせよ」と叱りつけ、騒乱を一夜にして沈静化させたときです。 それくらい国王の威厳と云うのは絶大だったのですね。 プミポン国王はジャズの演奏家としても知られ、愛用のサックスはヤマハが献上したものです。 写真にも造詣が深く、愛用のカメラはキャノンの一眼レフ。 靴もオニツカタイガーのシューズを履いてハイキングしてたのがマスコミで報じられると、オニツカタイガーはタイでたちまち人気ブランドになりました。 一時期は王宮内の移動にホンダのアコードを愛用してたぐらい日本贔屓な国王でした。 ところがプミポン国王亡き後がいけません。 プミポン国王にはウボンラット、シリントーン、チュラポーンと云う娘3人と、息子のワチラーロンコーンがいます。 長女でワチラーロンコーンの姉でもあるウボンラットは、アメリカ人と結婚したため王族籍は消滅しましたが、今でも王族的な扱いを受けています。 三女のチュラポーンは王族以外のタイ王国空軍大尉と結婚したために、これも王位継承権がなくなりました。 以前にも述べましたが、私はバンコクの王宮でチュラポーンに謁見したことがあります。 下の画像がそれですが、下を向いてるのは、タイでは王族の顔を直視しては不敬にあたるからです。 チュラポーンは博学で、学術研究でも数々の業績を残しており、チュラポーン研究所の所長でもありますが、全身性エリテマトーデスと云う自己免疫疾患を発病して現在療養中です。 そして新国王になったのが息子のワチラーロンコーン。 これがとんでもないヤツ! なんせ皇太子時代に3度の結婚と離婚を経験していて、最終的に皇太子付きの親衛隊員に徴用されていたタイ航空の元CAスティダー妃をヨメにしました。 とひろがワチラーロンコーンは、結婚してたころ、すでにスティダー妃とは別に陸軍看護師のシニーナートとも関係を持っていて、結婚間も無くスティダー妃とは離婚状態となってしまったのです。 その上、ワチラーロンコーンは2020年に新型コロナ避難と称して、20人の愛人を引き連れてドイツ、バイエルンにある4つ星ホテル「グランドホテル・ゾンネンビッヒル」を全室貸し切って隠遁。 側近数百人とともに隔離生活を送っていて、コロナが明けてもめったにタイに帰ってこず、公費を使ってドイツで引き続き悠々自適の生活を送ってるのです。 これには王室に絶対的な信頼をおいてたタイ国民も怒り爆発! 先ずタイでは有り得ない王室の改革を訴えて学生らが首都バンコクでデモを起す事態になりました。 デモ参加者は、国王のほぼ無制限の権限と財政を制限するよう求めるようになったのです。 今まで公に王室を批判した人はひとりもいないタイでのできごとです。 前国王プミポンは、外出するときも車を自分で運転して、車列もサイレンもありませんでした。 今の国王を直接目で見た人はどれくらい居るのでしょうか? 唯一の頼みの綱は次女のシリントーンです。 彼女は海外留学が普通のタイ王室において、唯一の国内大学進学者です。 ものすごく頭のいい人です。 情報技術の発展に力を入れており、農村の小学校にPCを寄付したり、PCを導入した教育機関には頻繁に視察に赴きます。 「情報技術の王女(ITプリンセス)」の異名まで。 それとともに、言語学の学位も持っていて、東南アジアの古典語としてサンスクリット語、パーリ語、古代クメール語などに精通。 もとより英語はおろか、フランス語、ドイツ語、ラテン語、中国語にも精通してます。 とにかく視察ではいつも笑顔で、タイ国民の信望が厚く、兄で現国王のワチラーロンコーンを差し置いて、シリントーンに王位継承をと云う声も大きかったほどです。 シリントーンはまた、タイ赤十字社の副社長であり、タイ王立アカデミーの歴史学部長、難民教育基金の理事も務めています。 ユネスコ親善大使を務め、少数民族児童文化保護と無形文化遺産保護にも熱心な人物なんですね。 それとともに亡きプミポン国王が創設した農業開発、環境保全、自然資源管理、エネルギー開発、災害支援などを行う王室プロジェクト「チャイパッタナー財団」の理事長も努めています。 これが本来のタイ王室の姿なんですね。 まだまだ地方では貧困層の多いタイでは、王室が主導して公共福祉を推進しないといけないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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