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カテゴリ:教授の雑感
先日から読み進めている高山宏さんの『超人 高山宏のつくりかた』で、高山さんが朝日カルチャー・センターで長年講師を務めているという話が出てくるんですが、その内容がなかなか魅力的なんです。 参考までに、高山さんの講義のタイトルを並べて見ますと・・・ ○庭園の思考:ヨーロッパ近代の造園文化論の試み(1996) ○幻想建築試論:西欧近代を見る一視角(1997) ○蒐集の世紀末(1998) ○予言と文学(1999) ○エロティック・ヨーロッパ:恋するシェイクスピアの世界(2000) ○メルヴィルを読む(2001) ○「夢十夜」を十夜で:ぶきみなり、漱石(2002) ○大正大都会の幻想文学:E・A・ポー的なるもの(2003) ○萩尾望都ファン:偏愛的少女漫画論(2004) ○待っていた『ダ・ヴィンチ・コード』:文学の中の謎(2005) ○ロシア古典文学再着眼:はやらせよう「新人文」(2006) ○フランケンシュタイン的:理科系の文学誌(2007) これは講義のごくごく一部なんですが、これだけでも聞きたいものばかり。で、高山さんもカルチャー・センターでの講義を相当楽しんでいるようで、同業者から勉強好きな老婦人に至るまで、聞き手のレベルに合わせ、自在に内容を変えながら、ここでの講義を叩き台に講義のパフォーマンスに磨きをかけているのだとか。いやあ、私も東京に住んでいるのであれば、一人の「素直なスチューデント」(←松任谷由美氏の造語)として、高山さんのカルチャー・センターでの講義に出てみたいっ! 昔は「カルチャー・センター」というのは、随分と馬鹿にされたものでありました。要するに、上辺だけの知識を求める浅薄な人々の象徴という感じで捉えられていたんですな。大学で行われている講義こそが本物で、カルチャー・センターは偽物の手軽な知識、という偏見が罷り通っていた。 しかし、私なんかも思うのですが、全員が同じ年齢の、勉強より遊びたい盛りの、しかも授業料から生活費に至るまで親がかりの学生たちを前にするより、年齢・性別関係なし、ただ「学びたい」という欲望から、わざわざお金を払い、休日をつぶしてまで集まってくる老若男女を前に授業した方が、よっぽど面白いのではないかと。 ま、これは「カルチャー・センター」の話ではないですが、私の大先輩の名誉教授H先生も、停年後、放送大学のスクーリングに携わるようになって、受講生から刺激を受けているということを盛んにおっしゃっていました。何しろ、スクーリングを受講している方々というのは、社会人としてそれぞれの道でプロとしてやっている方々ですから、ちゃらちゃらした若い学生とは大違い、勉強に取り組む姿勢が違う、というわけです。 というわけで、高山さんの本を読むだに、H先生のお話を聞くだに、レベルはともかく、今、一番授業しがいがあるのは、大学ではなく、カルチャー・センターや放送大学のスクーリングなんじゃないかという気がしてきました。 私も、決して話が下手な方ではないですから、カルチャー・センターみたいなところの講師、やっちゃおうかしら・・・。名古屋だと、中日新聞系でそういうのないかなあ。 ま、それは半ば冗談として、自分の話を知的興味を持って聞いてくれる聴衆がいるのであれば、何もそこが大学でなくてもいいかな、という気がしている私なのでありました。カルチャー・センター経営者の皆さん、ここに一人、いい講師がいるよ~! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 18, 2008 12:58:09 AM
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